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ぼくは信長  作者: ほすてふ


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姉川

 さて、状況を少し整理しよう。

 越前での敗北が四月。

 ぼくが京を義昭さまに任せ、美濃向かったのが五月。


 朝倉の主力は越前の敦賀に位置し、浅井と朝倉の別動隊が南下してきている。南近江と美濃へ進出してきていた。

 朝倉の主力が動いていないのは、浅井朝倉連合の敵が織田だけではないからだろう。

 そしてそこにいることで、やはり京を空にはできなくなる。阿波三好だけでなく北も注視しなければならなくなるのだ。

 また京周辺の勢力の調略や反幕府勢力との連携のための活動をしていたと見るべきだろう。

 実際に、六角がまたもや兵を挙げているし、後にも朝倉に味方する勢力が出ている。


 美濃に戻るのは本国の動揺をおさえるため、敗北で失った兵を再編成するためと、徳川を迎えるためだ。

 しかし妨害をかわすために時間がかかった。義昭さま救援の時のように飛ばしに飛ばして二日で、とはいかない。

 それでも、敵軍に捕捉されず帰国は成功。

 ここからぼくの反撃が始まる。



 六月に入り、まずは六角を撃退、浅井朝倉は地の利がこちらにある南近江から兵を下げ、守りを固めた。


 戦場は淡海(琵琶湖)の北東。浅井攻めだ。

 立地上そうならざるを得ないこともあるし、報復をきっちりしなければ今後に支障が出るということもある。


 そして会戦。


 後に姉川の戦いと呼ばれるこの戦は、激戦だった。

 勝ちはしたが、追撃が十全には行えなかったほどだ。

 互いに被害は大きく、名のある武将が何人も戦死した。

 徳川に援軍を頼んだのは正解だっただろう。ただ、後のことを考えれば活躍させてしまうことになったのは失敗だったかもしれない。

 だが、結果としての勝利には違いなく、浅井の本拠小谷城の城下を焼き、目と鼻の先にある城を確保することもできた。

 ここからさらに攻勢に出たいところだが、すぐにとはいかない。というよりできるならやっている。



 実は、姉川の戦いの前に、畿内は摂津にて離反勢力がでたことで、義昭さまから招集がかかっていたのである。

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