理不尽な頭痛
「うえ……久しぶりに来たなあ……」
俺は朝起きるなり頭痛が頭を走った。ズキズキと痛みが鳴り響き、本能が『寝てしまえ』と告げている。
頭の中で疼いている虫を黙らせるために引き出しからロキソプロフェンナトリウム錠を取り出す。キッチンに歩いていくともう睡が起きていた。
俺は睡はさておいてコップを一つ取り水を注いで、それを使ってロキソプロフェンナトリウムを飲み干した。
睡がこちらを見ながら聞いた。
「お兄ちゃん、頭痛ですか?」
「ああ、今日のはキツいな……」
いつもよりきつめの頭痛だった。念のためもう一錠をポケットに入れておく。アスピリンはいつも一シートを筆箱に入れてある。今日はどちらのお世話にもなりそうなくらい頭痛が酷かった。
椅子にだらりと座って脳を休ませようとする。頭の奥で何かが自己主張をしているが、それは直にロキソプロフェンナトリウムが黙らせてくれるだろう。登校までに黙らなかったらアスピリンを一錠追加だ。
「お兄ちゃん、紅茶ですよ?」
「ああ、悪い……コーヒー要るか?」
「さすがに顔が青白いお兄ちゃんに任せるほど鬼ではありませんよ」
「ははは……そんなに悪そうに見えるか?」
睡は頷く。
「ええ、さすがに今のお兄ちゃんにそれを求めるほど見境無くはないですよ」
なんだかんだ言ってもコイツは俺のことをちゃんと見ている。現在の俺はさぞかしどうしようもない状態なのだろう。それでも学校に行くというルーティンをこなすために頭痛薬を飲んでいる。あまり健全なことではないのかもしれないが、妹に対して模範的であろうとする俺としては休むわけにはいかなかった。
「心配するな、こんなものは頭痛薬を飲んでおけばすぐ良くなるさ」
睡は非常に疑わしげな目で俺を見ている。それでも先ほどまでから頭の中に鳴り響いていた鐘の音は静かになりつつあった。
「お兄ちゃんはエナドリをやめろと言ったりするくせに頭痛薬は平気で飲みますよね?」
睡が意地悪っぽく言う。
「悪いが偏頭痛は俺の人生の同伴者なんでな、時々うるさいコレを黙らせないといけないんだ」
「私もお兄ちゃんの人生の同伴者のつもりなんですがねえ……」
少し寂しそうに睡は言う。俺は睡を俺の碌でもない人生に付き合わせるつもりもないんだがな……
もうすでにかなり頭の中は静寂を取り戻していた。やはりロキソプロフェンナトリウムは強力だ。個人的な好みならアスピリンだが、あちらの方が胃に悪いような気がする。
本来であれば頭痛薬を飲むときは胃に何か入れておく。睡が朝一で頭痛薬を飲もうとしていればとりあえず飲み物でもいいから何か胃に入れておけというだろう。
しかし自分の体にそんなにこだわらないので俺は遠慮なく頭痛薬を空っぽの胃に流し込む。多少は胃の中で出血をしているのかもしれないが知ったことではない。結局のところコレは自分だけの問題なのだ。
人によっては俺のことをジャンキーだと言ったりするが、薬局で買える薬を使うべき時に用量を守って使っているだけなのでとやかく言われる筋合いはない。回数が人より多かったり、気軽に使ったりしたところでルールを守っているならグダグダ言われても気にならない。
「お兄ちゃん? 朝ご飯は食べますよね?」
「もちろんだ」
「じゃあどうぞ!」
目の前のフレンチトーストを口に含むと甘さで寝起きのぼんやりとした意識がくっきりと輪郭を持っていく。ようやく俺は人心地ついた。
「お兄ちゃん、あんまり頭痛薬に頼りすぎるのはどうかと思いますよ?」
「痛いから鎮痛剤を使うことの何が悪いんだよ」
俺もよく言われていたようなお説教を睡にされたことで言葉に棘がついてしまう。
「お兄ちゃんは私と一緒に長生きしてもらわないといけないんですからね? 自覚をしておいてくださいよ?」
やれやれ、偏頭痛と同様に睡とも一生の付き合いになりそうだな。ひとまずのところ頭から痛みは去ってくれたので睡と雑談をする。
天気の話、学校の成績の話、その他諸々のくだらない話をしながら目の前にある食事を口に詰めていった。
「お兄ちゃんは風邪ではないんですよね?」
