84 濃霧
街にはびこり始めている濃霧。
俺たちはその正体を、一度目にしている。
砂漠の街の、あの異常な光景を。
「……ソフィア。城に戻ってて」
「嫌です。今ここで戻ったとしても、ラザレスは戻るつもりはないのでしょう?」
「まあ、それはそうだけど……」
「なら、戻りません。一緒に行きます」
「……気持ちはうれしいよ。でも、今の君は俺だけじゃなく、国民にとっても大切な存在なんだ。だから、戻ってほしい」
「なら、ラザレスが守ってください。勇者を導くのが、マーキュアス家なのでしょう?」
屈託のない笑みでそう告げるソフィア。
俺はそんな彼女に苦笑を浮かべ、懐の短剣を抜いて周囲を警戒し始める。
「ザールは、戻ってないの?」
「はい。撤退するところを敵に見られないように、タイミングを見計らっていると、騎士の一人から伝言が」
「そっか。じゃあ、あいつが来るまでにこれをどうにかしないとな」
ザールは確かに俺よりもはるかに強い。
だが、そんな彼に頼ってばかりでもいられない。
ソフィアも同じ意見らしく、賛同するようにうなずいてくれる。
そんな彼女を一瞥した後、霧の町を歩き始める。
そこで、俺は一つだけ以前と違う箇所を見つけた。
人が誰も外にいないのだ。それも、子供さえも。
まるで、この街にいる人間は俺たちだけのような、そんな気さえしてくる。
そのためか、普段気にもしていない足音が、鮮明に聞こえてくる。
そしてその足音は、俺たちの正面から向かってくるのに気付いた時、それは正体を現した。
「……」
「仮面の、人間……」
それは、いつの間にか賢者の法に加担していた、シルヴィアのゴーレムそのものだった。
彼は、俺たちが敵と判断するや否や、剣を抜いてこちらに襲い掛かってくる。
その出来事に一瞬対応が遅れ、剣を突き出すと、その剣だけをはじきとばすように切り裂いた後、そのまま俺の体をなで斬りにしようとしてくる。
しかし、はじかれた瞬間身を後ろに寄せていたためか、その件先は俺には届かなかった。
「……強い!」
俺は一瞬の打ち合いの際に、そいつの強さに気付く。
……いや、違う。強さというよりも、やりにくいのだ。
まるで、まったく構えがなっていない初心者と対面するような、そんなやりにくさ。
だが、彼の検査履きは初心者の者では決してなく、むしろ俺よりもはるかに上手に見えた。
俺は、そんな心の動揺を悟られまいと、短剣で彼の体を一閃しようとすると、そのたびに俺の剣が見切られているかのようにはじかれてしまう。
そのたびに、霧の中を切り裂くような金属音が俺の耳に入り、自身の気が一層引き締められる。
そんな時、そいつの気をそらすかのように、横からソフィアがレイピアの先端で彼の体をつこうとする。
流石の彼もここで彼女が援護してくることは読めなかったらしく、弾くことは弾いたのだが、大きくバランスを崩してしまう。
そんな彼の一瞬の隙を見逃すわけにはいかないため、短剣で彼の顔を思い切り一閃した。
だが……。
「クソッ、浅い!」
俺の踏み込みはもう半歩足りず、彼の仮面をなでるだけになってしまった。
だが、その時、その仮面が切れ込みから外れた。
そして、そこから現れたのは、間違いなく人間の顔だった。
だが、人間の顔をしているだけで、感情のないくぐもった目をして、こちらを睨む……というより、見つめている。
見た目としては、長い銀髪を後ろでまとめた、誠実そうな男だった。
「……なんだ、これは」
そう、見た目だけは人間なのだ。
だから一瞬、俺の剣の動きが鈍くなってしまう。
その瞬間、俺の短剣は彼に弾き飛ばされてしまう。
「ラザレス!」
ソフィアが俺の名前を呼ぶが、時すでに遅し。
彼の剣は、俺の首に添えられて、身動きが取れない。
後ろに飛んだとしても、それを彼が見逃すわけもない。
万事休す、といった時に、もう一人涼しい声をした女性が、こちらに歩いてきた。
「……よくやったわね。上出来よ」
「……シルヴィア、さん」
