80 陥落
俺は、マリアレットに連れられて、リゼットの手を引き雪道を駆け抜けた。
なんでも、今回の脱走にぺスウェン国王は承諾したらしいが、この意見に異を唱えるものも多いらしい。
故に、馬車など目立つ者での移動はできないらしい。
その代わり、俺たちはマリアレットから城を出る際に防寒具をいくつか渡された。
ファーのついた帽子やコート。そして靴。
特に靴は俺たちが履いていた靴の上から履けるため、中々防寒性が高い。
リゼットにはそれとは別に、かわいらしい熊のマフラーが支給された。
しばらく駆け抜けていると、雪に覆われた林に突き当たる。
先導するマリアレットが雪林に入ろうとすると、急に俺の手をつかんでいたリゼットが立ち止まった。
「……綺麗」
「え?」
「あ、あそこです。ほら……」
彼女の指さす先には、雪の中から顔を出そうとしている太陽の姿があった。
その太陽の光が雪を照らし出し、まばゆい光が俺の眼に届いてきた。
「……凄いね」
俺は息をつきながら、その光景に圧倒される。
そんな時、銀色の包みに覆われたチョコレートがマリアレットから手渡される。
「一休みしよう。その少女に合わせて行こうじゃないか」
「……いいんですか?」
「ああ。ここまでくれば反対派も追いかけてはこないだろう。それに……」
彼女はおずおずと話しかけてくるリゼットの頭に手を伸ばし、そのまま頭をわしゃわしゃと撫でた。
リゼットはその手を両手で押さえると、マリアレットから俺に手渡されたチョコレートと同じものを手渡される。
「心の変化は大切にしたまえ。いつかその経験は、大きな財産になる」
「……はい!」
リゼットは彼女からもらったチョコレートを口に頬張ると、本当においしそうに顔をほころばせる。
そんな彼女を微笑みながら見つめるマリアレットに、つい口から言葉がこぼれてしまう。
「……優しいんだな」
「私は開発者と同時に研究者だ。私の研究資料に乱暴などしないよ」
「研究資料?」
「ああ。人の心の動きは一瞬で微々たるものだ。しかし、私たちはその心の動きを表現するすべを持たない」
「……へえ?」
「私は、そういったものを表現する方法を知りたい。兵器などという無骨なものを作っているが、同時に人の心についても理解したいんだ」
「なら、心理学者になればいいだろ? どうして兵器開発に?」
「『死』だ」
彼女は太陽の方向に向き直る。
俺はそんな彼女の横顔を見つめていた。
「人の心の起伏が最も激しい時。それは、目の前で人が死んだ時だ。恐怖、焦燥、そして、歓喜。多くの感情がその瞬間に詰まっている」
「……ああ」
知っている。
俺は目の前で、守りたい人間を殺されたことがある。
その時、俺は自分でもどうしようもないほど動揺したことだろう。
「だが、勘違いするなよ。私は死そのものには興味がない。人の死など、無でしかない。これは、研究の余地などないということだ」
「……そうか」
俺は彼女の透き通った瞳を見つめながら、渡されたチョコレートを頬張る。
甘い。
多分、製法の過程に砂糖が含まれているのだろう。
「……そういえば、チョコなんてどこで手に入れたんだ? ここじゃ原料も育たないだろ?」
「輸入品だよ。マクトリアからの。この国はそういった嗜好品はマクトリアからの輸入に頼っている」
「そうなのか?」
「ああ。だが、甘いものはこの極寒の土地では貴重だ。そういった面でも、マクトリアには救われているな」
彼女はそういうと、こちらに笑顔を向けてくる。
……彼女の口調は大人びてはいるが、こういったところは見た目通り女の子らしいため、心臓に悪い。
「なるほど、なかなか興味深い」
「……何が?」
「その感情は私はまだ詳しくない。そういった点でも、君はいい実験材料になりそうだ」
「だから何が?」
俺の問いには答えず、何かニヤニヤしながら物思いにふけり始めるマリアレット。
……見た目は可憐な美少女なのだ。だから、彼女の笑みは心臓に悪い。
そんな時、俺が目をそらした先にいたリゼットが俺を睨みつけた後、ふいと顔を背ける。
「……お兄さん」
「ん? どうしたんだい?」
「なんでもないです。もう行きますよ!」
リゼットは急に立ち上がり、そのまま林の中を歩いて行ってしまう。
