ロキソプロフェンナトリウムとぬくもり
朝の光が差し込んでくる部屋で、俺は頭を抱えてのたうっていた。
「う゛ぇ……頭痛い……」
最近メンタルに堪えることが多かったせいか久しぶりに過激な頭痛が俺の頭を襲っている。こういうときは大抵アスピリンとして有名なアセチルサリチル酸の入った痛み止めを飲んで頭痛を抑え込むのだけれど、最近頭痛が少なかったせいで錠剤も散剤もストックが尽きていた。
駅前のドラッグストアまで自転車を飛ばそうか……? いや、今頭に振動を与えるのはマズい。ゲロが出そうな痛みを抱えたまま自転車を走らせる気力は無い。
机の中を漁ることにした。純正アスピリンのストックはないのでこの際パチものでもいいので痛み止めが欲しかった。残念ながらピリン系は好きではないので持ち合わせていない、だと言うのに今はあのどぎつい痛みの抑え方がたまらなく欲しかった。
そうして縋るように机の中を漁っているとロキソプロフェンナトリウムの錠剤が一錠出てきた。幸い未開封で二錠のシートの破片が残っていた。
俺はそのシートを持って水を求めてキッチンへと向かった。今日が日曜で本当に良かった。平日だったらこの頭痛と一日付き合う事になっていたところだ。カチャリとキッチンに入ってコップを一つ取り出し水を汲んでピンク色の錠剤を一錠口に放り込む。
さて……寝るか……
こういう日は眠るに限る、増して日曜なら寝て過ごすだけで頭痛が通り過ぎていくのだからこれほどありがたいことはない。薬を飲み下したところで食パンを一枚手にして部屋に戻った。食欲は全く無いのだが空腹に痛み止めを入れると胃に悪い事を知っているので無理矢理口にねじ込んで咀嚼した飲み込んだ。
よし、寝よう!
布団を被って目を閉じたところでやかましい声が響いてきた。
「お兄ちゃん! 大丈夫ですか!」
バタンとノックもせずドアが開かれた。開けたのはもちろん妹の睡だ。
「なんだよ騒がしい……寝かせてくれないか?」
「だって今キッチンに行ったら飲みかけの薬がおいてあったので……お兄ちゃんですよね?」
「ああ、そうだ……ちょっと今日頭痛がひどいから起き上がりたくないんだ」
「そうですか……じゃあお兄ちゃんを看病しますね!」
「なんでそうなるのかなあ!?」
俺の妹は安眠させてはくれないようだ、やる気満々に看病する気になっている。この気力に溢れた妹をわざわざ止めるのに使う気力と体力を考えるなら素直に看病を受けた方が楽であると判断して『わかった、頼む』と一言伝えるのだった。
幸い、睡は生活に必要なことは一通り出来るので俺が手助けする必要も無く、放置されても心配する必要は無い。
「じゃあお兄ちゃん! 身体を拭いてあげましょうか……ハァハァ……」
何故か息づかいが荒くしながらそう聞いてくるのだが……
「いや、別に熱があるわけじゃないし、今起きたばっかりだから汗もかいてない」
「ちぇ……」
何か不平があるらしいが俺はそれを聞かなかったことにしておいた。
「俺のこともいいけど、まず自分のことを考えてくれ。朝食もまだなんだろ? 食べてこいよ」
「そうですね、お兄ちゃんにあれやこれやするのは後回しにしましょうか……何せ今日は日曜日ですからね……フフフ……」
何か不安になるような言葉を残して部屋を出て行った。と思ったら即この部屋に帰ってきた。
「せっかくの休日なのでお兄ちゃんの部屋で食べようと思います!」
そう宣言して香ばしいトーストと紅茶をお盆に乗せて持ってきた。俺が寝込んでいるというのに構わずそれをモグモグと食べている、溶けたチーズの香りが俺の方まで漂ってきて狭い部屋なので換気をしたくなる。
紅茶はアールグレイだろう、強い香りが漂ってきたので俺は睡に頼んだ。
「俺にも一杯貰えるか?」
「ああ、紅茶ですね! ちゃんとカップは二つ持ってきてますよ!」
ティーポットからカップに注ぎ俺に差し出してくる。それを受け取って啜ると渋みとえぐみがふんだんに感じられる紅茶だった。多分ティーバッグで淹れたものをスプーンでバッグを抑えて作るとこんな味になってしまう。本人は気にした様子でもなく飲んでいるので、俺も味については気にせず飲むことにした。
「お兄ちゃん……平和ですねえ……」
「そうだな……」
こういうときは何かが起こるのが定番ではあるのだが、あいにくとそんな絡まれ体質ではないので都合良く事件が起こるはずもなかった。
「しかしお兄ちゃん、相変わらず頭痛持ちなんですねえ……」
「悪いか……生まれつきなんだよ……」
