69 平等
俺は足まで来ている疲れを振り切って、イゼルにたどり着くと同時に、足が動かなくなってしまう。
当然だ、俺の家からここまで一時間分厚いコートを着てずっと全力で走ったのだ。
息も絶え、往来の真ん中で座り込んでしまう。
だが、まだ朝早いため、周りには人はいない。そのため迷惑にはならないだろう。
肩で息をした後、ゆっくりと足で立ち上がろうとすると、急に後ろから何者かに話しかけられた。
「おい、何やってんだ?」
「……え?」
振り向くと、そこには馬車に荷物を載せたアルバの姿があった。
だが、十年ぶりともなると一瞬誰だかわからず、言葉に詰まってしまう。
「……アルバ、さんですか?」
「ん? ああ。どうしたんだ?」
「その、今までどこに……?」
「はるか遠くの国で依頼を受けてたんだ。……元気だったか?」
アルバは片目をつむり笑みを向けてくる。
俺はその笑みを見た瞬間、自分の中の重荷がやっと降りた気がした。
「……アルバさん。お久しぶりです」
「おう、久しぶり。お前のことは、あっちでも聞いたよ。……頑張ったな」
俺は彼の言葉に、目頭が熱くなってしまうが、それを悟られないように涙腺を指で押さえる。
その後、息を整えながら立ち上がり、城へと向かっていく。
「どこへ行くんだ? それに、何があったんだ?」
「……騎士団に伝えなくてはならないんです。ソフィアにも……!」
「ソフィア? ああ。でもその前にベテンブルグの旦那に相談したほうが……」
俺はその言葉に反応して、我ながらすさまじい速度で振り向くが、彼の表情を見て、知らないのだということを悟った。
「ベテンブルグは、もう……」
「……マジかよ。あの旦那が? 信じらんねぇ……」
「……ごめんなさい」
俺は頭を下げると、アルバは俺の頭に手を置いてくれた。
……ただ、ちょっと力が強いため少しだけ痛い。
「お前のせいじゃねえよ。それで、今は誰がベテンブルグ家を継いでるんだ?」
「それは、ソフィアが継いでいます。一番ベテンブルグと長い間暮らしていて、英雄であるため、適任だと思います」
「……そっか。本当に死んじまったんだな」
アルバは眼を閉じて、しばらく動かなくなってしまう。
そのあと、アルバは俺の背中を押しながら城へと歩き出した。
「さ、城へ行くんだろ? 俺も国王に用があるからよ! 一緒に行こうぜ!」
「……はい!」
俺たちは事情を門番である騎士団員に話し、俺はザールのもとへと通された。
アルバの方は他の人間と用があるらしく、途中で二手に分かれることになった。
俺は案内してくれる騎士の背中を追い、歩いていると城の中庭らしき場所に出る。
そこには、一様に腕立て伏せをしている兵士の正面に、腕を組んで掛け声をしているタンクトップを着たザールの姿があった。
俺はそんな彼の様子を眺めていると、ザールはこちらに気付いたらしく、休憩の号令をかけて俺のところへと駆け寄ってくれる。
「どうした、ラザレス。入団したくなったのか?」
「違う。……賢者の法についての話なんだ」
「……」
ザールはしばらく俺の眼を見た後、団員達に一時間強の休憩を言い渡した。
……そのため俺はザールの背中越しに、手を合わせて感謝される。
しかし、ザールはその様子に気付いているらしく、少し苦笑したのちにコートを羽織り、佇まいを直した。
「ベテンブルグ卿にもこの会話に参加してもらおう。重大事なのだろう?」
「ああ。ソフィアに国王へ報告してもらうくらいの重大事だ」
ザールは俺の言葉にうなずいた後、城の中を歩いていく。
俺はその背中を見失わないように、出来る限り速足でついて行くことにした。
城の奥にたどり着くと、重厚な木の扉が立ちふさがっていた。
ザールはその扉に臆することなくノックすると、背筋を伸ばして大きな声で語りかけた。
