97 欠片
俺は、自身の左手で短剣を握り、それを硬化させる。
今思えば、俺は奴を挑発などせずに逃げてソフィアに任せた方が良かったのかもしれない。
だけど、今ここで彼から逃げるという選択肢は、当時の俺には持ち合わせてはいなかった。
「……触れているものを硬化させる呪術、ですか」
「……ああ。だから何だよ」
俺の言葉に、彼は目をつむりやれやれと肩をすくめる。
彼の一挙一動が、俺の癇に障った。
叶うのなら、もう二度と見たくないほどに。
「そんな役に立たない力、私には必要ありませんね」
「その役に立たない力に、お前はこれから負けるのだがな」
「ハッ。なら一つ、ハンデを設けましょう。義手を壊してしまった詫びです」
そういうと、彼は両手を開き、俺を受け入れるようなポーズをとる。
そして、目を閉じておちょくるように言い放つ。
「どこか好きなところを攻撃してみてください。勿論、その間こちらは一切手出ししません」
「……ふざけてんのか?」
「お遊びに全力を出すほど子供ではないので」
「なるほど」
俺もそいつの口調を真似て、おどけて相手を挑発する。
だが、彼はそれを意に介した様子は一切なかった。
俺は自身の持てる記憶の限り、その短剣を硬化させる。
もう、既に俺の中でこの戦いが終わったときのことなどどうでもよかった。
俺の中では、メンティラやザールを殺したこいつを殺すことだけしか考えられずにいた。
まるで、そのために生まれた機械のように。
今までにないほど硬化した短剣を目の前で振って見せる。
そして、目の前の空気を切る音と、それに応じて風圧が中庭に咲き乱れる花を切り裂いていく。
……勝てる。この力なら、フォルセ先代国王の野太刀にも匹敵するほどの力を持っている。
「はああああァッ!」
俺は利き手ではない左腕の力を込めて、彼の心臓付近を突き刺す。
すると、すさまじい轟音とともに、周りの木々がざわめき、花弁は空へ散っていく。
それと同時に、俺も短剣も砕け散った。
「な……ッ!?」
「……はぁ、これほどとは」
彼は失望したかのようにため息をこぼす。
何故、奴の方が無傷で、こちらは砕けている?
俺の疑問に気付いたのか、彼はふっと笑って奴が着込んでいる黒いコートの中を見せてくる。
そこには、硬化したまま壊れている、義手の手の甲があった。
「皮肉なことに、君は短剣を硬化させすぎてしまったのですよ。例え世界一固い鉱石でも、面からの圧力は耐えられません。あなたの攻撃と同時に、私はその短剣にこれを打ち込みました」
「……」
「お分かりいただけましたか? 僕とあなたの、圧倒的な力の差に」
「……随分と余裕だな」
勝ち誇った彼の笑みが、一瞬驚愕にゆがむ。
足元には、足首をつかんだザールが不敵な笑みを浮かべていた。
だが、すでに彼は満身創痍で、とても戦える状況じゃない。
「離しなさい。あなたの血で汚れたらどうするのですか?」
「安心しろ。それごと蒸発させてやる」
「……まさか」
「……そのまさかだ。お察しはいいんだな」
彼は皮肉な笑みを浮かべ、もう片方の手でフィオドーラの足首をつかむ。
彼は自由な方の足で彼の顔を蹴りつけるが、それを気にする様子は一切なかった。
……まさか。
「……ザール?」
「……大丈夫だ。こいつに貴様を殺させたりはしない」
「待てよ、待ってくれ……」
「悪いが、時間がない。貴様に最後に言いたいことは一つだ」
「パン、美味かったな」
彼は初めて見るような笑顔でそう言った。
それが、どのパンを指すのかはわかっていた。
もう、既にわかっていたのだ。
それと同時に、彼の周りから火柱が上がる。
その火柱は周りの木々を焼き払い、雪を溶かし、空の対応に届くほどであった。
近くにいる俺の涙すらも、蒸発させるほどに。
「……ザール?」
……ザールは、魔女ではない。
魔法を使える、ただの人間だ。
だから、魔核から生き返ることはもうできない。
