妹とプレイグラウンド
「お兄ちゃん! 私、プログラミングしてます!」
そんな発言を朝からぶち込んできたのが妹の睡だ。こいつはいつもこうだ、唐突に無謀なことにチャレンジしては挫折している。
「お前はスマホしか持ってないじゃん?」
スマホでプログラミングをするのか……無理とまでは言わないがあまり向いていないだろう、ぶっちゃけた話がそういう風にスマホは作られていないはずだ。
フフフと睡が笑う、それは無理矢理なんとかしてしまったという意味を示しているようだった。
「お兄ちゃんはプレイグラウンドというものをご存じですか?」
「ああ……一応アレでも出来なくはないか……」
「しかーも!!! お兄ちゃんに頂いたキーボードで文字入力もパーフェクト!」
なるほど、スマホにキーボードを繋げれば一応CLIくらいなら動かなくもないか。
「ちなみに言語は使ってるんだ? スマホでまともに動かそうと思ったら大したものは……」
「パイそんですよ!」
「なんかその発言は一部のアクセントがおかしいような気がするんだが……」
いいよねPython、見て分かるコードはいいものだ。スマホでまともに動くかどうかをさておけば、な。
まあスマホの限界というものはあるが、それをなんとかしてしまいそうなほどの勢いがスマホアプリにはある。WEBアプリも兼ねて言えば、十分に無理を通すことができるだけの物量があった。
「ところでお兄ちゃん……頂いたキーボードなんですが……」
「アレがどうかしたか?」
睡が言いにくいことを切り出した。
「すっごく光りますね……」
返す言葉もない……
「言いたいことは分かる、分かるんだがこのご時世でメカニカルスイッチのキーボードは大抵光るんだ、どの辺がゲーミングなのかは分からないがゲーミングと付けて光らせておけば売れるらしい」
マジでハイエンド=ゲーミングの風潮には疑問を呈したいところだ。隙あらばピカピカ光ろうとする奴らが多すぎる。
「大概ゲーミングって好きですけど、あそこまで手に触れるものが青く光ってたらムカつきますね……」
気持ちは分かる、分かるが俺に言われても困るんだ。PCゲームは光るものという概念と戦わないとおそらくメカニカルキーボードと言えば『他に比べて強みがないしとりあえず光って目立とう』という機種しか出てこない。それについては諦めて欲しい。
「一応光らないように設定もできるんだがな……」
「出来るんじゃないですか! なんでやり方を教えてくれないんですか!?」
「お前ああいう光るのが好きなのかと思ってな」
「人を光り物好きみたいに言わないで欲しいんですけど……」
「ついでに言うならアレなんだが設定しても……」
「何か?」
「電源を切ると全部リセットされるんだ……」
睡は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「お兄ちゃん、もしかしてアレが邪魔だったから私に押しつけただけなのでは?」
「失敬な! ちゃんとその場くらいでも使えればいいだろうと思って選んだんだぞ?」
一応睡の意向を汲んでいることは認めて欲しかった。普通にそういうのが好きだと思ったんだ。
「まあそれはそれとしてアレはお兄ちゃんのプレゼントとして貴重に保存しておくとしてキーボードを買いました」
「早い! 行動が早いよ!?」
思い立ったら気軽にそこそこ高価なものを食玩かガチャレベルの感覚で買うのどうやっているのだろう? 俺にはそんな金は無いというのに……
ピンポン
そんなことを話し合っているとドアチャイムが鳴った、このタイミングということは間違いなくそれだろう。
「取ってきますのでスマホに繋ぐの手伝ってもらえます?」
「いいけど、その前に一つ聞きたいんだがどこから金が出てるんだ?」
「お兄ちゃん……」
睡の顔から表情というものがひゅうと抜けて感情のない顔で俺に言った。
「世の中知らない方がいいことに溢れてるんですよ?」
どうやら教えてはくれないらしい。そう言ってから玄関に向かっていく睡を見送りながら、IDEというやたら高いものに課金をしているせいで俺には金が無いのだろうと察してしまった。
「お金があるのは羨ましいことだよ」
そう独りごちてみるが、睡が生活レベルを落とさずに買い物ができるというのは驚くべきことだった。
「おにーちゃん! 届きましたー!」
そう言って箱を抱えて持ってくる睡、微笑ましいものだ。
「で、何にしたんだ?」
「じゃじゃーん!」
そう言って睡が取りだしたのはマジェスタッチだった。無難なところを攻めるやつだな。
睡はそんな俺に構わず言う。
「赤軸ですよ赤軸! 静音性のあるメカニカルキーボードです!」
大変いいものだとは思うのだが、それって結構高いやつだよなあ。平気で買える金額じゃないはずなんだが羨ましいことだ。
「さてお兄ちゃん! 私にPythonを教えてください!」
「めんどくさい……」
言語一つを教えるというのは正直言って妹相手でも面倒くさい。比較的わかりやすい言語なのは確かだが、基本を知らないと分からないこともある。
それらを一つ一つ教えていくのは大学の役目じゃないだろうかと思う。専門学校でもいいし、なんならパソコンスクールでもいい。しかし少なくとも俺が教えるには巨大すぎるものだ。
「いいじゃないですかー! 教えてくださいよう!」
「分かったよ」
俺は分かりやすいところだけを教えて後は応用にGoogleを使ってもらうことにして基本的なことを教えていく。
四則演算、変数、関数、文字列、組み込み関数としてprint()と最低限Hello Worldを書くのには十分な程度の基礎の基礎を教えておいた。本来なら型とかも教えた方がいいのだろうがそれを教えると沼にハマるような気がしてならない。
「ふむふむ……意外と簡単なんですね!」
クラスとダンダー関数を教えると絶対に面倒になるのがわかりきっているので黙っておいた。厄介ごとに首を突っ込むことはない。
「分かったか?」
「分かりました! Python完璧に理解しました!」
そう言って楽しそうにしている睡に先は果てしなく長いぞと言う気にはなれなかった。
その夜、睡の部屋からはタイピング音が聞こえてこなかった、さすが赤軸だ。
しかし……その代わりに『よっしゃああ!!』とか『ヴェえええええ!!!!』『なんで! こんな動きをするんですか!』などと言った奇声はしっかりと俺の部屋まで届くのだった。
なお、プログラミングの深さに呆れたのか、Googleで検索するのを覚えたのかは不明だが、しばらくのところ俺に質問は来ないのだった。
――妹の部屋
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
私はお兄ちゃんのことを考えながらスマホに向かいます。しかし何故だかやる気が出ません。なぜでしょうか?
私にはさっぱり分からなかったのですが、呆れてお兄ちゃんにもらったキーボードをタイプしてみて気がついてしまいました……
私はお兄ちゃんがくれたものを使うことが好きなのであって自分から苦行をしたいわけではなかったのです。
「寝よう」
私はその考えに至りそこそこのお値段がしたキーボードの使い道を考えながら寝ました。




