82 悪夢
俺は頬にあたる冷たい風で目が覚める。
外は暗く、壁の場所も見当がつかない。
だが、そんな俺の体を薄明るく照らしている、赤い花が俺の体を支えていた。
……なんだ、これは。
声を発しようにも、口がパクパクと開くだけで何も言えない。
だが、先ほどの頭痛は嘘のように消えている。
俺はそのことを確認した後、立ち上がり歩き出した。
とりあえず、この場所がどこか把握しなくてはならない。
その思いで俺は前へ歩いていく。
……いや、本当は前ではないのかもしれない。
俺が向かっている場所は、本当は逆かもしれない。
そんな漠然とした不安を抱えていると、急に視界が開け、眩い光が俺の眼を照らし出す。
そこは、魔族と人間の死体が入り混じった場所だった。
それは薄暗い灰色で、俺はその中心に立っている。
なによりも、俺を動揺させたのは、この景色に見覚えがあったからだ。
ここは、俺が生き残った戦場だ。
鼓動が速くなり、汗が噴き出てくる。
目を閉じようにも、どうにも閉じることはできない。
まるで、俺の瞼が意図に引っ張られてるかのように、その景色から目をそらせないのだ。
俺はそこから逃げるように必死に走った。
すると、足元を照らしていた赤い花びらが飛び散る。
まるでそれが、俺の踏み抜いてきた血だまりのように、俺の足にべったりとくっついた。
だが、そんな些末なことを気にする余裕はない。
俺は走り続け、ある異変に気が付いた。
周りの死体が、見たことある人たちに置き換わっていたのだ。
ベテンブルグやアルバなど、既に死んでしまった人の中に、ザールやメンティラなど、生きている人までもが横たわっていた。
それでも、俺は眼を閉じることはできない。悲鳴を上げることさえも、俺の体は許さなかった。
苦痛に心が折れそうになった時、俺の前にソフィアがたっていた。
彼女はいつものように俺に手を上げて、微笑んでくれる。
そんな彼女に意思表示しようと右腕を伸ばすと、腕の先から指の先までが赤い花に覆われ、風に飛ばされる。
そして、俺の肩から先の腕は、どこかへと消えてしまった。
「……うあぁ!」
俺は悲鳴を上げて、ベッドから起き上がる。
無機質な時計の音、白い雲に覆われた空が窓から顔をのぞかせている。
周りには白い壁、そして茶色いドア。
「……夢、か」
そういえば、彼はこの世界は夢だといっていた。
ならば、覚めるのが道理だ。いや、覚めないとおかしい。
俺はひとまず得られた平穏に安堵し、いつの間にかかいていた冷や汗を左手で拭う。
夢から覚めたとなると、ここはすでにマクトリアだろうか?
なら、既にソフィアとも合流しているということだ。
だが、俺の異変にマリアレットが気付いたのか、今は近くの民泊に俺を休ませている、というところだろうか?
俺はとりあえずベッドから体を起こすため、手をついて起き上がろうとするが、腕の感覚がないためそのまま転倒してしまう。
「はは、あんな夢見たからかもな」
俺はもう一度右腕に力を籠めるが、また力が入らない。
流石に不審に思い布団をめくると、俺の右腕はどこにもなかった。
「……え?」
「何を変な顔をしているんですか? ラザレス」
声のする方へ向くと、ソフィアが冷たい目でこちらを睨みつけている。
俺はそんな彼女にすがるように、震える声で尋ねた。
「……ソフィ、ア。俺の、腕……」
「はぁ? もともとそんなのなかったじゃないですか」
「え? 何言って……」
「……うるさいなぁ」
ソフィアはそうつぶやくと、そのまま俺に人形のようなものを投げつける。
俺はそれを見た。見てしまったのだ。
それは、人形なんかではなかった。
俺の、首だった。
「う、うわあああああぁッ!」
俺は思わず悲鳴を上げて、彼女を振り切り走り出す。
だが、扉を開けて走ろうにも、そこには先ほどから俺がいた部屋につながっているだけだった。
それも、ベッドには俺の頭を抱えた俺が微笑みながらこちらを見つめている、異質な光景が広がる部屋に。