風邪だとさすがに学校を休む必要がある。他人に感染しない偏頭痛との大きな違いだ。
「熱っぽさはないし風邪じゃないな。風邪なら頭痛薬だけで意識がハッキリしたりしないんだよ」
「そういうものですか……?」
「そういうものなの」
俺はドーピング用のエナドリを一本冷蔵庫から取りだして飲む。頭はすっかりシャキッとしていた。
「まったくもう……私の時は止めるくせに……」
睡が不平をこぼしていたが、妹の健康管理は兄の役目だ。保護者をやっているようなものなので睡に体に悪いことをさせるわけにはいかない、しかし自分については例外だった。
「お兄ちゃんは今日学校に行くんですか?」
「もちろんだよ、ていうか俺が休んだら一緒に休む気だろう? そういうわけにはいかないんだよ」
睡を無意味に欠席させるわけにはいかないのも俺がちゃんと登校する理由だ。
「はぁ……分かりましたよ……今日のお休みは無いってことですね。ただし、無理はしないでくださいよ?」
「ああ、朝ご飯食べたら幾らかマシになったし学校位なんて事はないさ」
そうして俺たちはいつも通り登校することになった。少なくとも登校時に頭痛に悩まされることは無かった。
問題があったのは昼頃になってからだ。また頭の奥が疼いてきた。不愉快な虫が頭の中を這い回っているような気分だった。
キーンコーンカーンコーン
幸いなんとか昼休みになったのでそく水道まで急いでアスピリンをポケットから取り出し大きめの錠剤を飲み込んだ。
教室に戻ると睡が不服そうにたたずんでいた。
「お兄ちゃん! 一緒にお昼ご飯を食べるんでしょう! どこ行ってたんですか?」
そこには明らかな非難の色が感じ取れた。アスピリンを飲んできたというとそれについて揉めそうだった。
「ああ、ちょっとトイレに行きたくってな、一言言っておくべきだったな、悪かった……」
「ま、まあ分かればいいんですけどね」
アスピリンも空腹に入れるにはあまり良くない薬なので睡の用意してくれている弁当を綺麗さっぱり平らげた。美味しいのも確かだが、食べないと胃がキリキリと痛みそうだったのでしっかりと食事を詰め込んでおいた。
そうして午後の授業を終えて下校することになった、誰かに一緒に帰らないかと誘われたような記憶もうっすらあるが、この状態で誰かのおしゃべりに付き合う気にもなれず適当に断っていつも通り睡と一緒に最短ルートで家路を急いだ。
「お兄ちゃん、頭が痛いんでしょう?」
睡のこの勘の良さには驚かされるばかりだ。もう少し役に立つことにその才能を使って欲しいのだがそんなことを言ってもしょうがないのだろう。
「ああ、ちょっと今日は頭痛が酷くてな、まあロキソプロフェンナトリウムとアセチルサリチル酸のおかげで平気になったよ」
隠しごとをしてもしょうがなさそうなのでそのままのことを伝える。睡は俺の心配そうに眺めながら言う。
「お兄ちゃん、自分一人の体じゃないんですから程々にしてくださいよ?」
「ああ、ちゃんと頭痛薬は用法用量を守ってるよ」
睡は頷いた。
「まあ必要最低限の常識だとは思いますがやりたい放題飲むよりマシですね……」
呆れ顔をされながら帰宅することになった。
その日の夜はいち早く寝ることにした。最強の頭痛薬は睡眠であるというのが俺の持論だ。
横になってしばらく今日のことを考えていたのだが、何故睡が俺の健康問題にそこまでピリピリするのかは理解できないし、深く考える前に睡魔の方がやってきて結論が出ることは無かった。
――妹の部屋
「まったく……お兄ちゃんは世話が焼けるし鈍感だし……困ったものです」
ダメ人間を好きになるというのはこういう気持ちのことをいうのでしょうか?
お兄ちゃんを愛する気持ちに変わりはありませんのでお兄ちゃんに先立って欲しくはない物ですね。
この調子だとお兄ちゃんが体を壊しそうです……
なんとも不安になりながらも帰宅後お兄ちゃんが頭痛薬を飲んでいないことは確かなのでそれで良しとしましょうか。
私は釈然としないものがありましたが考えることをやめて眠ることにしました。