92 成就
あれから、俺たちは無言で馬車に運ばれていた。
勿論、その無言に様々な思惑が見え隠れしていたのは、言うまでもないことだった。
マクトリアに残してきた難民、騎士団、そして、何よりもまずマクトリア国王のことだ。
今思えば、あのように簡単に引き受けてくれたのが、むしろ違和感を感じるほどだった。
しかし、その事実に誰も気づかなかったということは、よほどその時は焦っていたのだろう。
俺は、近くの壁に寄り掛かり、そっと右腕を撫でる。
今思えば、俺の切り落とされた右腕はどこに行ったのだろう。
綺麗な切断面であれば、もしかしたらくっついたのかもしれない。
それに、俺が腕を切り落とされたのもマクトリアで、そこにいたのは先代フォルセ国王。
どういうことなのか、今となっては明確だった。
それに、あの時俺は確かに違和感を感じた。
ザールでも、レンでも、俺でも、ましてや奴でもダリアでもない。
何か他に、誰かいたような気がした。
だが、その事実だけが靄にかかったように、上手く思い出せない。
そんな時、静かに馬車が停止して、メンティラが御者台から顔をのぞかせた。
「ごめんね、この馬は元々この地で生まれたわけじゃないから、少し休ませてほしいんだ。もう日も暮れてきたし、今日はここで休むことにしよう」
「わかりました」
ソフィアがうなずくと、次々に馬車を下りていく。
だが、マリアレットだけは俺の肩に手を置いて、そっと耳打ちした。
「彼は何者だ? 君たちの信頼に足る人物なのか?」
「……メンティラって名前の、ただの御者だよ。少なくとも、彼はこう答えると思う」
「そうか。ありがとう」
彼女はそれだけ言うと、何もなかったかのように彼らの後を追いかけ、馬車に積んであったスコップを持ち、先にかまくらを作っていた彼らに参加する。
俺も数秒遅れて、彼らを手伝うことにした。
しばらくして、かまくらも出来上がり、ザールによる炎で暖を取っていた。
少なくとも、彼が魔王だというのならこの夜に魔力が切れることはあるまい。
だが、問題はザールの身体の方だ。
彼は今、連戦に連戦を重ね、本当なら心身ともにボロボロのはずだ。
だが、彼はそんなそぶりをおくびにも出さず、ただ静かに焚火を燃やし続けている。
「……ザール、休んでもいいんだぞ」
「私が休んだら、いったい誰が焚火を燃やすというんだ?」
「だけど、少なくとも今のお前には休んでほしい。最後にまともな睡眠をとったのはいつだ?」
俺の質問に、顔を伏せて黙り込む。
そして、かまくらの中には静寂が流れ込んだ。
勿論、彼が苦労してきているのは二人も知っているようで、誰も反対の声を上げない。
メンティラは、元々誰かを休めるのに反対するような性格ではない。
「……わかった。だが、敵が来たら必ず起こせ。貴様たちを守るのは、騎士団長である俺の仕事だ」
「……騎士団長?」
「ああ、ザールは今イゼルの騎士団長なんです」
首を傾げるメンティラに、俺はその疑問を解消すべく言葉を放つ。
彼も頭をもたげたようで、納得がいったように彼を見てうなずいた。
だが、既に彼は三角座りのまま、寝息を立て始めていた。
よほど疲れていたのだろう。
それと同時に、焚火の火が消える。
「とりあえず、これからは僕がやるよ。彼よりは小さいけど、我慢してほしい」
彼は少し苦笑して手をかざすと、焚火に火がともる。
確かにザールほど安定はしていないが、十分な温かさだ。
俺も段々とウトウトしてくると、マリアレットの声で目が覚める。
「その力は一体何なんだね?」
「ああ、これは魔法だよ。例外を除き、この世界の人間じゃない者だけが持つ力だ」
「……というと?」
「僕やザール、そして賢者の法の一部。彼らは元々、異世界と呼ばれる場所から来たんだ」
……話してしまってもいいのだろうか、という懸念に、メンティラはうなずいて答える。
まあ、変に秘密にすると、今味方であろうマリアレットさえ敵に回ることになる。それだけは避けたい。