マリアレットはそんな彼女を見て、さらに口角が上がっていく。
「……なるほど。本当に面白い」
「だから何がですか?」
「いや、君は本当に面白いな。君を連れてきたのは正解だったかもしれない」
マリアレットはそう言って、高笑いしながらリゼットの後を追いかけていく。
俺はそんな彼女の後姿をワンテンポ遅れた後、走って追いかけた。
日が俺たちの頭の上を照り始めるまで歩いたのち、林の途中から明らかに雪の量が少なくなってきた。
気温もだんだん暖かくなり、先ほどまで着ていたコートももう必要なくなってきた。
俺はそのコートを腕に下げて、前を歩くマリアレットを追いかけていると、彼女は振り向かずにこう告げる。
「……さて、良い知らせと悪い知らせ。どちらが聞きたい?」
「……良い知らせから」
「おめでとう諸君。イゼルについたぞ」
「だが、ここはイゼルではなく『フォルセ』になっているがな」
……俺は一瞬、彼女の言っている意味が分からなかった。
だが、しばらく考えたのちに、その言葉の意味を理解した。理解してしまったのだ。
「……まさか、イゼルが陥落した?」
「その通り。見てみるといい」
マリアレットは近くの茂みに身を隠しながら、指をさす。
その方向には、ザール率いる騎士団ではなく、見知らぬ鎧を身にまとった男たちが駐屯していた。
「賢者の法と彼らが無関係、とは考えにくいな」
「……まさか、四年前のイゼルのように、フォルセが?」
「さあ? 私は四年前とやらのことを詳しく知らないのでね」
「あ、あ……」
リゼットはあまりのショックからか、声を漏らしながらしりもちをついている。
俺はそんな彼女の腰を抑え、注意深く彼らの動向をうかがう。
その時、彼らの中心には、ニコライと一緒にいたような仮面の人間が、指揮官として彼らに命令を与えていた。
「……フォルセ!」
「落ち着け。君は今、二人足手まといを背負っているんだ。たとえ君が滅茶苦茶に強くとも、この戦力差では勝てまい」
マリアレットはちゃっかり自分を足手まといに含め、俺を制止するが、それだけで俺の怒りを抑えられるわけがない。
……いや、違う。この感覚は以前感じたことがある。
感情を増幅させる力を操る女性による、この感情を。
「……ダリアァ!」
俺はその感情を抑えきれず、茂みから飛び出し彼らに短剣を突き立てようとする。
その時、俺と彼らの間をふさぐように、炎の壁が立ちふさがった。
「……ラザレス、その感情は貴様のものではない」
「ザール……!」
「だが、その我らイゼルを想う気持ちだけは、私が汲もう」
俺の目の前に突然現れたザールが、そのままフォルセ兵を焼き尽くし、仮面の人間の首を切りおとす。
そして、そのまま俺の体を持ち上げて、俺が飛び出してきた茂みに走って戻る。
「……ソフィアはすでに民をマクトリアまで避難させている。ここに残っているのは殿を務めた私だけだ」
「貧困層の人たちは!?」
「今やフォルセの襲撃により、指揮をとれる者はソフィアだけだ。今戦場における絶対的な権利を持つ者も、またソフィアだ」
「……そっか」
……そうじゃないと、アリスのような人がまた出てきてしまう。
そんな悲しいことは、もう起きてほしくない。
「……この人は?」
「ああ、この子がリゼット=パートリッジ。そして、こっちが……」
「私はマリアレット=クレセント。ラザレスのお友達だ」
あっけらかんとそう答えるマリアレットに、俺は驚きを隠せなかった。
だが、今ぺスウェンとイゼルは良い関係とは言えない。ここでぺスウェンとつながっているとは言えないのだろう。
「……私の名はザール。名字はない。良いところの生まれではないからな」
「よろしく頼む。さて、君はこれからどうする?」
「マクトリアに向かう。貴様はどうする? ぺスウェン人」
……ザールの言葉に、一瞬時が止まったかのように思えた。
だが、マリアレットだけは不敵に笑みを浮かべ、彼の眼鏡をのぞき込む。
「無論、私もそうしよう。ラザレスは君の友達かもしれないが、同時に私の部下でもあるからな」
「……部下?」
「……それはまた今度説明するから」
ザールは大剣を杖代わりに立ち上がり、「わかった」とだけ言うと、マクトリアの方向へ走り出す。
俺たちも彼の後に続いて、その場所を後にした。