「ベテンブルグ卿、客人をご案内させていただきました。騎士団長ザール。入ります」
「どうぞ」
俺は二人の関係が格式張っていることに一瞬戸惑うが、そんなことを気にしている暇はない。
軽く会釈してからその扉をくぐると、そこには正面にある大きな机の向こう側にある椅子に座っている男性用の深い緑色の貴族の服に身を包んだソフィアの姿があった。
だが、彼女は俺の姿を見ても眉一つ動かさず、冷ややかな声でザールに命じる。
「ザール、閉めてください」
「はい。失礼しました」
ザールはできる限り慎重にその扉を閉めると同時に、ソフィアは椅子にもたれかかり、格好を崩す。
ザールも同じように近くの壁に寄り掛かり、先ほどまでの礼儀はどこかへと消えてしまった。
「ラザレス、久しぶりですね」
「ああ、うん。久しぶり」
「本当に、もっと顔出してください。じゃないと、休憩する口実が見つかりません」
俺は笑って彼女の冗談を笑い飛ばそうとするが、冗談ではないらしいことは、彼女の横に並べられている大量の書類から分かった。
だが、今はそんなことを話している場合じゃない。
「二人とも、賢者の法を覚えてるよな?」
「当然だ」
「忘れる訳ないじゃないですか」
「……実は、それを再興させようとしている団体がいる。アリスももしかしたら、その一員になったかもしれない」
「どういう、ことですか? それに、何故アリスさんが?」
ソフィアは椅子から立ち上がり、机の前に座り込んだ。
俺は話の続きをしようとするが、ザールが口を開いた。
「アリスとは誰だ?」
「え? ああ、十年前に俺と一緒にいた女性だよ。その女性が、今回の子供たちが誘拐される事件の犯人……だと思う」
「何故そう思う?」
「彼女、富裕層をターゲットに殺していたらしいんだ。多分、劣等感をダリアにいじられたんだと思う」
「……ダリア」
その名前を聞くと同時に、二人の表情が暗くなっていく。
それはそうだ。もし彼女の仕業だとしたら、まだ彼女は生きているのかもしれないのだから。
いや、こうして賢者の法が再興されそうになっている今、彼女がいないというのは希望的観測が過ぎるだろう。
「そして、彼女は平等を欲していた。そこを平等を謳う賢者の法につかれてあちら側につく可能性は十分にある」
「……平等、ですか」
「だが、彼女だけが犯人だというのなら一つだけ不審な点がある」
「いなくなった子供たちの中には、貧困層の子供も多数報告されている」
俺は一瞬、自分の耳を疑った。
……貧困層も、誘拐されている?
なら、犯人はアリスではないのか?
「……何か、この街に不審な点はなかったか?」
「不審な点かどうかわからないけど……十年ぶりに姿を消していた知り合いに会えたんだ。ソフィア、アルバって覚えているかい?」
「はい。御者の方ですよね?」
「彼が久しぶりに姿を現したんだ。多分、関係な……」
俺の言葉を遮るように、突然扉が開け放たれる。
その瞬間、ザールは壁から体を起こし、彼女は机から立ち上がり、紅茶をもっていかにもといった風に立ち振る舞う。
そして、扉の隙間からベテンブルグのところにいたメイド、メアが顔をのぞかせた。
「ベテンブルグ卿、ザール騎士団長。陛下がお呼びで……あれ? ラザレス……でしたよね?」
「はい。お久しぶりです。元気でしたか?」
「ええ。そちらもお変わりないようで」
俺の言葉を笑ってさらっと受け流すのは、やはりベテンブルグのメイドだっただけのことはあるのだろう。
ソフィアはそんな俺をしり目に、机の上をかたずけながら話しかけてきた。
「ラザレスも来てください。私の補佐ということにすれば問題ないはずです」
「それっていいのか?」
「いいんですよ。その代わり、黙っててくださいね」
俺は彼女の言葉にうなずくと、薄汚いコートを軽く手で払う。
そして、速足で歩きだす彼女たちの背中を追いかけて歩きだした。