7 救い
俺は振り向くことなくただ走っていた。
山を駆け抜け、星空の元ただ荒涼な大地を走り続ける。
そして、息も絶え地面に寝転がると、後ろからはもう誰も来てはいなかった。
勿論、スコットやシアンたちの姿も。
俺は星空を眺めながらため息をつく。
また、これで一人だ。
だけど、今度は違う。
俺はまだ、誰も殺しちゃいない。
だから、まだ諦めない。諦めてたまるか。
だが、俺の意識は既に途絶えようとしていた。
思えば、俺は六歳の体に鞭を打ち続けていたのかもしれない。
一度も休憩することなく、恐怖に駆られ山を駆け抜けるなど、本当の六歳なら不可能だ。
しかし、俺もその六歳の例にもれず、意識が途絶えそうになってしまう。
端的にいうと、凄く眠い。
昔だったら夜更かしなどざらだったが、今は少年の身。
「せめて、ベテンブルグ辺境伯領に辿り着かなくちゃ……!」
何とか体に鞭を打ち、起こそうとするが、ひざが笑ってうまく建てない。
俺はそんな膝に悪戦苦闘していると、気がついたら俺は夜のまどろみに体を預けてしまっていた。
‐‐‐
目が覚めると、黄土色の知らない天井。そして、黄土色の布の壁を見るに、ここはテントだろうか?
床には、布団に、黄土色のシーツ。
そして近くには、十五歳くらいの金髪で、灰色の目に褐色の男性が、俺を見つめていた。
「お、起きたか」
俺が目を開けたのを確認すると、嬉しそうに男性が手を挙げる。
俺は首のペンダントを確認して、取られていないことから、彼は盗賊の類ではないことを確信した。
「昨日、お前が山のふもとらへんで倒れててな、本当は見捨てようと思ったんだが……そのペンダントが目に入ったんだ」
「……これがどうかしたんですか?」
「とぼけるな。お前、スコット義兄さんの何だ?」
「……息子です。ラザレス=マーキュアスと言います」
「……へえ、お前が義兄さんとシアンさんの、ねえ……」
さっきから何故スコットのことを義兄さんと呼んでいるのだろうか?
「あなたは、父さんの何なんですか?」
「俺? 俺はアルバ。スコット義兄さんの弟分だ。もっとも、今はただの馬引きだがな」
「……じゃあ、叔父さんですか?」
「そうとも言えなくもねえが、少し違うな。俺と義兄さんは、心でつながった兄弟。血のつながりはねえんだ」
……叔父さんじゃないのか。少し残念。
だが、スコットの知り合いに会えたのだ。彼なら、少しはマーキュアス家のことを知っているかもしれない。
俺は問いを口に出そうと口を開くと、その前にアルバのほうから愉快そうに口を開く。
「あの義兄さんがシアンさんを、ねえ。なあ聞けよ、義兄さん……つまりお前の父さんはお前が生まれる少し前まで女の子と手をつないだことすらない童貞だったんだぜ?」
……前言撤回。この男が叔父じゃなくてよかった。
六歳の前で童貞とか言うな。
このままだと夜の回数とか聞かれかねないので、口をはさんでアルバの言葉を遮った。
「それより、馬車引きと言いましたよね? よければ、ベテンブルグ辺境伯領まで乗せてってくれませんか?」
「ベテンブルグの旦那のとこか? 別に構わねえけど、義兄さんとシアンさんはどうした?」
「……両親は、死にました」
俺の一言で頭に血が上ったのか、腰から短剣を引き抜き俺の首元に添える。
俺もそれを防ごうと短剣を抜こうとするが、明らかに相手のほうが早く、構えることすらままならなかった。
「……ガキ、言っていい冗談と悪い冗談。わかるよな?」
「はい。心得てるつもりです」
「悪いが、俺は元は盗賊稼業で生活していた。だから、お前のそっ首撥ねんのにためらいなんてクソほどもねえ。これもわかるな?」
……冗談を言っている目ではない。
あの時の殺意と、彼が抱いている殺意。
同じくらい鋭く、冷たい声。
「はい。ですが私は、マーキュアス家の前代当主、スコット=マーキュアスの名において、嘘はついていません。彼は、私をかばって殺されました」
「……なあ、冗談だろ? 冗談だって言ってくれよ、なあ!」
「……本当です」
アルバは俺の肩に手を置き、涙をこらえて地面を見つめる。
息を殺して嗚咽をこらえる男に、同情を向けたくなってしまうが、弟分である彼であるからこそ、嘘は付けない。
しばらく声を殺して泣いていると思っていたアルバが急に顔を上げて、俺の顔を見る。
「……お前、本当にスコット義兄さんの息子なんだな」
「え?」
「悪い。俺、お前試してたわ。もしお前が俺に同情したりビビったりして嘘のうの字でも言ってたら、俺お前の首撥ねてた」
「マジですか?」
「マジです。まあでも、お前を最後に助けられて義兄さんは幸せだったと思うぜ? あの人、自分が傷つくのは構わねえくせに誰かが傷つくのは見てられねえタチだからな」
「……悲しく、ないですか?」
「悲しいさ。でもよ、俺義兄さんに頼まれてんだわ。『もし僕が死んだら、キミだけは泣かないで、笑って見送ってほしい』ってな」
「……そうですか」
「おう、なんでも理由は、『君の泣き顔は似合わな過ぎて正直気持ち悪いから見たくない』んだってよ。笑っちまうよな!」
「……あはは、まあ」
「それと、お前は泣かねえのか? 一番悲しいのはお前だろ?」
「泣いている暇なんてありませんから」
「そうか」
だが、アルバの先程の泣きまねは、決して演技ではなかった。
あれは、誰かの死を忍んで泣いた。男の涙。
俺はその涙を、戦争の中で何度も見たことがあった。
「……さて、ベテンブルグの旦那のとこだっけか? そんじゃ、さっさと行くぞ、ラザレス!」
「はい!」
アルバはテントをたたんだ後馬車に乗り込み、俺もそれに続いた。
正直なところ、俺は彼が死んだ後に初めて、スコットという人間のことが分かったのが少し悲しいが、彼の一言で少しだけ救われた。そんな気がした。