よく考えてみれば、当たり前なのだ。
人が生き返ることはない。生き返ることは、自然への冒涜だ。
頭ではわかっているのに、なぜか彼が生き返ることに希望を持ってしまっている俺がいた。
もう、俺の涙は蒸発しない。
そして、彼の姿もない。
ザールも、奴も。
この中庭には、たった一人だけしかいなかったかのように、全て燃え尽きてしまっていた。
一つだけ誰がいた証があるとしたら、そこの地面に突き刺さっている大剣だろう。
それだけは、原形をとどめて存在していた。
「ザール、嘘だよな?」
俺は火柱の立っていた場所に近づき、彼の姿を探す。
だが、彼の姿はもちろん、その骨さえも見つからない。
「なん、で……」
わかっている。
その理由は、わかっている。
俺が、俺が……。
弱いからだ。
涙は止まらない。
止めようとも、思わない。
既に立っていない火柱を消化するかのように、涙をこぼし続ける。
「……やれやれ、ずいぶんと無様だね」
背後から、声がすると同時に、俺の体を冷たいものが貫いた。
それと同時に、俺の身体から力のようなものが吸い取られているような、気味の悪い感覚がした。
その瞬間、俺の失われた記憶が、脳裏をよぎり始める。
そんな感覚の中、俺は自身の中にいる俺の、手を握り、体を貫いている槍を突き放して、自身の胸に手を当てる。
再び、俺の周りに火柱が立ち上がる。
……これは、ザールのものではない。
ただこの中庭に立ち尽くす、俺の力だ。
「……何故生きている」
「何故? そんなの簡単ですよ」
彼はふっと笑うと、持っていた槍で近くの空間を切り裂く。
そこには、俺の居た、魔核に滅ぼされた世界が映っている。
これは、メンティラの力だ。
「なるほど」
「それより、傷が治っていますね。それが賢者としての力というわけですか?」
「……答えてもいいが、足元を見てみろ」
俺は彼の足元を指さす。
そこには、既に足首まで凍り付いている彼の姿があった。
「……いつの間に、と一応聞いておきましょう」
「火柱を立てた時、雪が解け貴様の一部に水がかかったはずだ。その時の水に、俺の魔力を込めておいた」
「……なるほど、無駄なことを」
彼はそれだけ言うと、自身の体を靄にして、俺の背後に立つ。
これは、ダリアの呪術だ。
だが、そんなことを今更気にするつもりはない。
「これを見ても微動だにしないとは、流石は賢者様」
「……もう、二度と口を開くな。開かないでくれ」
俺は自身の体を中心に、雪を伝導体にして電気を溶かし、周りの雪全てを水に変える。
それと同時に、中庭一面が水蒸気に覆われ、照らしていた太陽も見えなくなっていく。
「……何のつもりですか?」
「来いよ。さっきのハンデ、ここでお前に返してやる」
「力が戻ったからって、調子に乗るなァッ!」
彼は怒りをあらわにして、俺の体の心臓に槍を突き立てる。
だが、奴の槍は俺の体に届く前に、体の中から氷漬けになってしまう。
当然だ。この水蒸気は、全て俺の魔力を込めているのだから。
だが、彼は自身の体を靄に変えて、氷漬けの状態から脱してしまう。
「……はぁっ、ラザレス、てめぇッ……!」
「罠はお互い様だろう? これが俺の短剣の分だ。そして……」
俺は足元の水を氷に変えて、彼の体の中央を貫く。
炎ではないが、これは……。
「メンティラの……そして、ザールの分だ」
「……か、は」
流石に堪えた様で、血を吐いたと思うと、槍で体を貫いている氷を切り落とし、そのまま異世界に逃げる。
俺はその姿を見送った後、地面に崩れ落ちる。
「やあ」
俺の消えゆきそうな俺の意識をとどめたのは、俺を見下ろしているぺスウェン国王の姿だった。
彼はこれ以上ないほど満足そうに、俺の姿を見ている。
「ようこそ、異世界へ。気分はどうだい、賢者様?」
「……うるせぇ」
俺の悪態に笑って帰す彼を見た後、俺は近くの壁に寄り掛かり、水蒸気に包まれた空を見つめていた。




