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71 満月

 俺は夜までの時間をイゼルにある図書館で過ごし、閉館時間を過ぎる少し前に、彼女の言った場所へと向かった。

 ……本当は、一度家に戻りたかった。お金も、借りた本もあちらに置いてきてしまったのだ。

 だけど、彼らが待ち伏せていたとしたら、今度こそあの隻眼の男に殺されてしまうだろう。


「……腹、減ったな」


 俺は空腹には慣れているほうだったが、今日はものすごく疲れた。

 早朝からランニングしたと思ったら、今度は賢者の法が進行しているという情報を得たのだ。

 本を読んでいる時間だけが、俺の中に安らぎを与えてくれる。


 俺は腹をさすりながら目的地に着くと、まだ誰も来ていない事実を確認した後、地べたに座り込み、ランタンに火打石で火をつける。

 そして、ランタンについている火で暖を取っていると、急に俺の頬に冷たいものが当たった。

 見ると、そこには瓶に入った酒が、俺の頬にくっついていた。


「駆けつけ三杯ですよ、ラザレス」

「……遅れてきたのはそっちだろ?」

「隠れてたんですよ。こうして驚かせるために」


 つまみであろうリンゴを持ちながら、くすくすと悪戯っぽく笑うソフィア。

 ……初めて会った時の印象とはまるで違う事実に、苦笑してしまう。


 俺は彼女から注がれた酒の入っている杯をもらい、そのまま一気に飲み干す。

 ちなみに、この世界で酒を飲むのは十五歳かららしい。俺の世界は二十歳からだったので、そこにはカルチャーショックを受けた。


 それよりも、俺はもう一杯彼女に注いでもらい、今度はゆっくりと味わいながら飲む。

 美味い。柑橘系のさわやかな味だ。


「あと一杯ですよ」


 せかすような彼女の笑顔に、誘われるまま最後の一杯を飲み干す。

 杯といっても俺の手のひらほどしかないため、飲み干すのに苦労はない。


「ソフィア。どうして俺を呼び出したんだ? 酒に付き合えって話じゃないだろ?」

「ああ、そうですね。一緒に会ってほしい人がいるんです」

「あってほしい人?」


 俺の質問には答えず、彼女は「こっちです」とだけ言うと、踵を返してイゼルへ向かう。

 そして、城下町にある門を左手に歩きだし、しばらくすると、ポツンと一つだけ大きな墓が置かれていた。

 俺はその墓を知っている。彼の……ベテンブルグの墓だ。


「……しばらく戻れそうにありませんから、挨拶しておこうかなと思いまして」

「……うん、そうだね」


 俺は彼の墓の前で手を合わせる。

 ……彼は死んだ。その事実を受けいるのに、短い時間では足りなかった。

 ほとんど俺の親のようなものだったのだ。スコットが死んだときのように、夜は涙で枕を濡らした。


「そういえば、どうしてこの場所に墓を?」

「遺書に書いてあったんです。イゼル国内ではなく、イゼルの外で私たちを見守りたいって」

「……そっか」


 なんとも、彼らしい。

 俺はその言葉を口の中で飲み込むと、俺は墓の近くに座って彼女に杯を向ける。


「じゃあ、飲もうか」

「……そうですね。これだと、彼が困っちゃいますよ」


 ソフィアは苦笑しつつも、俺の隣に座ってお互いベテンブルグの墓に向かう。

 そして、お互いの杯に注ぎあった後、杯をぶつけて飲み始めた。


 しばらくたったのちに、ソフィアが口を開いた。


「いつだったか、私はあなたに『隠し事をしてほしくない』って言いましたよね」

「……そうだっけ?」

「言いましたよ」


 ……そうだっただろうか?

 不味い、記憶にない。だが、冗談じゃないといえる雰囲気ではないので、笑ってごまかすことにする。


「……私もあなたに謝らないといけません」

「え?」

「実は、私には五歳までの記憶がないんです」


 ソフィアは杯を見つけながら、真面目な声で話始める。

 俺はそんな彼女の横顔を見て、美しいと思ってしまう。


「ベテンブルグによると、両親の虐待や周りの過度な期待がストレスで、そうなってしまったといっていました」

「……期待?」

「勇者の血を継いでいましたから。たとえ、何かできても『勇者だから当然』という言葉で返され、誰にもほめてはもらえない、と当時の日記に書かれています」


 ……勇者だから、か。

 俺は黙って彼女の横顔を見続けるが、彼女は構わず話し続ける。


「ある日、私は知らない場所にいました。それが、親に捨てられてなのか、自分で夜逃げしたのか。未だにわかりません」

「……」

「その時、私はベテンブルグに拾われました。後でその理由を聞きましたが『見捨てられない』という理由だったそうです」


 ……彼はマーキュアス家をお人よしと呼んでいたが、その話を聞くと、彼もねは相当なお人よしだったらしい。

 俺はその事実が、少しだけおかしく感じた。


「辛かったんだね」

「さあ、どうなのでしょう。私はその時の記憶はありませんし、両親が誰なのかもわかりません。勇者の家系といえども、血の薄い両親には関係のない話らしいですし」

「そっか」


 俺は顔を上げて、満月を見上げる。

 何故だか今夜の月は、危険なほど魅力的だった。

 いや、もしかしたら酔いが回っているのかもしれない。


「……そういえばソフィア。どうして君は男性用の貴族服を着ているんだい?」

「ドレス、歩きにくいんですよね。それに、高いですし」

「ああ、お金の問題か……」


 そればっかりは俺にはどうしようもない。

 どうだっていいが、男性用のほうが安いものなのだろうか?

 装飾過多のものが多いし、なんとなく男性用のほうが安そうだが。


「……ベテンブルグなら、今回の件はどうしたんでしょうか」

「……さあ? でもきっと、君の決断を間違いだなんて言わないと思うよ」

「そうですかね?」


 ソフィアは俺の言葉に疑問を抱いたかのように言うが、表情は穏やかなものだった。

 俺はそんな彼女から目をそらし、ベテンブルグの墓に目を向ける。

 そして俺は、そっと彼の墓に一杯だけ酒をかけた後にまたソフィアへと目を戻した。

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