67 貧困層
アリスは座ったまま不気味に笑い、こちらを見上げる。
俺はその笑みを見て、一瞬だけひるんでしまうが、それをかき消すように声を上げた。
「……こんな夜遅くに子供を集めて、空き巣でもしようってんですか?」
「やあ、ラザレス。その様子だと、図書館帰りかな?」
「こちらの質問に答えてください。さもないと、騎士団に通報しますよ」
俺の脅しを聞いても、眉一つ彼女は動かさない。
そして、彼女を囲うように座っていた子供たちが口を開いた。
「ボス、このお兄さんも仲間に入りたいんじゃないかな?」
「ああ、なるほどね。そうだったら言ってくれればいいのに」
「そんなつもりはない。俺は、あなたが何をしているかさえ教えてくれたら内容によっては引き返す」
「……もし、内容によらなかったら?」
また、不気味な笑みを浮かべる。
俺はコートの中に隠してある短剣を、そっと握りしめる。
「……いいから、早く」
「僕はね、この子供たちを保護しているんだよ。ここにいる子供たちは、親から愛されなかったり、親がいなかったり、そんな不憫な子なんだ」
「それはあんたの仕事なんですか? それこそ、孤児院に預ければいい」
「孤児院? ああ、そうか。知らないんだね。この子たちは……」
「スラム街の出身だよ?」
その時、俺は彼女の言葉にとてつもない寒気を感じたのを今でも覚えている。
彼女の言葉は淡々としていて、それでも怒りや憎しみが込められていて……。
言葉にできないほど、醜い感情がそこにはあった。
「だから、孤児院は引き取らないんだ。未来ある子供たちを危険に晒したくないってね」
「……ッ」
息が詰まって何も言えない。
この暗がりだからこそ最初はわからなかったが、よく見ると誰も彼もがボロボロの服に身を包んでいる。
「それなら、こんな問題アリスさんが一人で負えるものじゃないってことくらいわかるでしょう? ソフィアに相談すれば……」
「スラム街を隔離している国王の犬にかい?」
「それは……」
……彼女の言うとおりだ。
この国はスラム街の存在を認めていない。それどころか、隔離施設のように兵士がこちら側への入国を禁じている。
だから、守備が手薄になるこの夜に集まったのだろう。
「僕たちが昔、スラム街で生まれたという話は前にもしたよね?」
「……確か、アルバさんと同じ出身だと聞きました」
「そう。だから、きっとこの子たちには同情してしまっているんだろうね」
そう言って、彼女はスラム街の子供たちを抱きしめる。
……こうしてみればただのやさしい女性だが、それなら一体俺に何を警戒していた?
その時、俺の背後から複数の足音が聞こえた。
「ああ、おかえり。どうだった? 今日の『収穫』は」
……収穫?
俺はあまりの異質さを放つその単語に、反応せざるを得なかった。
そして、後ろを振り向くと子供たちが複数人の子供たちを縄で縛り、無理やり連れまわしていた。
「一、二……そうだね、五人くらいか。上出来だよ、みんな」
「はい、ありがとうございます!」
先頭を歩いていた男の子は、褒めてくれたアリスに頭を下げる。
そして、そのままアリスは男の子から連れてこられた子供たちに視線を移した。
連れてこられた子供たちの中には、彼女から発せられる雰囲気にのまれて泣き出してしまったり、それを悟られまいと必死に涙を押し殺して睨む子もいる。
「……怖いかな? 怖いよね。だって、君たちがいつも見下してる貧困層が、こんな近くにいるんだもん」
「うるさい! 帰して、帰してよ!」
「そうだよね。君たち富裕層は、こんな経験ないからね。誘拐なんて、めったに起きないんだろう?」
アリスはただ虚無的な笑みを浮かべ、彼らの頬を撫でる。
彼らはそれきり蛇に睨まれた蛙のようにおとなしくなってしまった。
「……アリスさん。その子たち、今すぐ離してください」
「君たち富裕層は、守られているだけで、その実何もできないからね。だから、こんな簡単に見下していた富裕層に虐げられる」
「やだ……! 離して、離してよぅ……」
「ほぉら、泣かないの。お水が勿体ないじゃないか」
アリスは泣き出した女の子の頬を流れている涙を一滴舐めとる。
俺はその光景に、一瞬理解が及ばなかった。
「そうだね。涙がおいしかったし、君にしようか」
「え……? 何、何をするの……?」
「僕たち貧困層は、つねにおなかをすかしているんだ。だから、ちょっとでも分けてもらえないかな?」
「君のおいしそうなその体を」
アリスはその言葉とともに、どこからか取り出したナイフを振り下ろす。
だが、それは俺の短剣に受け止められてしまう。
「……どいてよ」
「どけません。恨みべきはあなた方を見下すようにそうしつけた大人達じゃないんですか? この子たちは関係ないじゃないですか」
「それは本気で言ってるのかい?」
彼女は俺の言葉を鼻で笑い、一歩後ろへ下がる。
俺はそんな彼女を逃がすまいと、一歩詰め寄った。
「人間は誰かを見下さないと生きていけない。だから、『魔女』という名の奴隷が生まれたんじゃないのかい?」
「だから、それは環境が……」
「生まれつきだよ。これは、人間の本能」
俺は彼女の眼から視線をそらさないように、連れてこられた子供たちを俺の体で隠す。
「生まれつき見下される人間、そして見下す人間が決まっているのは変だよねえ? おかしいよねぇ?」
「……」
「見た目が悪いから見下される。要領が悪いから見下される。性格が大人しいから見下される」
「……確かに、理不尽かもしれない」
「だろう? だから、僕たちが教育してあげるんだ。人を見下すとこうなるって。人は平等なんだって!」
「けど、あなた方は間違ってる」
俺は後ろ手に彼らの縄を切り裂き、身を自由にする。
そして、一目散に彼らが逃げたのを確認した後、振り向いてアリスを睨みつける。
「全てが平等な世界なら、誰かが誰かを見下すことなんてない。俺は四年前、それを見てきた」
「それが理想郷だろう?」
「ああ、理想郷だ。だが、そこが問題だった。理想的すぎる世界は、人を腐敗させた」
慈愛の街。あの後その施設がどうなったかは知らない。
だけど、あの街は何もかもが平等だった。
理想的で、きっと彼女が求めるものに近いはずだ。
「誰かが見下されるのではなく、誰かが上に立たないと、人は腐敗してしまうんだ。それこそ、家畜同然に」
「その上に立つ者が、僕たちじゃいけない理由なんてないだろう?」
「……少なくとも今のあなたには、ある。逆恨みで人を殺すあなたには、上に立つ資格なんてない」
俺はできる限り冷淡に、感情をこめず彼女に告げる。
そして、彼女が俺に対してナイフを振り下ろしたのを見た後、俺は短剣で彼女のナイフを弾き飛ばし、鳩尾に左腕をめり込ませる。
そして、彼女はしばらくしたのちに気を失った。
俺は振り返り、俺に罵詈雑言を向ける子供たちに冷たく言い放つ。
「……君たちのボスは、もういない。明日からはこの集まりももう終わりだ」
俺はそんな彼女を背負って、自身の家に帰ることにした。
もしかしたら、話せばわかるかもしれない。
甘い考えなことはわかっているが、昔のように話せたらいいと心から思ってしまう自分がいた。




