85 失踪
その日の夜、俺はソフィアの部下としてマクトリアの国王に呼び出された。
ソフィアの部下、という部分にマリアレットは不服を抱いていたが、それを気にしていても仕方がない。
呼び出された内容については、記憶が鮮明なためすぐに思い出せる。
「……霧のことかな」
「おそらく。この国に霧はあまり発生しないのでしょう」
ソフィアと扉の前で話し合う内容について談義した後、彼女のノックの音で打ち切られる。
そして、各々自身の身分を明かした後に、入室を許可された。
部屋の中は複数人の兵士が横に並び、その奥にある玉座に座っているマクトリアの国王らしき人物がいた。
壁に塗られている深緑と、一つだけの窓が、その場の雰囲気を重苦しくしている。
それはソフィアも感じたらしく、一瞬顔をゆがめるが、それを悟られないように一瞬で表情を直し、膝をつき頭を下げた。
俺もそんな彼女につられるように、膝をついて頭を下げた。
「イゼル国代表ベテンブルグ、並びに補佐。まかり越してございます」
「ああ。楽にしてくれ」
「ハッ」
ソフィアはその言葉とともに顔を上げる。
俺もそんな彼女に合わせて顔を上げると、国王とばっちり目が合ってしまった。
その時、暗くてあまりよく見えずにいた国王の風貌をやっと目にすることができた。
薄い褐色の肌に、紺色の瞳と髪。そして何より、年齢としては俺とあまり変わらないことに驚愕していた。
だが、彼はそんなことを意に介すこともなく、話を続ける。
「さて、内容としてはそちらは概ね理解していると判断していいか?」
「はい。夕方ごろ突如現れた濃霧のことと存じ上げています」
「そうだ。……いや、少し違うな。合ってはいるが、論点はそこではない」
「あの濃霧の後、国民の過半数が行方を消した」
彼の言葉に、その場がざわつき始める。
だが、国王はそれをとがめるでもなく、彼女の答えを待ち続けた。
そんな中、彼女は言葉を選ぶように、慎重に口を開く。
「申し訳ありません。私には、何のことだか……」
「責めているわけではない。このことは、我が国が初めてではないのか、と聞いている」
「いえ、以前イゼル領内の村が同様の霧に襲われたことが記録されています」
「それはどうなった?」
「……多くの民が、姿を消し、その後の消息は未だつかめていません」
……流石に、「町の人が魔族になった」などとは言えないのだろう。
それに、この国は魔族について把握してないかもしれない。
そうなったら、魔族に詳しい俺たちが疑いの目を向けられるのも当然のことだ。
流石に、それはソフィアも避けたいのかもしれない。
しかし、どこか言葉を選んでいると感じたであろう国王は、一瞬口をゆがませると、面白がるように口を開いた。
「……ところで、報告にはベテンブルグ卿はその時外出していたと聞いたのだが、そのことについても聞かせてもらおう」
「それは……」
考えられる限り最悪の言葉に、ソフィアの顔が青くなっていく。
俺たちはまだここに来たばかりの身で、その来たばかりの身が表れたとたんに霧が発生したのだから、疑われたら確実に不利な立場になる。
だが、そんな時扉が開け放たれて、招かれていないはずの女性の声が室内に響いた。
「彼らは、私の宿で話をして、その帰りに仮面をかぶった謎の人物に襲われたんだ。むしろ彼らは、被害者だよ」
後ろを振り向くと、そこには腕を組んでニヤニヤとした笑みを口元に浮かべているマリアレットの姿があった。
それを見た兵士たちが次々に剣を抜き、彼女の無礼をとがめるが、国王はそれを片手を上げただけで制止した。
「……マリアレットか。久しいな」
「ああ、久しぶり。私が彼女を庇う理由がわからないわけではないだろう?」
「他国の者ならば口合わせはできぬからな。この件は不問としよう」
俺は彼女の不遜な態度に驚いて何も言えないでいると、そんな俺を見て涼しげな口元をゆがませ、一笑した。
非情に腹立たしい態度だが、助かったのは事実なので、何も言い返せずに、国王の言葉を待つことにした。
「さて、マリアレット技術顧問がイゼルの者と同行しているということは、ぺスウェンとイゼルは同盟を結んでいると取って構わないのか?」
「……と申しますと?」
「我が国マクトリアもイゼルと同盟を組んでいる。なら、ぺスウェンがイゼルと同盟を組んでいるのならば、ぺスウェンもマクトリアと同盟を組んだ方が話が円滑に進むはずだ」
ソフィアは質問に答えあぐねていると、マリアレットは涼しげに言い放った。
「構わない。だが、ぺスウェンはまだ反イゼル派が多く根付いているから、その点を踏まえて同盟を組んでもらうとありがたい」
「いいだろう。して、反イゼル派ではない者は、国内にどのくらいいる?」
「私と国王。その二人だけだ」
あまりの事実を、彼女は悪びれもせずに口に出す。
当然のごとく、周りの兵士がざわつき始めるが、彼は反対に、彼女の言葉に大きく笑った後、息をついて言葉を放った。
「……なるほど。やはり貴様は面白いな」