「お久しぶり。何故私がここにいるのかは、説明した方がいい?」
「何故、賢者の法に力を貸すんです!? そんなに平等が大事ですか!?」
シルヴィアはまくしたてる俺がやかましいといった風に、髪をかき上げる。
そんな仕草の一つ一つが、今の俺の癇に障った。
「別に。大事でもないわ。上下なんてものは、古来からあったものだもの」
「なら、何故……!?」
「人間に希望が持てないの。この世界の、一人一人に」
シルヴィアは憂鬱そうにため息をつく。
その姿は見る人によっては華麗に移るのだろうが、今の俺にとっては腹立たしいことこの上なかった。
「だってそうでしょう? 生まれた時から欲にまみれ、あわよくば生殺与奪すら自身のものにする。そんな愚かな存在が、好きになれて?」
「そんな人間ばかりじゃないのも知らないで……!」
「知ってるわよ。でも、彼は……ベテンブルグはもう死んだの」
彼女からその言葉が出て、一瞬怒りに我を忘れそうになる。
もしかしたら、ダリアの術のせいかもしれない。
それでも、今の彼女だけは許せなかった。
「自身の評価など興味がなく、ただ人に仕え続けた彼は、もう死んだの。一度も救われることはなかった」
「……ッ」
「今思えば、私は彼を尊敬していたのかもしれない。だからこそ、今の人類に希望が持てないの」
「彼というたった一人の『人間』が死んでしまった今は、ね」
俺は気が付くと、自身の袖を硬化し始めていた。
勿論、これは首元の剣をどかすためだったが、今自由にされるとその袖で彼女を殴り殺してしまうだろう。
そんな時、ソフィアが彼女の首を剣先で穿ち、そのまま壁に突き刺していた。
「……人でないあなたが、それを言えるのですか?」
「ええ。見てきたから」
「『見てきた』? 笑わせないでください。人の痛みも知らない節穴のあなたが一体何を見てきたというんですか?」
「そんなの、理解する必要がないわ」
「……なら、私もあなたを理解などしません。この命尽きるまで、あなたを否定し続けます」
そう語るソフィアの声には、隠しきれない怒りがにじんでいた。
そして、そんな彼女を助けようと動き出す男の腕をつかみ、そのまま壁にたたきつけ、足元に落ちていた短剣を拾い上げ、彼女たちに言い放つ。
「見たかよ。これがアンタの否定した人間だ。人間でも魔女でもないアンタたちが一生手の届かない、今を生き続ける人間の力だ」
「……そう。だから?」
「ハッ、強がりもそこまで来ると無様だな」
「……無様。そう、無様……」
彼女は俺の言葉をぶつぶつとつぶやくと、こらえきれないといった風に笑い始める。
そして、今度は整った口元をゆがめ、勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。
「無様なのは、あなたよ。ラザレス=マーキュアス」
「……は?」
「私の呪術はゴーレムを作ることじゃない。『モノに命を与えること』。そして、そのゴーレムはあなたの見識通り人間そのものなの」
「……だから、何だというんだ」
「いいことを教えてあげる。そのゴーレムの名前はね……」
「『スコット=マーキュアス』。あなたの父に他ならないわ」
一瞬、その言葉で時が止まったようだった。
スコットという人物が、俺の父だと?
馬鹿げている。そんな人物の名前は、聞いたことがない。
だが、そんな俺とは反対に、剣先は揺れ始めている。
そして、目からは涙が流れ落ち、彼を傷つけるのを必死に庇うようだった。
俺はそんな自分が、気が狂いそうなほどに腹立たしかった。
「……なんだよ、こいつは」
「ようやくわかったようね。本当に、馬鹿な男」
「……クソがあああああぁぁぁぁぁ!」
俺は自分の腕を奮い立たせるように、そのまま彼の首を一閃しようとしたが、すでに彼の姿はなかった。
それどころか、先ほどから話していたシルヴィアの姿もない。
周りには人だかりと、俺を不審な目で見つめるソフィアの姿しかなかった。




