第三話 医学書とニュース
老婆がホワイトエンブレム教会兼病院で、清掃員として働く(遺体が出た時だけ納棺師としても働く)ようになってから、はや2ヶ月。
やっと、アレンにお礼が出来そうな金額がたまった。
道端で、熱を出してふらついていた老婆を介助してくれた見習いの医者のアーサー・アレンに、老婆、ジャスミン・フローレンスは、やっと、恩返し出来そうな時が来た。
とは言っても、何をプレゼントすれば良いのか、わからない。
アレンが喜びそうなものと言えば、医学書以外には思い付かないが、医学書を売ってるような店も、老婆は知らない。
(やっぱり、アレン自身に選んでもらった方が、実用的な物が買えるはずよね)
老婆は、雨の晴れた土曜日の朝、仕事に行く前に、アレンの事をそう、思っていた。
「おはようございます、フローレンスさん」
「おはようございます。アレンさん」
時間はまだ、七時だった。
仕事は八時からなのに、アレンも老婆も、一時間も早く出勤していた。
教会や病院の中には、病室以外、まだ人影はない。
「アレンさん」
「はい。どうかしたんですか?」
教会の電球を取り替えるアレンに、脚立の下から老婆が話しかけた。
脚立を支えながら、老婆は謂った。
「やっと、アレンさんにお礼が出来そうなお金が出来たんです。アレンさんに何かプレゼントがしたいんですが、何を選んだら良いかわからなくて……」
電球を取り替えたアレンが、脚立から降りてくる。
アレンは床の上にタンッと軽く着地をすると、老婆に言った。
「そんなのもう、いいてすよ。フローレンスさん、自分のために使って下さい」
「そういうわけには参りません。是非、何かお礼をさせて下さい。お願いします」
「参ったな……」
そこで、すかさず、老婆が提案した。
「新しい医学書とかどうですか?」
「医学書かぁ……。でも、高いですよ?一冊100ドル以上しますし」
「大丈夫です。今度の日曜日、一緒に選びに行きませんか?」
「本当に良いんですか?」
「もちろんです!」
老婆は、アレンの役に立てそうで、嬉しかった。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
そうして、老婆と青年アレンは、日曜日、医学書を一緒に買いに行く事にした。
次の日。
久しぶり晴れた日曜日。
日曜日は、いつも、仕事は休みだった。
日曜日は、神様が休息だと決めた日だからだった。
朝、10時に、町の本屋の前で待ち合わせをした老婆と青年アレンは、仲良く道を歩いていく。
「やっぱり、医学書って、普通の本屋には売ってないんですね」
「専門書だからね。専用の本屋があるんだよ」
そう言いながらやって来たのは、イギリスのクローバー大学のすぐそばにある、小さな書店だった。
アレンがクローバー大学の学生の時は、よく、この書店を利用していたと言う。
中には、学生や教授らしき人がちらほらいた。
「あ、あった……」
アレンが手に取ったのは、脳に関する医学書だった。
「人間の脳は、その部位によって、役割が違うんだ。だから、病気になると、その部位の反応が出来なくなる。精神分野でも、脳が心に影響を与えているかもしれないと言われているんだ」
「そうなんですね」
「以前、フローレンスさんを介助した時、僕、聞きましたよね?フローレンスさんに、今まで高熱を出したことがないか」
「ええ。赤ん坊の頃に私が高熱を出して、引き付けを起こしたと母親が言っていた事がありしました。でも、どうもなかったみたいですけど」
「フローレンスさんが、人とコミュニケーションが取れない事が、もしかしたら、その高熱から来てるかもしれないんです」
「え……?」
「まだ、明確にはされていませんが、医学の世界ては、小さい頃に頭になんらかの障害を抱えると、大人になった時、発達に問題が出ると言われています」
「それじゃあ……」
「折角、フローレンスさんに医学書を買って頂くので、フローレンスさんの役に立てる本を選びますね」
「アレンさん……、ありがとうございます!」
老婆は、思いがけないアレンの言葉に、更にアレンに感謝し、敬意が増した。
「ありがとうございました」
全部で三冊。
500ドル近くしたけれど、老婆はとっても嬉しかった。
まさか、自分が小さい頃に、そんな障害を抱えていたかもしれないことを知らなかった。
だから、人とコミュニケーションがなかなか取れなかったんだと。
涙が出てきた。
自分の努力不足じゃなかったんだと。
川の土手まで歩いてきたアレンと老婆は、さっき買ってきた本を開いて、アレンは老婆に読み聞かせる。
それを老婆は、心地よく聞き入っていた。