頭を抱えた俺は、俺に問いかける。
「何故逃げる?」
「逃げ場などないのに」
「逃げた先に何がある?」
「なにもない。逃げた先からも、俺は逃げ続ける」
「ならば俺はどこにいる?」
「どこにもいない」
「ラザレス=マーキュアスは、俺ではない」
その言葉は、まるで三人のように聞こえた。
頭だけの俺、それを抱えた俺。
その二人しか、この部屋にはいないはずなのに。
俺はその光景が恐ろしくなり、元来た道を急いで戻る。
だが、俺が戻った先に俺の知っている景色はなく、赤い絵の具で塗られた壁に、ソフィアが壁を向いて横たわっていた。
そんな彼女を唖然として見つめていると、俺の存在に気が付いたのか、首だけをこちらに向け、目を見開いた。
「……ソフィア?」
「忘却が意味するものはなんだ」
「え?」
「それは死だ。存在を証明するものは、他者のみだ。他者の記憶のみが、自身の存在証明」
「その役割を、貴様は放棄した」
「選べ。貴様は自身を何とする。自身を何と仮定し、何を為す」
……違う。ソフィアじゃない。
彼女の言葉は機械的で、意思が感じられない。
そんな時、俺の唇を何かが触れたような気がした。
それに気を取られたとき、赤く塗られた部屋は、黒く染まっていく。
「選べ。この問いは、貴様への慈悲だ」
その声が俺の頭の中に響き、残響として頭に残り続けた。
だけど、反対にソフィアは闇に消え、この世界は俺一人になった。
その孤独が怖かった。
この黒が、この闇が、一つ一つ俺を責めているかのように感じた。
そんな時、俺の頭の上に光が差した。
その先には、巨大な手が俺の頭にめがけて降りてくる。
それを見た何かは、残念そうに言った。
「……残念だけど、時間だね。お兄さん、最後に言っておくよ」
「僕は賢者の法だけど、お兄さんの敵ではないよ。そして、この夢は忘れないでね」
その声は、大人と子供の声が入り混じった、奇妙な声だった。
「……待て!」
俺は右腕を伸ばし、その何かを追いかけようとする。
だが、その先は何もなく、空をつかむばかりだった。
「……良かった」
俺は自身の右腕があることに安堵するが、同時に警戒もした。
もしかしたら、ここも夢かもしれない。
その可能性に頭をもたげ、周囲を見渡した。
暖かい木材の壁に、白いシーツとベッド。そして、ベッドの隣の椅子にはソフィアが座っていた。
「ソフィア!?」
「きゃっ! な、何大声出しているんですか?」
「ソフィアだよな、ソフィアなんだよな!?」
俺は彼女の腕をつかみ、動向を観察する。
だが、彼女は苦痛に顔をゆがめ、口を開いた。
「痛い! 痛いです、ラザレス!」
「……あ、ごめん」
「まったく、何なんですか? 良い夢を見ているような表情をしたと思ったら、まるで悪夢でも見ていたかのように取り乱して……」
……良い夢? あれが?
そんな生易しいものではない。できるのならば、もう見たくない。
俺の様子を不思議そうにのぞき込むソフィアに気を取られていたが、その背後にはマリアレットが顎に手を当てて立っているのに気づく。
「……起きたかい? ラザレス」
「マリアレットか。ここは……?」
「マクトリア城内。とりあえず、難民を受け入れてはくれたみたいだ」
マリアレットは肩をすくめ、近くの椅子に腰かける。
俺はそんな彼女の様子を見て、椅子から立って俺の様子をうかがってくれていたことに気付いた。
「……ありがとう、マリアレット」
「礼なら私より先にその女性に言ってくれたまえ。彼女、突然君が倒れたと私が言ったとたん、大慌てで……」
「ちょっと、それは言わないでくださいって……!」
「そうだった。忘れてくれ」
からかわれて赤くなるソフィアに、マリアレットは悪戯っぽく笑う。
俺はそんな彼女たちを見て、ようやく悪夢から抜け出したと実感できた。
「……」
だけど、最期にあの声が言った言葉が、俺の心をとらえ続けてしまっていた。




