第二話 赤毛の少女と赤い靴
電気が通った頃のイギリスの宗教は、カトリック教会ではなく、英国国教会という宗教に変わったようですが、牧師ではなく、神父を登場させたかったので、この物語の中では、カトリック教会と神父になっています。
白いレースのカーテンから、入り組んだ路地裏の通りにも、朝日が差し込む。
昨晩、雨が降ったのか、町の石畳は、まだ濡れていた。
時間は七時。
教会で働くようになってから、老婆は朝を迎えるのが楽しみになっていた。
今日も誰かと出会い、誰かのために役に立つ仕事が出来ることに。
前は、死ぬことばかり考えていたのに、不思議なものだった。
朝食は、目玉焼きとトーストにミルク。
昔は、パン一つ買うのにもやっとだったけれど、今は、仕事のあるお陰で、食生活にもゆとりが出てきた。
そう言えば、毎日同じ服で出掛けている事が、最近、気になっていた。
(仕事着だと思えば、仕事着なんだけど……)
思いきって、新しい服を買おうかと悩んでいた所、台所の近くに置いてある台の上の電話が鳴った。
電話の主は、アレンだった。
なんでも、今日は老婆は日曜日なので、仕事が休みだったが、急な患者が出たので、老婆に来てほしいと連絡が入ったのだ。
日曜日は、病院の医者や看護師も休みなので、人手がなかった。
イギリスの町のほとんどは、カトリック教徒で、日曜日は毎週、教会のミサに参加するのが普通だった。
ミサとは、神に祈りを捧げ、収入の一部(無理の無い金額)を教会に寄付する事である。
しかし、老婆は、人が苦手なので、家でお祈りをしていた。
「私でよければ、お手伝いしますよ?」
「ありがとうございます、フローレンスさん」
ホワイトエンブレム教会に行くと、ミサが行われていた。
その横で、アレンが老婆に手を振る。
「すみません、今日は、フローレンスさんもミサがあるだろうに……」
「いえ、私は人が苦手なので、ミサには行っていませんから、大丈夫です」
「そうだったんですか、それなら、良かった」
「それより、患者さんは?」
「ええ、こっちです」
連れていかれたのは、病院の中のとある個室だった。
そこにいたのは、一人の少女だった。
そばかすのある、赤毛の三つ編みの女の子。
13歳くらいだった。
何の病気なのか、説明もないまま、来てみたら、その少女は、三日前、交通事故に遭ったらしかった。
真夜中だったので、誰に轢かれたのかもわからず、倒れていたらしい。
でも、三日経った今も、家族すら名乗り出てこない。
おかしい。
少女は、三日間、昏睡したままで、名前すらわからなかった。
そこへ、ジョージもやって来る。
「この子、まだ、目を覚まさないのか?」
「ああ。これ以上続くと植物人間になる可能性がある」
「植物人間??何ですか、それは」
植物人間とは、頭に強い衝撃を与えられた人間が、意識のない状態で、体だけ生き続ける状態の事を言った。
「人間の頭って、衝撃を加えると、壊れるんですか?」
当たり前の事を老婆が尋ねる。
「衝撃だけじゃない。熱や毒やウイルスでもやられる」
「…………」
何か、治す方法はないかと、アレンは本を漁るが、なかなか答えが出てこない。
その間に、老婆はなれない手付きで、点滴の仕方を聞き、準備をした。
少女の体も拭いてあげる。
オムツ交換など、一通り出来ることはしたので、フローレンスは、側で座っている事にした。
ジョージには、少女の寿命が見えていた。
あと、1日しか、持たない。
「どこで轢かれたんだったか?」
「三丁目の先の十字路です」
「ああ、あそこか」
三丁目の先の十字路は、交通事故の多い場所だった。
「三日前か、目撃者はいなかったのか?」
死神と言えども、さすがに、少女の名前や、誰が少女を轢いたのかまでは、わからない。
「いえ……」
「持ち物は、何か?」
「これが側に落ちていたらしいです」
「人形……」
それは、手の中にスッポリ収まるほどの小さな人形だった。
少女と同じ赤毛で三つ編みをしている。
「調べてみろ」
老婆は、渡された人形のスカートをめくってみた。
すると、スカートの中に、赤い糸で名前が書いてあった。
≪ナンシー・ターナー≫
「ターナーか……。名字から察するに、靴屋か、鞄屋だな」
「行ってみますか?」
「ああ」