「それで、その異世界から来た人間が、何故ここにいるのかね?」
「扉、と呼ばれるものが、異世界同士をつなぐものになっているんだ。それも、この世界にいる誰かが、僕たちの世界の者と心を通わせ、扉を開いている」
「……この世界に裏切り者がいると?」
「その通り。魔核を中和した後、その人もどうにかしないとまたこの世界に魔女がはびこるんだ」
……マリアレットは何か考え込むように顎に手を当てて何度もうなずく。
彼女のこの動作は、癖のようなものなのだろうか。
「さて、もう一つの質問だ。……と、その前に君からこちらに質問はあるかね?」
「……どうしてだい?」
「だって、こちらばかり質問していては不公平だろう? なら、こちら側も何だって答える。勿論、スリーサイズだってね」
彼女はメンティラを茶化すように言うと、メンティラはそれにも一切動じず口を開いた。
「……君はなぜ、僕たちに協力する?」
「簡単だよ。面白い、ただそれだけさ」
「……」
「おいおい、そんな目で見ないでくれたまえ。面白い、というのは重要だと思わないかい?」
一瞬、ソフィアの眼が鋭くなった気がした。
当然だ。この戦争を、面白いの一言で片づけるのは、若干違和感を感じる。
だが、彼女は言い方こそおどけている者の、ふざけている様子はなかった。
「この世界が滅びるかどうかの瀬戸際なんだ。なら、生き残ろうとする方に賭けて、最前列で君たちを観察したい。これは、研究者としての願いでもあるんだ」
「……ずいぶんと、趣味がいいんだね。それに、察しもいい」
「ありがとう。褒められるのは気分がいいね」
彼女は悪戯っ子のような意地の悪い笑みを浮かべて、メンティラを観察する。
……待て、今彼女は確かに、『この世界が滅びる』といった。
「……どういうことだ。『滅びる』って」
「……驚いた。もうすでに気付いている者だとばかり思っていたのだがね」
「悪かったな。お前と違って頭の出来は良くないんだよ」
……俺が賢者と呼ばれるのを否定したかった個所はここだ。
賢き者というのは、元々魔法以外のことに関してはあまり頭の良くない俺にとっては、皮肉にも感じる。
というか、今思うと何故魔法を使えるものが賢者なのだろうか?
「彼らは完全なる平等について説くが、どういった世界なのかは聞いたことがあるかい?」
「……いや、ない」
「それはそうだろう。だって、平等の後に続く世界なんてないのだから」
……どういうことだ?
もしかして、誰かが上に立たないと腐敗するということを、比喩で滅びるといっているのか?
だが、そんな様子は彼女にはない。
「……物分かりが悪いね。つまり彼らは、平等な世界を成就するためには、世界そのものを壊す必要があると考えているんだ」
「……は?」
「全員死んだら、全員平等だろう?」
一見暴論に見えるその言葉は、まともさを伴っているようにも感じた。
だが、その考えはあまりにも危険すぎる。
「……なら、何故フォルセやマクトリアは彼らに加担する!?」
「フォルセは知らないが、マクトリア国王は気付いていない節すらある。彼はこういった裏をかくのはあまり得意な方じゃないからね」
「なら、教えてやれば……!」
「わざわざ彼らに、『僕たちはあなたが賢者の法とつながっているのを知っています』と手の内を晒しに行くつもりかい? 彼がこちらの言葉をうのみにするとは限らないのに?」
……確かに、それはあまりにも危険すぎる。
今は彼らの思惑に気付いた風にはせず、ただ従っている風を装うのが最も危険が少ない。
「少なくとも、賢者の法を信仰している頭の足りない奴らにとって、私たちは純粋なる悪だ。そのことはわかっていてもらいたい」
「……ッ」
ソフィアが、苦虫をかみつぶしたような顔をする。
……それもそうだろう。彼女は、守るべき民を目の前で失った。
そんな彼女が、悪と断じられるのはどれほどの屈辱か、計り知れない。
俺はそんな彼女に何と声をかければよいかわからず、その夜を過ごしてしまっていた。




