88 右腕
ザールとその男の間に、奇妙な静寂が流れる。
お互い一歩も動かず、互いの動向を探っているのだろう。
俺はその間に自身のコートの袖を硬化させて、リゼットを剣の間合いから遠ざけるように立ちまわる。
ただ、ついにしびれを切らしたのか、ザールが一度大きく息をついて言葉を吐く。
「……時間が惜しい。こちらから行かせてもらう」
フォルセ先代国王はニヤリと笑い、彼の言葉にうなずいた。
そして、一つの風が彼らの間を通過したとき、言葉通りザールの方から剣を振り下ろした。
すさまじい轟音とともに、ザールの舌打ちが聞こえる。
俺には一瞬何が起こったのかわからなかったが、彼らの間を取り巻く砂煙が晴れてくると、フォルセ先代国王の方がその剣筋を受け止めていることが分かった。
「若いな。そして、見苦しい。凶暴な力に振り回されていると見える」
「……そうか? だが、すでに貴様は年を取りすぎて耄碌し始めているようだな」
「……何を」
彼はザールの眼から視線を落とすと、自身の野太刀がザールの炎によって熱せられていることに気付いた。
既に野太刀と大剣の触れ合っている個所は赤く光り、野太刀からは鉄がこぼれだしている。
それを見た彼は、少し考えた後、野太刀をもう一度振り回すがそれもザールに弾かれる。
「下がっていろ先代。貴様のような老人に負けるほど、私は衰えてなどいない」
「……いやはや、流石だな。だが、若い」
……何を言うのかと思ったが、まだ彼はザールのことを『若い』といってあざ笑う。
そんな彼にザールもさすがに呆然としたようで、一瞬だけ彼は気を抜いてしまった。
その一瞬、彼の眼鏡が空中を舞い割れた。
「……ッ!?」
「……貴様の剣は強く、そして凶暴だ。ゆえに、視野が狭い」
「何だ、これは……!」
「残念だが、貴様のこの眼鏡は伊達か。この手ごたえ、レンズではなくただのガラスのようだ」
「何をしたと聞いている!」
「答えると思うか?」
フォルセ先代国王はそれだけ言うと、もう一度彼に野太刀で一閃する。
しかし、今度の威力は先ほどの比ではなく、風圧が俺のコートをはためかせるほどの凄まじいものだった。
ザールはその一太刀をも大剣で受け止めるが、今度はバランスを崩しそのまま壁に叩きつけられる。
「……ガ、ァッ!」
「その力は我が国にとっても、賢者の法にとっても凶暴だ。ゆえに、刈り取らせてもらおう」
その言葉とともに、彼は一歩、また一歩とがれきに埋もれ動けずにいるザールに近づいていく。
だが、そんな彼の歩みを、邪魔するものがいた。
「……貴様。何の真似だ」
「……俺だって、アンタの敵だ」
「敵? 敵というのは、道端を歩く『蟻』のことを言うのか?」
「舐めるなよ。アンタの自信の通り勝てないかもしれないけどな、俺だって誰かを守ることくらいできる」
そう言って、俺は懐から短剣を取り出す。
しかし、取り出した刹那、彼の顔は愉悦にゆがんだ。
「……流石は蟻。手にしている獲物さえも矮小なものとは」
「言ってろ」
俺は彼との間合いを探り、一歩一歩彼の周りを囲うように歩いていく。
そして、完全に彼の隻眼から体を隠すと同時に、そのまま首元に向けて短剣を突き刺す。
しかし、彼はそれを受け止めようともせず、尚且つ避けようともしなかった。
「なっ……!?」
俺は彼のその行動に驚きの声を上げるが、それさえも彼は気にする様子はない。
その態度に次第に腹立たしくなっていき、そのまま怒りに任せ彼の首を切り落とそうとする。
しかし、剣先は彼の首に刺さりもせず、当たっただけで、血さえも出る様子はなかった。
「……何故だ」
「悪いが、私はか弱い乙女のように、蟻が止まった程度では驚かん」
「バカにするのも……!」
「いや、小うるさい分蟻よりもたちが悪い。『ハエ』といったところかな」
フォルセ先代国王はそれだけ言うと、片腕を俺の体にめり込ませた後、シッシッとまるでうっとうしいハエに対するような態度をとられる。
しかし、彼の拳は俺の腹を正確にとらえていて、口の中に血のにおいが充満する。
少しでも口を開けば、血を吐いてしまうだろう。
「……さて、さようならだ。確か、ザールといったな?」
「……く、そ」
「待て!」
俺は手を伸ばして、彼を制止しようとするが、その彼は俺に気付いていないようにザールに近づいていく。
その時、一人の小さな影が、彼に飛びついたのが見えた。
「……また、小うるさいハエが増えたか」
「レン、くん……?」
そこに立ち、剣を彼に突き立てているのは、まぎれもなくレンの姿だった。
しかし、彼の剣も彼には届かず、一滴も血は出ていない。
それに、肝心のレンは、自身のしたことの恐ろしさに気付き、顔面蒼白になって、しりもちをついている。
「ええい、鬱陶しい。貴様らは、私に行かされていることを思い出させてやろう」
「……あ、あ」
「レン! 逃げろ!」
ザールは必死に彼の逃亡を促すが、その言葉さえも届いていないようで、ずるずるとしりもちをつきながら後ずさる。
フォルセ先代国王は、そんな彼に剣を振りかざした後、一閃する。
しかし、その剣先が彼に届くことはなかった。
「……ラザレス、さん?」
「……が、あ……」
「……ラザレス、お前……!」
「あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
俺のけたたましい咆哮が、この街にこだまする。
この咆哮が意味することは、俺の腕の先にあった。
いや、少し違う。
『既にない俺の右腕』が、その咆哮の意味を示していた。
痛い。いや、痛いという言葉では言い表せない。
自身のひじから先の付け根が、まるで焼き尽くされたかのように熱い。
それを必死に止めようとしても、既に止めようとする右腕がないのだ。
血があふれ出て、既に地面には赤い水たまりが出来上がっていた。
「……ラザレス、さん?」
レンが心配そうに俺の顔を見上げる。
しかし、今の俺にそれを気に留める余裕はない。
俺は自身の腕の先から流れ出る血の一部を硬化させて、無理やり血を止めた。
そして、そのままその硬化した血でフォルセ先代国王に殴りかかる。
「あああああぁぁぁぁぁぁ!」
「……ッ!」
彼は俺が殴り掛かるのは予想外だったようで、咄嗟に野太刀で受け止めようとするが、俺の腕はそれよりもはるかに硬く、受け止めようとした彼の剣さえも折って彼に殴りかかる。
そして、そのまま彼の顔に拳の部分にあたるところで殴りつけるが、その時の手ごたえを感じることはなかった。
「……き、さまァッ!」
彼はそのことに激高するが、今は殴り掛かった際にかかる反動で、そのことを気にする余裕さえない。
それどころか、どこか俺の意識が遠のいていくのを感じた。
その時、フォルセ先代国王の周りを囲うように、いつかみたような紫色の靄がかかり始めた。
「……撤退しましょう。これ以上の戦果は望んでも無駄ですわ」
「……だり、あ……?」
「何故だ、ダリア! 私なら、こんなカスどもなど……!」
「いいから」
彼女はそれだけ言うと、そのままフォルセ先代国王を撤退させてしまう。
その時は気づかなかったが、後にして考えれば、その行為はまるで俺を庇うようだった。
しかし、そのことに気付く前に俺の意識は、深い信念に誘われてしまった。




