77 雪国
俺はリゼにコートを渡し、雪を踏みしめ歩き続ける。
周りにはまばらに木が生えているだけで、ほかに何かある気配はない。
……寒い。一歩歩くたびに体力が削られていく。
のども乾いてきて、腹も減った。
俺は地面の雪に手をかざし、手に乗るだけすくった。
それをそのまま口に運ぼうとするが、すんでのところで理性が止める。
「……確か、雪で水分補給はまずいんだったな」
体が冷える上に、温めるのに余計な体力を使うからだそうだ。
だが、このままではまた先ほどのように本能で飲んでしまいそうだ。
「何か入れ物があればな……」
俺はポケットの中を探るが、煮沸に使えるものは見つからない。
肩を落とし、歩き続けていると、突然何者かに呼び止められる。
「止まれ、そこの二人!」
振り向くと、青い帽子を深くかぶり、首元にある白いファーが特徴的な青いコートを着こなした男性が、俺たちに向けて弓矢によく似た何かを向けてきていた。
その何かが分からない以上、うかつな行動はできない。
そのため、俺はすぐさま手を挙げて、降伏の意思を示した。
「いや、驚かして悪いな。アンタたちの服装は、ここらへんじゃ見かけないから、一応警戒のためにな」
「いえ、いいんです。俺たちはイゼルからの……あー、旅の途中だったんですが、道に迷ってしまって」
「……イゼル? そりゃまた遠いところから来たもんだな」
男は感心したように息をつきながら、横に下げていた鞄から、しわくちゃになった地図を俺たちに見せてくる。
「いいか? ここがイゼル。そして、そこから北に行くと、俺たちの国『ぺスウェン』だ。アンタたちがいる場所は、そこから少し離れたとこだな」
「……ぺスウェン?」
「おいおい、聞いたことないのか? まあ、俺たちの国は『四大国』の中じゃ最もへんぴな場所にあるから、知らなくても仕方がないけどよ」
そう言って豪快に笑う男性に、リゼがおずおずと口を開く。
「あの、『四大国』って何ですか?」
「え? ああ、嬢ちゃんは知らなくても無理ないか。四大国ってのは、凄い国の名前をまとめてそう言うんだ」
「イゼルも、その四大国に?」
「ああ。イゼル、マクトリア、フォルセ。そしてここ、ぺスウェンだ」
俺も本を読み漁っているときに聞いたことがある。
イゼルはなんでも世界一学問が進んでいて、世界的に見ても識字率はトップなのだそうだ。
逆に、失礼な話だが、ぺスウェンという国に気をひかれる点は見つからなかったため、印象も薄いのだろう。
「ぺスウェンは確かに四大国の中じゃ低い位置にいる。だけどな、この国はきっと、世界を引っ張る技術国になるぜ?」
「そうなんですか?」
「ああ。その証拠にこれ、見たことあるか?」
男はニヤリと笑って俺に持っていた弓矢のようなものを見せてくれる。
俺はそれを眺めていると、得意そうに説明してくれる。
「『クロスボウ』って言ってな。最近支給されたんだが、これが中々のもんでよ。ちょいと見てな」
「は、はい」
俺は言われたとおりにそのクロスボウを見ていると、彼はそのまま近くの木を狙って、人差し指の部分を少し押す。
すると、すさまじい音を鳴らしながら風を切り、矢が気の深くまで突き刺さる。
「凄いだろ。これさえありゃ、他の四大国とも渡り合えるぜ」
「……確かに。これは凄い」
「しかも何より、見た目がかっこいい。俺みたいな……」
男が語り始めようとすると、遮るようにリゼがくしゃみをした。
俺もその彼女を見て寒さを思い出したかのように震えだしてしまう。
「……あ。悪い。どうもこういう話は長くなっちまうな」
「そうですね。男のサガというものでしょうか」
「お、わかってくれるか! やっぱり男のロマンってのはいいよなあ」
男は一番上のボタンをはずして、中のマフラーをリゼにかけてくれる。
「臭いかもしれないけど、死ぬよりはましだろ?」
「……ありがとう、ございます」
「どういたしまして。さて、アンタら遭難者なんだろ? とりあえず、うちに来な。腹減っただろ?」
