86 蟠り
俺たちはその日の朝、マクトリアの国王に呼び出され、昨日とは打って変わって光の差し込む暖かい机が印象的な、奥行きが広い会議室に呼び出された。
その机の奥にマクトリア国王が座り、その隣にマリアレットが座る。
そして、三つあるうちの最後の一つにソフィアが座り、国王が口を開いた。
「さて、今日集まってもらったのは他でもない。諸君らは、四大国の一つ、フォルセについて知っているはずだ」
彼女らは無言でうなずく。
彼はそんな二人を見渡した後、続けざまに口を開いた。
「フォルセは知っての通りイゼルに対し、宣戦布告もなく唐突に攻撃を仕掛けた。これは重大な規約違反であり、罰せられなければならない」
「……ですが、彼等の背後には今、賢者の法が付いています」
「そうだ。故に、今はこの三国すべての全面的な協力が必要になる」
二人が同時にうなずく。
……今この場で過去のしがらみにとらわれていてもしかたがないのは、両国の代表も理解しているのだろう。
だが、それは代表の話だ。
ぺスウェンの国民がよくても、イゼルの国民が許さないかもしれない。その逆もしかりだ。
「そういうわけで、ベテンブルグ、マリアレット。両名親善大使として双方の国に使いを出してほしい」
「お待ちください! 今、ぺスウェン国民でこの場にいるのはマリー……いえ、マリアレットだけです!」
「なら、マリアレットが親善大使となればいい話だ。貴様もこの意見に異論はないだろう?」
「ある訳ないだろう? それに、イゼルとの蟠りがないのは私を除いたら、陛下だけだ。なら、消去法で私になることは、既に把握している」
「……だそうだが、ベテンブルグ?」
「……わかりました。それでは、会議が終わり次第マリアレットはこちらへ」
「ああ。わかった」
マリアレットがうなずくと、あとは食料配分や軍備などの話でこの会議は終わった。
肩にのしかかった重いものを下ろしながら会議室を出ると、扉の向こうには壁に寄り掛かってウトウトとしているザールの姿があった。
「……ザール?」
「……ああ。すまないな。仕事疲れだ」
「いや、いいんだ。それより、ザールが返ってきたってことは……」
「ああ。騎士団総員五十余名。そして、イゼル国民四千余名、既に避難を完了した」
「……ッ」
俺は彼が口にした具体的な数字に息をのむ。
あの時フォルセの国旗が掲げられたイゼルの惨状はひどいものだった。
がれきが積み重なり、以前のイゼルのような姿はどこにもない。
そして、数十万といた国民が、四千人強にまで減ってしまったのだ。
この気持ちはソフィアも同じらしく、苦虫をかみつぶしたような顔で、ねぎらいの言葉を絞り出した。
「……ご苦労様です、ザール騎士団長」
「構いません。国民を守るのは我々の仕事です」
ザールも冷静を装ってはいるが、言葉の節々から行き場のない怒りを感じる。
……そんな彼に対しかける言葉が思いつかずにいると、いつの間にか俺の隣にいたマリアレットが、その場に似つかわしくないほど明るい声で俺たちに話しかけてきた。
「お取込みのところすまないが、その避難した民に合わせてはもらえないだろうか?」
「……ぺスウェン人」
「そこの眼鏡君。私の名はマリアレット。ぺスウェン人という名前ではないよ」
「……ザールだ。私も、眼鏡という名前ではない」
挑発するマリアレットに、それをやり過ごそうとするザール。
このままではきっと衝突すると思い彼らの間に割って入るが、それを予期していたかのようにマリアレットが一歩踏み込んだ。
「ではザール。後で少し話したいことがある」
「……何の用だ」
「何、簡単な質問だ。とはいえ、君からすればこれ以上ない難問ともなるか」
「……手短にしろ。こちらはまだ、騎士団の体調管理が終わっていない」
「もちろん」
……一瞬、本当に衝突するかと思ったが、そこは双方が抑えてくれた。