そうして、二人の青年と老婆は、三丁目にある靴屋へ出掛けた。
「この人形に、覚えはありませんか?」
靴屋の名前は、案の定、≪ターナーの靴屋≫だった。
「無い……」
明らかに、見覚えがある反応なのに、靴屋の主人は、その人形を捨てるように、放り投げた。
「何をするんですか!」
アレンが、靴屋の主人に、食って掛かる。
「貴方のお宅に、ナンシーという娘さんはいらっしゃいませんか?うちの病院で、意識不明の重体なんですが……」
「そんな娘は知らん。帰ってくれ」
明らかに父ゆずりの赤毛とそばかすだったが、妙なことに、母親が見つからなかった。
「失礼ですが、奥さまは?」
「逃げたよ。一ヶ月ほど前にな。俺との生活が嫌で」
「……それで、今、奥さまはどこへ?」
その時、靴屋の主人の目の色が変わった。
「あんたら、警察か何かに連絡はしたのかい?」
「そばに落ちていた人形の名前しかわからなくて、身元がわからないんです」
「あまり、首を突っ込まない方がいい。後悔する事になるぞ」
「後悔とは?」
「こういう事だ!!」
靴屋の主人は、突然、仕事道具の刃物をアレンに振り上げてきた。
「わ!」
ジョージと老婆も、咄嗟に、身を翻す。
「お前らも、妻と同じく、革製品にしてやろうか?」
アレンは、それにブチキレて、丸腰で靴屋の主人に向かっていった。
「死体損壊に、殺人の罪。死者への冒涜は、断じて許されない」
ジョージは、怒りに震えながら、死神の鎌を大きく振りかざした。
靴屋の主人は、死神の鎌に魂を刈られ、仮死状態になった。
そこには、アレンの体も転がっていた。
ジョージは、アレンに全てを見せないため、後ろから鎌で魂を刈ったのだ。
仮死状態のアレンが、その場に横たわる。
靴屋の主人の仕事場を探してみると、妻の魂が、店のショーウィンドウに置いてあった赤い靴に、入り込んでいるのが見つかった。
その魂をジョージが回収する。
近所の人が、妻であるマヤさんを見なくなってから、しばらくして、娘、ナンシーさんの轢き逃げ事故が起こった。
妻、マヤさんの死体は、ほとんどが損壊されて、見分けがつかなくなっていたので、この時代の警察には、調査は無理だった。
犯人のマックス・ターナーは、心臓発作の病死と言うことで、肉体と一緒に魂が、白章刑軍に引き渡された。
目が覚めると、アレンは病院のベットで寝かされていた。
「あれ…僕は一体……」
事情のわからないアレンを見て、ジョージが微笑む。
「お前は、犯人に向かっていって、その瞬間、犯人に殴られた衝撃で気を失ってたのさ」
ジョージは、アレンの気になっていることを先読みして答えた。
「心配無用。犯人は、あの場で心臓発作を起こして突然死した」
「突然死??」
「ああ。つまり、病死だ……」
その頃の犯人、マックスは、拘束され、クラーク神父の元へ連れていかれていた。
「明日の朝、貴方が手を掛けた二つの魂が旅立ちます。マックス・ターナー。貴方は、私が必ず地獄へ送り届けます。寿命が来るまで、その魂を地獄の業火に焼かれるがいい!」
神父は、教会の厨房にある釜戸に、その魂を寿命が来るまで燃やし続けた。
「うん、今日のパイはよく焼けたわ」
寿命が来るまでの罪深き魂は、神父の手によって、教会の厨房で、火の役に立てられていた。
次の日────。
「ご臨終です」
ナンシーは、静かに息を引き取った。
アレンは、父親に殺された娘、ナンシーを思い、ナンシーの棺に花を手向けた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
評価やレビュー、よろしくお願い申し上げます。
≪登場人物≫
◆ジャスミン・フローレンス(主人公)
70歳の老婆。病院と教会で清掃員の仕事をしている。
遺体が出た時だけ、納棺師(遺体を洗って飾る)の仕事をしている。
◆アーサー・アレン
見習いの医者の青年。
孤児院出身。
ホワイトエンブレム病院で、研修医として働いている。
◆ジョージ・ホワード
棺職人。正体は死神。
アーサーと同じ孤児院出身。
◆イーサン・クラーク
神父。正体は天使。
美しい青年の姿をしている。
◆ナンシー・ターナー
ひき逃げされた少女。
◆マヤ・ターナー
夫に殺された女。
◆マックス・ターナー
殺人犯。