70 進行
俺は彼らの後ろをついて歩くと、先ほどの扉よりもはるかに大きな扉と向かい合う。
俺はそこの門番のような男たちに呼び止められるが、ソフィアの直属の補佐ということになり、深い追及を逃れられた。
なんでも、彼女の補佐は給料はいいが仕事内容がきつすぎるそうで、補佐がころころと変わるのは珍しくないらしいことを、門番の男から耳打ちで伝えられた。
そして、門が開け放たれると同時に、複数の重鎮であろう男たちとともに、イゼルが俺の正面に座っていた。
正面と言っても、その部屋は他の者とは違い、床には赤いじゅうたんが敷き詰められ、広さも以前見た大聖堂ほどだ。
その光景に、俺は一瞬呑まれてしまう。
「……よくぞ来た、ベテンブルグ卿。楽にせよ」
「御心のままに」
数歩前に歩くと、二人が片膝をついて彼の前に頭を下げる。
俺も数秒遅れて、彼らのように膝をついた。
「さて、貴公はもう知っているだろうが、国民が失踪する異変がこの国を騒がせている。そして今日、もう一つ重大な情報が入った。そのことについて貴公の意見を仰ぎたい」
「私の至らぬ知恵でよければ」
……正直、しっかりと国民のことを考えているイゼルの姿を見て、驚きを隠せなかった。
それもそのはずだ。四年前は、俺たちの活躍を全てかっさらった張本人なのだから。
「貴公らは、賢者の法を覚えているな?」
「……はい。勿論忘れることなどできません」
「今日はその件で呼び出したのだ。……その賢者の法が、我が国へ進行しているとの情報を得た。国民をたぶらかしているのも、奴らの仕業であろうともな」
「その情報は確かなものなのですか?」
「うむ。信頼できる者からの情報だ。偽りだとしても、無碍にする意味もあるまい」
確かに、嘘だとしても警備を固めておいて損はしない。
俺の意見にここにいる者たちも同意見らしく、同じく黙りこくっている。
「それで、今二つの案が出ている。撤退と抗戦だ。その二つのどちらかを、貴公に選んでもらいたい」
「……私めに、ですか?」
「うむ。どちらと答えたとしても、私はその意見に賛同しよう。気楽に考えるがよい」
イゼルはそういうが、周りの者たちの意見は同じらしく、皆一様にソフィアを睨みつける。
だが、彼女はそれには一切ひるまず、臆せず口を開いた。
「撤退すべきかと。今民草に賢者の法と戦争するなどと情報が洩れたら、余計な混乱を招きます」
「うむ。貴公がそう言うのならそれが最善なのだろう。して、私からも一つ案を出そう」
「貧困層の民に、しんがりを務めてもらう」
国王の言葉に一瞬ざわつくが、周りの男たちも国王の意見に納得したのか、わくような拍手が送られる。
しんがりというのは、後退する部隊の中で一番最後に撤退する、いわば防衛線ともいえる役割だ。
それを彼らにやらせるということは、彼は……。
その時、拍手の音を切り裂くかのようにザールが口を開いた。
「お待ちください、陛下」
「……何か言いたいことが?」
「貧困層といえども我らイゼルの民。そのイゼルの民を守るのは、我ら騎士団の務めではないのですか?」
「貴公の申し出は誠に良い心がけだとは思うが、ここで彼らを守って何の意味がある?」
「……おっしゃる、意味が……」
「彼らは衛生的に問題がある。そんな彼らと長旅など、多くの民の心身に影響を与えてしまうだろう。それに、病気を患っている可能性も断定できぬ」
……彼の言っていることは、非常に残酷で、合理的だ。
だからこそ、ザールの付け入るスキがない。
今度こそ静かになった一室に、もう一度拍手が沸き上がる。
その中に交じったギリッという歯ぎしりの音だけが、俺の心にとどまり続けた。
「クソッ!」
ザールが思い切りソフィアの執務室で壁を殴る。
彼自身やりきれない思いを、合理的な意見でねじ伏せられてしまったのだ。
「……ザール」
俺は彼の名前を呼ぶが、続く言葉が見つからず黙ってしまう。
彼の後姿を見たら、何も言えなくなってしまったのだ。
「わかっている。だが、やりきれないことだって、私にはある……!」
「……ごめんなさい。私があの時撤退を勧めなければ……」
「お前のせいじゃない。誰のせいでもない。だからこそ、やりきれない……!」
ザールはそれだけ言うと、「すまない」と付け足して部屋から出て行ってしまう。
そして、部屋には俺とソフィアだけが残された。
「ラザレス。あなたも早めに避難してくださいね。ここも直に戦場になるかもしれません」
「……いや、俺も戦うよ。賢者とは、これで決別するんだ」
「ラザレス、まだ……」
「違うよ。俺は俺、あいつはあいつ。だから、今度こそ殺してやるんだ。あいつを解き放ってやれるのは、俺だけなんだよ」
……これで終わりにしなくてはならない。
賢者の名を冠したものの犠牲者は、俺だけで十分なのだから。
「……今夜、あなたと話したいことがあります。良ければイゼルの近くなる湖で落ち合いませんか?」
「え? いいけど、どうしたの?」
「その時に話します。絶対に来てくださいね」
俺は今まで以上に真剣なまなざしをしたソフィアの雰囲気にのまれ、よくわからないままうなずいてしまう。
そして、俺はソフィアの邪魔になってしまうのを恐れ、背中を向けて、城門へと戻っていった。