本当は、病気の話だから、怖いんだけれど、でも、怖がっていても、今まで、ずっと知らずに生きてきたし、これからもずっと生きていくんだから、変わりはない。
「海馬と呼ばれる左右の機関に損傷があると、発達が遅れるらしいです。レントゲンを取れば、わかるかもしれない」
「レントゲンって何ですか?」
「体が透けて見える写真の事だよ」
「まあ、恥ずかしい」
「そうじゃなくて、骨や脳や内臓が透けて見えるんてすよ」
「あらまあ」
「大きな大学病院なら、レントゲンを取れる機械があります。一回、撮ってみれば良いかと思います」
「でも、もし、病気でも、どうやって治すんですか?」
「それがまだ、解明されていないんですよね……。すみません、力になれなくて」
「いえ……」
「何かないか、僕も探してみます」
「ありがとうございました。アレンさん」
「いいえ、こちらこそ」
「今日は、とても良い日です。私、アレンさんと会う前は、死ぬことばかり考えていました。でも、アレンさんのお陰で、仕事にもありつけて、毎日がとても充実しています。私、変なところがあるかもしれないけど、私といつも話をしてくれて、ありがとうございます。アレンさん」
「変なところだなんて、とんでもない。もし、あったとしても、きっと病気のせいですよ」
「もし、私が赤ん坊の頃、高熱を出していなかったら、もっと、普通の人生を送れていたのかしら……」
「フローレンスさん」
「もし、私が頭の病気なら、病気が治った頭で、この世界を見てみたい」
「いつか、僕が見せてあげますよ」
老婆がふと微笑んだ姿が、一瞬、風の中で、いつか老婆が送る筈だった、一人の女性の幸せな人生を、アレンは見た気がした。
人は、どうして死ぬのだろう。
大切な人も、いつかは、必ず死んでしまう。
そして、自分も。
その死を前に、愛という姿は、あまりに儚いように老婆は思えた。
せめて、亡骸だけでも、綺麗なままで居てくれたら。
眠るように、安らかにそばにいてくれたら。
そんな願いは、老婆にはわかる気がした────。
もうすぐ春が来ようかとしていた、3月の下旬。
一人のカメラマンが、警察に捕まった。
その男の名前は、ジェイデン・ウィリアムズ。
幼い頃に母親を病気で亡くした事がきっかけで、彼は、ネクロフィリアに目覚める。
ネクロフィリアとは、死体愛好家の事で、ウィリアムズも、盗んだ死体と共に寝食を共にしていた。
彼の書斎には、亡くなった人の死に顔ばかりが集められた写真がコレクションされており、ウィリアムズは、死体に何かしらの癒しを感じるタイプの人間だったらしい。
死体は、盗んできて、早くて一週間で、家のそばの川から流した。
死体は、なるべく死にたてのものを選び、見知らぬ人の葬儀にしょっちゅう参加していた。
結婚はしておらず、家には、猫を二匹飼っていた。
その犯人が、警察の前で語ったのは、死体の安らかな顔がもう一度見たくて盗んだと供述していたという。
それをテレビで見た老婆は、胸が痛かった。
ウィリアムズの事件が発覚したのは、郵便局の配達員がそれを見てしまったから。
部屋の中にいたウィリアムズに、遠くから配達物をと溶けようと声をかけたが届かなくて、窓越しに、そばにいた婦人に話しかけたら、猫が婦人の顔をひっかいていて、それでも目を覚まさない婦人を不振に思って、通報したのだという。
ウィリアムズは、独り暮らしで、一緒に暮らしている人はいるはずもなかったので、それも、おかしな点だったので、発覚したという。
老婆も、もし、アレンたちと出会っていなかったら、自分も、そうなっていたかもしれない。
老婆は、心の中で、そのニュースを淋しく思った。
腐らない死体を手に入れる方法なら、老婆には1つあった。
それは、死神の銃で、人間を撃って、魂を取り出すこと。
そうすれば、寿命まで、腐らない死体が手に入る。
老婆は、ふと、太ももに忍ばせている死神の銃に、ローブの上から手を添えた。
(私が欲しい死体なら、間違いなくアレンを選ぶだろう)
ただし、死んでるアレンより、もちろん、生きているアレンの方がいい。
そんなの、当たり前だった。
死神の仕事を始めるようになってから、老婆の瞳には、いつも、目の前の人の、死ぬ日が、数字で見えるようになっていた。
(アレンは、私より早く死ぬ)
老婆は、自分の寿命を鏡に写して、見ていた。
ご覧頂き、ありがとうございました。
≪登場人物≫
◆ジャスミン・フローレンス(主人公)
70歳の老婆。教会兼病院で、清掃員の仕事をしている。遺体が出た時だけ、納棺師(遺体を洗って飾る)の仕事をしている。
◆アーサー・アレン
見習いの医者の青年。
孤児院出身。
◆ジェイデン・ウィリアムズ
連続死体強奪の犯人。
ネクロフィリア。