肩をなでおろすと、そんな俺を見てソフィアがクスりとだけ笑うと、そのまま扉から見て右手の方向へ進んでいく。
俺も、そんな彼女の後ろを半歩遅れて追いかけることにした。
案内された場所は、とてつもなく大きな競技場のような場所だった。
壁も、床も石でできていて、真ん中を囲うような高台に、椅子になるであろう段差がある。
そこに、イゼルで見たことのある人たちが、思い思いの場所に散らばっていた。
「……これが、今生き残っている人たちなのか?」
これがその景色を見た時に出た感想はだった。
別に声に出そうと意識したわけではない。
純粋な気持ちからの、つぶやきだった。
「……すいません」
「あっ、違うんだ! ソフィアが悪いわけじゃなくて……」
「今は後にしろ。それよりもマリアレット、貴様はこれからどうするつもりだ」
「どうするも何も、こうするしかないだろう?」
マリアレットは息をついた後、そのまま椅子に座っている彼らの間をかき分けて、高台から飛び降りて中央に立つ。
そして、そこからこちらに届くまでの大声で、彼らに言い放った。
「諸君、一度諸君らに話がある。こちらを向いてほしい!」
突然の大声に、ちらほらとうわさ話をするものや、好奇の眼で彼女をみやる人たち、反応は様々だった。
だが、彼女はそんな彼らに対して何度もうなずくと、もう一度口を開いた。
「私は諸君らの憎む、ぺスウェンの民の一人だ!」
……突然のカミングアウトに、時が止まったかのように感じた。
その言葉に対する反応も様々で、彼女に対して罵倒するものや目を背けるもの、そして、まったくの無関心の者までいた。
だが、それでも彼女は話し続けていく。
「だが、今諸君らの最も憎むべき敵はなんだ! 諸君らの家を焼き、幸せを奪い去った忌むべき存在は、どこにある!」
「それは、フォルセに他ならない!」
俺は、彼女の言葉に賛同するように声を張り上げる。
……俺は今彼女の部下なのだ。このくらいの補佐はしても罰は当たるまい。
だが、その事情を知らないソフィアやザールは、突然のことに目を丸くしていた。
しかし、その事情を知っているマリアレットはこちらに向けて一度微笑むと、また口を開く。
「そうだ! 罪もない諸君らを打ち滅ぼさんとするこの世の悪。それは、フォルセである!」
「……そ、そうだ!」
彼女の演説に感化されたのか、数人の人たちが彼女の演説に賛同し始める。
もう彼女の演説に手助けはいらないだろう。
「そして、諸君らの盾となってくれたこの心優しいマクトリアを滅ぼさんとするのも、フォルセに他ならない!」
「そうだ!」
「そこで、我がぺスウェンは、マクトリアの懐の広さ。そして、諸君らのくじけぬ闘志に惹かれた! 故に、マクトリアの矛となり、諸君らの盾となることをここに誓おう!」
彼女の言葉に、会場は静まり返る。
だが、今度は先ほどと違い、誰もがかたずをのんで彼女の様子をうかがっていた。
そして、その時ザールが口を開いた。
「いいだろう! 我がイゼル騎士団は、ぺスウェンの助力を歓迎する!」
「……ザール」
「奴のことは気に食わん。だが、貴様の友となれば話は別だ」
そう言って、彼はぎこちなく笑みを作る。
……俺は少しだけそんな彼の様子に、吹き出してしまいそうになった。
だが、彼の言葉は効果てきめんで、既に会場ではぺスウェンの名を叫び続けるものまでいる。
「諸君らの同志の仇は、我々でとろう! 我々が力を合わせれば、フォルセなどおそるるに足らず!」
その言葉に、無関心のようだったものまで、拍手を送り始める。
そんな彼女の様子を見て、ソフィアがそっとつぶやいた。
「……凄いですね、マリーは」
「……ああ」
「……私も、あんなふうに……」
彼女はそれだけ呟くと、うつむいてそれきり何も言わなくなってしまう。
だが、そんな彼女の沈黙を打ち破るかのように、会場にはぺスウェンの名が鳴り響いた。




