83 忘却
俺はマクトリア城の従者から出された食事を終えて、城外にある街をうろついていた。
マクトリアの街並みとしては、白い石の家が多く、周りは木に囲まれていて、比較的温暖だ。
そして何より、桃色の花が咲き乱れる木が山の中に所々見受けられ、それを照らす赤い太陽の、どこか儚げな、美しい景色が目に入った。
俺は城の前の曲がりくねった道を囲う柵に手を置いて、しばらくその景色に圧倒されていると、不意に後ろから話しかけられる。
「綺麗ですよね。あれは『桜』というそうですよ」
「……ソフィア」
「なんでも、ここマクトリアでしか見れない貴重な木と聞きました。しかも、見れる時期はものすごく限られているとか」
彼女は、得意げに胸を張って、俺にどこからか得た知識を披露してくれる。
俺はそんな彼女を見て、思わず笑ってしまう。
……別に、マリアレットと比べて凹凸のない体だとか、失礼なことは思っていない。
そうではなく、なんとなく彼女が楽しそうにしているのが嬉しいのだ。
綺麗なものを見て綺麗といえる、素直な彼女に会えた。
それだけでも、俺には十分だった。
「ソフィアはさ、今度こそ賢者の法を倒したらどうするの?」
「……そういえば、考えたことはないですね。ラザレスはどうしたいんですか?」
「俺? 俺、か……」
質問しといてなんだが、実のところ俺も考えてはいなかった。
本心としては、ソフィアの隣にいたい。
でも、そんな気恥しいことが言える訳もなく、月並みな言葉でごまかしてしまう。
「……俺も、わからないかな。でも多分、今よりはずっとましな生活してると思いたいな」
「これ以下はそうそうないですよ。国が占領されて、他国に難民として受け入れられてる現状よりも」
「はは、そうだね」
……そういった冗談を言えるくらい朗らかに成長してくれて、本当に良かった。
そんな父親じみたことを思いつつ、彼女の端麗な顔を見つめる。
「……あのさ、ソフィア」
「はい、なんでしょう?」
「何かを忘れるって、どういうことだと思う?」
俺の突拍子もない問いに、首をかしげるソフィア。
夢であるのは理解しているが、それでも本人に尋ねずにはいられない。
……夢というのは、一説によると俺が見たり聞いたりして体験したものを、記憶の断片から成り行き任せに抽出させているため、見るものだと聞いたことがある。
だから、あの恐ろしい夢も……。
だが、あの夢とは対照的に、彼女は柔らかく微笑んで答えてくれた。
「仕方のないことだと思いますよ。楽しいことを忘れてしまう代わりに、辛いことも忘れられる。だから、私たちは楽しいことを覚えていようとするんですよ」
「……そっか」
「まあ、昔の記憶がない私が言っても逃げていると言われてしまうかもしれませんが」
彼女は言葉を付け加え、寂しそうに笑う。
俺はそんな彼女を見て、思わず抱きしめてしまう。
「……え?」
「俺も、君のことは忘れない」
「それって、どういうことですか?」
……実のところ、彼女に俺の呪術のことは話していない。
そのせいで、彼女に余計な心配をかけたくないからだ。
それでも、俺は記憶を失う辛さを知っている。
思い出そうとしても、どうしても思い出せない。
悔しくて、頬を濡らしたこともあった。
「……えっと、ごめん。なんでもない」
「え、あ……。はい」
俺は彼女の体から手を放す。
……ふと冷静になって考えてみると、急に恥ずかしくなってきてしまう。
そして、俺の手に残る柔らかな感触が、その思いを助長させていた。
「……ラザレス、どうしたんですか? なにか、ちょっとだけ変わったような」
「変わった?」
「はい。どこか、その……大人びたような、感じが」
大人びた、という言葉の意味に疑問を抱いてしまう。
……俺は何も変わってはいない。変わったことがあるとしたら、それはアルバを殺した時に、大切な何かも壊してしまったのだろう。
だけど、そのことを彼女に話しても仕方がない。
「ありがとう。でもきっと、錯覚だと思うな」
「……そうですか?」
彼女はそれ以上言葉での追及はやめたが、視線は未だ俺の変化を探っているように感じる。
俺はそんな彼女から気をそらすように、城から少し離れた場所にあった橋に寄り掛かり、話を切り出した。
「結局、マクトリアはイゼルへの支援を受け入れてくれたの?」
「いえ、マクトリア国王陛下は、難民はイゼル陛下との約束であるため受け入れはするが、挙兵についてはまだ考えさせてほしいと」
「……やっぱり、上手くはいかないのか」
「……すいません。私の力不足です」
彼女は肩を落とし、顔を伏せてしまう。
俺はそんな彼女の顔を覗き微笑んだ。
「ううん。ソフィアはよくやってくれてるよ。俺たちじゃきっと出来ないことだから」
「……そんなこと」
「ある。俺じゃきっと、難民受け入れに対する受諾すら得ることは厳しいと思う」
……残念ながら、俺は上に対する交渉術などは持っていない。
そんな俺からすると、彼女は十分頑張っているといえるだろう。
「ありがとうございます。なんだか少し、楽になった気がします」
「構わないよ。それに、俺も少し楽になったからね」
「……本当ですか?」
彼女は俺の言葉をお世辞と思ったのか、少し意地の悪い笑みを浮かべた。
だけど、俺の気が晴れたのは本当だ。
「それじゃあ、少しだけ歩いてから帰るよ。ソフィアは?」
「私も、一緒に歩いてから帰ります。帰っても、執務に追われるだけですから」
「サボるの?」
「ええ。サボります」
何の躊躇もなく笑顔でそう答える彼女に、笑ってしまった。
城につながる坂道を下りながら、城下町の往来を歩いていると、ふと今まで気になっていたことが頭に浮かんだ。
今まで何となく聞かなかったことだが、実はずっと気になっていたのだ。
多分、このことを聞こうと思ったきっかけは、夢の中のソフィアだろう。
「あのさ、ソフィア」
「はい」
「ソフィアってさ、なんでいつも敬語なの?」
俺の突然の問いに、彼女は目を白黒させる。
一瞬不味いことを聞いたのかと思い弁解の言葉を考え始めるが、その考えを遮るかのようにソフィアのかわいらしい笑い声が空に響いた。
「あはははは! い、今更それを聞くんですか?」
「確かに今更だけど、ずっと気になってたんだよ!」
「あははは! えっと、それはですね、別に深い意味はないんですよ」
「そうなの?」
「はい。敬語じゃないと、どう話せばいいのかわからない。それだけなんです」
あっけらかんと答えてくれるソフィア。
確かに、敬語ではないソフィアは少しだけ考えつかない。
「でも、別にラザレスと距離を取りたいわけじゃないんですよ? なんとなく、相手に失礼な口調で話したくないなーって思ったから、敬語で話しているだけなんです」
「慇懃無礼というやつかな?」
「ちょっと違いますが、遠からずですね」
会話を終えてソフィアが息を整えると、また家々に囲まれた道を歩き出す。
この街の家は白色一色ではあるが、イゼルの無機質な感じとは違い、どこか温かみがあった。
だが、そんな街並みに見惚れていると、急にこの街を覆い隠すほどの霧が発生し、先ほどまで輝いていた夕焼けも、さらに輝きを増していた。