「恐悦至極。それで、どうする? 同盟を組むというのなら、私が必ず国王に伝えて見せよう」
「ああ。組ませてもらう。イゼルも構わないな?」
「え、ええ。むしろ、お願いする立場にございます」
まるで親友のように言葉を交わす二人を見て、目を丸くしながらも言葉を正さないソフィアに、少しだけ感心した。
そして、その場にはマリアレットだけを残して、俺たちは部屋に戻ることになった。
俺たちは衝撃が未だ抜けず、ただ呆気にとられながら客室に戻った。
そして、扉を閉めると同時に、ソフィアと相互に顔を見合わせる。
「……マリーって、ぺスウェン人だったんですか!?」
「あれ? 言ってなかった?」
「言ってませんでしたよ! ぺスウェン人って言ったら、ずっとイゼルと敵対してきた国なんですよ!?」
「うん、それは知ってる」
……というか、以前ぺスウェン人から聞いた。
そんな俺にとって、驚くべき箇所はそこではなかった。
「……マリアレットって、マクトリア国王と知り合いだったんだ」
「……なんか、凄い人ですね」
彼女は夢見心地にそう言うが、俺もそうだったため人のことを言える立場でもなかった。
ソフィアは疲れがどっと出たようで、一番上のコートを外套を脱ぐと、そのままソファに体を預け、横になり目をつむる。
俺も彼女に倣うように近くの椅子に座り、腰掛に頬杖をついた。
……疲れた。
だが、発言をしているソフィアの方がきっともっと疲れているのだろう。
流石、ベテンブルグに遺書で後継人と指名されただけのことはある。
この出来事は、きっと俺やザールでは乗り越えられなかっただろう。
俺はため息をついて顔を見上げると、そこには以前ソフィアの部屋で会ったメアが、こちらを見下ろしていた。
……そうなると、俺が見上げる形になっているため彼女の豊満な胸が顔の近くにあることに気付き、咄嗟に顔を下げるが、そのことを彼女が気にする様子はない。
「お疲れ様です、ラザレス」
「……メア。急に現れないでよ」
「まあまあ」
彼女は上機嫌に笑いながら、俺に紅茶を差し出してくれる。
俺はそれに一口つけると同時に、彼女が向かい側の椅子に座った。
「ベテンブルグ……いえ、ソフィア様は、凄いでしょう?」
「うん。本当にすごい。俺だったら恐縮して、何も言えなくなっちゃうな」
「確かに」
……確かに?
彼女の言葉には何か引っかかるが、いちいち咎めるほど心に余裕がないわけじゃない。
「今は、実質イゼルの国王なのに、その権限を振りかざすことなく、必死に外交を進めてる。……本当に、凄いと思いますよね」
「……うん」
「……先代のベテンブルグ様も、似たようなことが昔あったんですよ」
俺がその言葉に顔を上げると、それに微笑んだ後、自分の側にあるティーカップに紅茶を注いぐ。
そして、一口すすると、懐かしむような口調で話し始めた。
「……先代ベテンブルグ様は、ぺスウェン人なんです。でも、あの土地は戦争のたびに支配権を持っている国が変わっていて、今ではイゼル人とぺスウェン人。そしてその混血しか住んでいませんでした」
「……そうだね」
「しかし、ある日ベテンブルグ様は一度イゼル本国まで、民を連れて逃げたことがあるんです。そしてそこで、彼は国王に頼み込みました」
「『ぺスウェンを倒してほしい。そのためなら、私の知能や財産、すべてイゼルのため尽くすと約束する』と」
彼女は懐かしむような眼で、角砂糖を一つ追加し、かき混ぜる。
だが、それだと彼はリクの言った通り、売国奴になってしまう。
「何故、それはぺスウェンじゃないんですか?」
「ぺスウェンは知っての通り極寒の地です。民の中には、お年寄りは子供も少なくありませんでした」
「……なるほど」
「彼もぺスウェン人のため、その極寒のつらさを知っています。だから、自身の故郷を捨て、イゼルに亡命したんです」
「……」
「その戦争の勝敗は、知っての通りイゼルの圧勝です。そのあと、イゼルとぺスウェンは、先々代イゼル国王の慈悲で、イゼル有利の形で不可侵条約を結ぶことにしました」
「……でも、それで話は終わりじゃないんです」
彼女は先ほどから飲んでいた紅茶を飲み切り、先ほどとは打って変わって真剣な目で口を開いた。
「ベテンブルグ亡命のことに激怒した先代……ですかね? ぺスウェン国王は、丁度その時本国に帰郷していたベテンブルグの奥様と子供を、処刑しました」
「……え?」
「そして、そのことを彼……ベテンブルグ様が知ったのは、その出来事の翌年のことです」
「彼は民を守るために、故郷と家族。両方とも失ったのです」
彼女はそう言い放つと、話は終わりとばかりに、俺の紅茶のお代わりを注いでくれる。
……確かに、彼は見ようによってはぺスウェンを売った。
だが、彼を売国奴と罵れるのだろうか?
「長話に付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした」
彼女の言葉にうなずくと、もう一度リクの言葉について考え始めることにした。