「お兄ちゃんの弱点を知った私はアドバンテージを取った気分になれるので全く悪くないですよ?」
弱点……弱点なのだろうか? ダメだ……考えると脳に血液が行くのか痛みが増してくる。考えるのはやめておこう。
「お兄ちゃん、ロキソプロフェンナトリウム飲んでましたけど、昔はアスピリンが好きじゃなかったですか?」
「好きで薬飲んでるわけじゃねえよ……アセチルサリチル酸は切らしてた……ノーチカと純正アスピリンがたくさんあった気がしたんだが……最近使ってなかったからなくなってるのに気づかなかったんだ……」
不覚を取るとはこのことだろう。頭痛持ちがストックを切らすなどあっていいことではない。
「お兄ちゃん、そろそろお昼ですね。昼ご飯はお粥でいいですか? あとアスピリンも私のストックを一錠あげます」
「え? お前頭痛持ちだっけ?」
「違いますよ! 女の子には痛み止めが必要な日があるんですよ?」
そう言って顔を赤くして部屋を出て行った。うん、今のは確かに俺の失言だった。謝ろうにもそれ自体が恥ずかしいかもしれないので黙っておこう、沈黙は金とはよく言ったものだな。
……コクリ……コクリ
「お兄ちゃん!」
「わ!?」
睡の呼びかけに身体がビクリとする。どうやら眠ってしまったようだ。
「はい、お粥ですよ、食べさせてあげますね。あーん」
「いや、自分で食べられる……」
「あーん」
「だから……」
「どうぞ」
引き下がる気がないようなので俺が折れてスプーンに載ったお粥を妹の手で口に運ばれた。味はパーフェクトなのでいいことなんじゃないかと思う。
「どうですか?」
「え?」
「味ですよ! お口に合いましたか?」
「いつもお前の料理食べてるが、あわなかったことは無いぞ?」
答えると睡は顔を赤くして何かを言おうとして黙り込んでしまった。
その後、お粥を一杯食べた後で真っ白なアスピリンの錠剤を一錠と水を一杯差しだしてきた。相変わらず錠剤が大きいなとは思う、むしろ半分以下に見えるサイズで効く頭痛薬の方がおかしいのかもしれない。
俺は優しさの入っていない純度100%のアセチルサリチル酸を水で飲んで再び横になった。頭痛は無くなっていき、代わりに眠気が俺の脳に染み渡ってきた。
意識が落ちる時、何か柔らかなものに触れた気もするがそれが何だったかは定かでは無い。
…………
「ん……?」
意識がはっきりしていき、俺は何か柔らかいものに包まれていることに気がついた。何故か目の前が真っ暗で何も見えない。俺は手で頭を覆っているものを引っぺがすと、それが睡だと気がついた。
「お……おま……!? なにしてんの!? って言うか俺は何かしたのか!?」
ダメだ……頭痛はすっかり頭から抜けて目の前の情報を頭が処理していく。俺はお粥を食べて眠って……何があった?
「あ……お兄ちゃん! おはようございます!」
睡は呑気な声で起き上がって俺に挨拶をする。
「あれ? どうしたんですか? そんな変な顔をして?」
「いや……なあ? なにも無かったんだよな? 別に俺たちは一緒の布団で寝ただけでなにもやましいことは無いよな?」
「あればよかったんですがねえ……残念ですがなにも無かったですよ?」
ふぅ……とりあえず安心した。
「あれ? 怒らないんですか?」
睡がそう聞いてくる。いつもだったら怒ったかもしれないが今は借りがあるのでそうもいかない。
「まあ、お粥を作ってもらってアスピリンもわけてもらったしな……」
「ふへへ……お兄ちゃんの義理堅いところ、嫌いじゃないですよ?」
そんなことを言って部屋を出て行った。ドアを開けたところで『頭痛は良さそうですね?』と聞いてきたので『ああ、収まったよ』と返事をしたところで、俺が未だにパジャマを着ていることに気がついた。
「ああ……着替えるの忘れてた……もう日も沈むしこのままでいいか……」
俺はそのまま風呂に入って2着目のパジャマに着替えたので今日は洗濯物が一着ぶん少ないのだった。
――妹の部屋
「いやー! お兄ちゃんがデレましたかね? やっちゃったかと思ったんですが……怒らなかったですね!」
私は幸せな気持ちでベッドの上をゴロゴロとします。お兄ちゃんと一緒に一日を過ごしただけでも脳内がバグるんじゃないかというくらいの幸福をもらうことが出来ました。やはり情けは人のためならずと言う言葉は本当なのでしょう。ことわざとして伝えられているくらいなので実績のある言葉に違いは無いですね。
私はどうしようもない多幸感に包まれながらお兄ちゃんの感触を思い出しつつ眠りにつきました。