「あ、はい!」
男は豪快な足ぶりで、雪を踏みしめずんずんと歩いていく。
俺たちもそんな彼の後姿について行くことにした。
彼は家に着くと、そのまま靴を脱がずに家に入っていく。
彼の家は外から見ると、茅葺き屋根に、白い壁。そして、玄関のドアであろう扉が、二つあるのに驚かされる。
内装としては、黒い木の床に、白い壁。そして、何よりも天井が突き抜けるかのように高く、部屋を隔てる壁もないため、家に入るとすぐにかまどのようなものが目に入った。
「……ああ。イゼルの人たちは、靴を脱ぐんだったな。まあ、どっちでもいいぜ」
俺たちが入りあぐねているのに気付いたのか、かまどの近くに座り俺たちに手を振ってくれる。
しばらく考えた後、俺たちは靴を手で払った後、履いたまま上がることにした。
「そういや、名前聞いてなかったな。アンタたちの名前は?」
「ラザレスです。それで、こっちがリゼット」
「俺は『リク』。珍しい名前だろ?」
俺たちの考えを見透かすように言った後、豪快に笑いだす。
そして、しばらくしたのちに、彼は近くのかまどに火をつけた。
「ま、朝飯の残りで悪いけどよ。食べれるうちに食べときな」
「ありがとうございます」
「……ありがとう、ございます」
「おう。こういった寒い場所だからこそ、助け合わねえとな」
俺は彼の恩情に感謝しつつ、彼から手渡された皿と箸を受け取り、鍋を開けると、丸い肉の塊と、緑色の野菜が、熱湯の中を漂っていた。
俺は肉と野菜を同時にとって、そのまま口に入れる。
「……うまい」
「だろ? 全部食ってもかまわねえぜ。まだ蓄えはあるからよ」
「……ご馳走になります」
俺の遠慮しない態度がおもしろかったのか、また笑いだしてしまう。
だが、彼に不満といった様子は一切なく、俺たちを笑顔で見守ってくれる。
「そういやアンタたち、イゼルから来たって言ったよな?」
「はい。それが何か?」
「ベテンブルグって人知ってるか? 実は俺、あの人とちょっとしたことで知り合いなんだよ」
彼は何でもないように俺の答えを待っている。
俺は少し答えあぐねた後、口を開いた。
「……それは、先代当主のことですか?」
「あ? ベテンブルグの当主は今は違うのか?」
「はい。今はソフィアという少女が当主を継いでいます」
「……そうか。あの人、逝っちまったのか」
彼は俺の言葉を聞いて、表情を暗くしてしまう。
やはり、多くの人に彼は慕われていたのだろう。
その事実が、俺の胸に突き刺さる。
「……実はな、俺の姉はあの人に嫁いだんだよ」
「そうなんですか?」
そういえば、いつだったかベテンブルグには妻がいたという話をメアが口からこぼしていた。
だが、なんとなく口に出しづらいことだから黙っていたのだが、今ここで聞くとは夢にも思っていなかった。
「ああ。それで、少し前にあいつも逝っちまった。理由は詳しくはわからねえが、そん時あの人は、人が変わっちまったかのように覇気がなかったんだ」
「……それは、想像しにくいですね」
「まあな。だから、励ましてやりたかったんだが……。そっか、逝っちまったか」
リクは眼を閉じて、少しの間黙り込む。
その間、沈黙が流れるかと思ったが、一人の少女の寝息がそれを妨げた。
見ると、リゼットは相当疲れていたらしく、俺に体を預けて眠ってしまっている。
リクもそんな彼女を見て、苦笑しつつもクロスボウを持ち、玄関へと向かっていった。
「それじゃあ、俺は見回りに戻るぜ。これでも一応、ぺスウェン国騎士団副団長を務めさせてもらってるからよ!」
「わかりました。少しだけ、この家お借りしますね」
「おう。寒けりゃ服も好きに来てくれて構わないからな。まあ、臭いって言われるかもしれねえけどよ!」
リクはまた豪快に笑いながら、戸をぴしゃりと閉める。
俺はすっかり冷めてしまっている皿の上の肉を口に運び、しばしの間彼女の枕代わりになっていた。




