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虚無

 義昭さまと和睦して、ぼくは本来の仕事に戻る。

 義昭さまと敵対したことで動き出した六角、浅井との戦いだ。

 本願寺派もうごいている。

 一方武田は撤兵していた。どうも当主が亡くなったらしい。混乱をばらまいてこれはなんとも苛立たしいばかりである。

 徳川は不安そうに様子をうかがいに来たので、義昭さまとの和睦をぼくは悪くないことと合わせて伝えておいた。


 そろそろ浅井との闘いを終わらせる時機が近い。決着の準備を進めていた七月。


 義昭さまが京近郊の幕臣の城に籠城した。

 意味が分からない。

 近江にいたぼくは即座に上洛し、城を攻め降した。

 義昭さまは僕の手を取ることを拒み、生まれたばかりのご子息を人質として差し出し、京を去った。


 ここまでくればぼくも理解する。


 ぼくと、義昭さまの夢はこれで終わったのだ。


 泣きたくなった。

 今までのことは一体何だったのか。

 絶頂も、窮地も、ともに越えてきたはずだ。

 どうしてこうなった。

 ぼくが悪かったのか?


 浅井が裏切った。

 朝倉が暗躍し、さらには頭を下げることとなり武威を落とすことになった。

 武田が裏切った。

 こいつらがいなければ……。


 ああ…………。



 義昭さまの命を取ることはできない。

 義昭さまが襲われないよう遠巻きに警護し、行先を確認するよう部下に指示した。


 ああ、ご子息はどうするか。出家させて手元で育てるか。

 なんだかどうでもいい気分だ。

 天を仰いだ。



 余談だが、この後、九月に安芸毛利から義昭さまとの和睦の仲介があった。紆余曲折あって毛利を頼ったらしい。

 毛利はぼくとも義昭さまともよい関係を続けている大名なので和睦を仲介するならば順当なところだ。

 ぼくはこれを受け入れたが、実際の交渉の段階で躓いた。

 交渉に出した部下が断ってきたのだ。

 和睦条件が折り合わなかったのだという。


 その条件とは、ぼくの息子を義昭さまに対し人質に出すこと。


 ああ。部下が断ってくるのも無理もない。

 結局、ぼくは義昭さまのことをわかっていなかったのだろう。

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