妹とキーボード
「お兄ちゃん! レスバに強くなる道具をください!」
俺の妹は朝起きて早々にそんな寝言を言ってきた。コイツはどんな人生を生きていたら兄にレスバの秘訣を求めるんだろうか? まあ俺と兄妹なんだけどさあ……
「そもそも負けそうになったら土下座して逃亡するのが一番だと思うぞ? まあレスバなんてしないのが一番なんだがな」
攻撃は何も生まない……事もないのだが、少なくともレスバで建設的な結論など出るはずも無い。
そもそもレスバなんていうものはくだらないことを争うものなのでするべきではないというのが俺の意見だ。
そんな俺の忠告も意に介さず睡は持論を述べる。
「お兄ちゃんは妹がレスバで負けてもいいって言うんですか!?」
「別にいいじゃん? リアルとは何の関係も無い場所で負けてもノーダメージだろ?」
マジでどうでもいい……というか妹のレスバの戦績とか俺と何の関係も無いですし……
しかし睡はレスバで負けたのを根に持っているらしく俺に文句を垂れる。
「『ファーーーーー! 今時妹とか草時代は姉だぞ』とか言われたんですよ!? こんな暴言が許されていいはず無いでしょう!」
心底どうでもいい。妹と姉とどちらがいいかなど議論にのせるのすら無駄とも思えることに必死になっている妹がかわいそうにさえ思える。
どうしろっていうんだろう……?
実りの無い議論にも参加したくはないし、はっきり言えばコイツがレスバに負けようが知ったこっちゃないのだが。
「で、俺にどうしろと?」
「レスバに勝てるコツを教えてください!」
「人をレスバのプロみたいにいうなよ……」
まあいいや、適当に答えて満足してもらおう。
「で、なんて負けたんだ?」
「向こうの数が多かったんですよ! こっちも飛行機を飛ばしまくって対抗したんですが物量に勝てず……」
少数派だから負けるのはしょうがないという結論はコイツにはないのか、あるいは自分が少数派であると維持でも認めたくはないのか、どちらにせよあまりいいことは無さそうだった。
「ID変更は確かに飛行機飛ばせばいいけど、相手が複数回書き込んでいるんだったら絶対にこちらが不利じゃないか?」
「いえ、向こうは一人だと思います」
「なんでそう思うの?」
「姉派が妹派よりも多いはずはないでしょう?」
えぇ……ものすごく主観的な理由だった。コイツと建設的な議論は出来そうにない。適当にいなして満足したもらおうか。
「そうだな……Android使ってるんだったよな?」
「そうですね」
「あまりお勧めしないがクリップボードの履歴を駆使して大量の文章をコピーしておいてそれを複数IDで貼り付けるという方法があるぞ。まあやり過ぎると規制かかるんで程々にするのは大前提としてだが」
「ふむふむ……」
「あとは……そうだな……待ってろ」
俺は部屋に戻って目的のブツを引き出しから引っ張り出す、某国から買ったもののあまり使い勝手が良くなかったので放置していた品だ。
キッチンに戻って朝食の後片付けを済ませた睡にそれを渡す。
「お兄ちゃん、これは?」
「どこからどう見てもキーボードだろう」
そう、bluetoothキーボードだ。一応充電用に使うType-Cケーブルでスマホと繋げば優先キーボードとしても使えるが基本的に無線で繋いだ方が使いやすい。PCでは少々使いづらい配列だったので机の奥にしまっていた品だ。
しかし、使いづらいとはいってもあくまでもハイエンドキーボードに比べての話だ。フリックくらいには勝てるくらいに高速で文章を入力できる。
「それは分かるのですが……コレをどう使えと?」
「いいか、レスバは文章量と速さの勝負だ。これでガンガンIDを変えながら連投して相手の戦闘意欲を削ぐという作戦がある」
「そんな上手くいくもんですかねえ……」
睡は疑わしげだった。
「そもそもレスバしようなんて人は暇つぶしが大半なんだから相手が連投を続けたら面倒くさくなって逃げ出すもんだ。言っておくがコテハンは付けるなよ? アレを使うとあっという間にヘイトを稼ぐからな」
「お兄ちゃん……詳しいですね……ご経験が」
「一般論だよ」
俺の経験など語ってもしょうがないので話を打ち切る。
「ところでお兄ちゃん?」
「なんだ?」
「私、キーボード打てないんですけど……」
肝心なことを忘れていた。qwerty配列はスマホにも実装されているが使用頻度が一般的に少ない、俺はどうしたものかと少し考えて答えた。
「スマホのqwerty配列モードで練習するといい、キー配置さえ覚えれば入力は早いぞ」
習うより慣れろだ。まあレスバに勝つために努力をするなど無駄なことだと思うのだがそこに対して突っ込むのはやめておいた。
そうして登校しながら、睡はしっかりと歩きスマホをしていた。危ないからやめろと言ったのだが睡は決してやめなかった。
登校してから延々とスマホを眺めて授業中も机の下で練習しているのが分かった。呆れながらも後で睡にもよく分かるようにノートを取っておこうと授業に集中したのだった。
そうしてなんと驚くべきことに睡は一限から六限までずっとスマホを弄っていた。休み時間にモバイルバッテリーを繋いでまで使い続けていたことには頭が下がる思いだった。できればもう少し役に立つことについて練習して欲しいというのが正直なところではあるのだが。
下校時、誰の声も聞こえないように俺の手を引っ張ってスタスタと帰っていった。校内で歩きスマホこそしなかったものの校門をくぐるなりスマホを取り出して俺に引っ張られながら延々文章を入力していた。
帰宅するなり、睡はキーボードを手に取り俺に言った。
「お兄ちゃん、私、完璧に覚えましたよ!」
「そうかそうか、その集中力を勉強に使おうな?」
睡はキーボードとスマホを接続して喜々として文章を入力し始めた。チラリと見るとメモ帳にレスバ用の文章を大量にストックしていた。書き溜めている文章は胡乱なものであり、正直に言えば怪文書といっても通じるんじゃないかという代物がいくつか見えた。
コレが将来のヴォイニッチ手稿か……
そんなことを考えながら俺は一人でコーヒーを淹れて飲んだ。睡の方は集中力が出ているらしくカフェインのドーピングは必要なさそうだった。
そうして夕食の準備を睡が始めるまで、スマホに大量の文章を書き連ねておいたらしく満足げに夕食を作り始めた。
出来上がったカレーを俺に出しながら、「お兄ちゃんのおかげで私は強くなりました!」と聞いたときにはキーボードを与えたことを少し後悔した。
その夜、隣の部屋からチェリー青軸互換のキーボードが立てるやかましい音は俺が諦めて眠りにつくまで続いたのだった。
――妹の部屋
「ひゃっっっほうういいいい!!! ひれ伏すがいいんですよ!」
私はノリにのっていました。文章を高速で入力して送信し即座に機内モードにして戻す、コレを繰り返すことにより私はいくつものペルソナを持ち、圧倒的な力で蹂躙したのでした。
敗北者達の最後の言葉である『お前こんなこと延々書いてて恥ずかしくないの?』という捨て台詞を聞いたときには気分が最高潮に達したのでした。
私は昨日と違って充実感に溢れながら眠ることができました。




