間話 石碑前にて
仕事を終えた女性は、息をつき、城から出る。
道中で会った使用人のメアに話しかけられるが、真意は堪えられず、彼女は軽く偽りの用事を語り、彼女の追及を逃れた。
彼女にとって行く場所は、一つだった。
街の中に出ると、既に閑散としている商店街を抜けて、城下町の門のすぐそこで、外出許可を取る。
彼女はこの国にとって少なからず重鎮であるため、既に日が落ちたこの時間から外に出るのは多少手続きに時間がかかるが、彼女の昼間の仕事量から比べれば大したことはない。
ようやく手続きを終え、彼女は城壁に沿って歩き始める。
しばらく歩くと、城壁から少し離れた場所に、一つの石碑があった。
その石碑に刻まれている名は、『ベテンブルグ』。
彼女の親代わりでもあり、教師でもあった男だ。
彼女は予め持ってきていた花を石碑の前に添え、かぶっている埃を手で払い、独り言ちに呟いた。
「……ベテンブルグ、私もう、明日で二十歳なんですよ。もう、十代じゃなくなっちゃいます」
自嘲気味に語る彼女に、石碑は何も答えない。
勿論、そんなことは彼女だってわかっていた。
それでも、何か期待せずにはいられない。
だが、そんなことはもちろん起こりえない。
ベテンブルグが親代わりをしていたのは、何も彼女だけではない。
彼女の弟ともとれるラザレスという青年も、彼のもとで勉学や剣術、そしてテーブルマナーなど、一通り彼女と同じように世話をしてもらっていた。
ベテンブルグは真面目とはお世辞にも言い難かったが、それでも責任をもって世話をしてくれていたことに、彼女も少なからず恩義を持っていたのだ。
そんな時、彼女の背後から足音が聞こえた。
「……ここにいましたか、ベテンブルグ卿」
「……ザール」
ザールと呼ばれた男は、彼女の隣に腰を下ろす。
そして、彼女に語り掛ける訳でなく、彼もまた独り言ちに呟いた。
「ベテンブルグ、か。彼には世話になった」
「……」
「……だが、どうにも腑に落ちないことがある。本当に、彼は死んだのだろうか」
彼の疑問に、女性もかすかにうなずく。
彼女自身もまだどこかで彼が生きていると信じている。
だが、三年前の事件が終わると、彼の遺体はどこにも見つからなかった。
だから、最初は生きていると信じていた。
信じていたかった。
「……いや、我ながらつまらないことを言った。忘れてくれ」
「構いません。私も、同じように感じていましたから」
「……そうか。そう言ってくれると助かる」
ザールはそう言って、ふっと笑う。
女性があまり見ないザールの笑顔に目を丸くしてると、彼は立ち上がりそのまま言葉をつづけた。
「さて、私はこれで失礼する。貴様もあまり遅くならないうちに帰れ。城下町の門で閉めだされる国の重鎮など、酒の席の冗談にしても質が悪い」
彼はそれだけ言うと、元来た道を戻っていってしまう。
彼女はそんな彼を見もせずに、ただ石碑を見つめていた。
……死んだ気がしない、という言葉が何度も女性の頭の中に響きだす。
だが、彼は死んだ。死んだのだ。
そう思って、彼女は立ち上がり振り返ると、そこにはコートを着た一人の青年がたっていた。
「やあ」
「……ラザレスも、墓参りですか?」
「ううん、そうなんだけどそうじゃなくて……」
ラザレスと呼ばれた彼はかぶりを振ると、ポケットから取り出した包みを彼女に手渡す。
「はい、誕生日だったよね? おめでとう、ソフィア」
ラザレスはソフィアに包みごと渡すと、彼女は何度か彼を見ると、彼がうなずいた。
それを見て彼女は包みを開けると、そこには丸い花柄のブローチが入っていた。
「……ありがとう、ございます」
「あれ? 気に入らなかった、かな?」
彼はあからさまに慌てると、そんな彼の様子がおもしろかったのか、ソフィアはくすくすと笑いだす。
「いえ、私の誕生日は明日ですよ?」
「……あ」
「でも、もうもらっちゃいますね。渡したラザレスが悪いんですよ?」
そういうと、ソフィアは悪戯っぽく笑う。
そんな彼女を見て、ラザレスは心底ほっとしたように微笑んだ。
ソフィアはそんな彼を見て、あることを聞くことを思い出した。
「そういえば、ラザレスの誕生日はいつなんですか?」
「俺の? 確か……えっと……」
それきり、彼は頭を抱え込んでしまう。
ソフィアは、そんな彼を見て微笑む。
「普通、自分の誕生日くらい覚えていませんか?」
「しょうがないだろ? 忘れたもんは忘れちゃったんだよ」
「そうですか。なら、しょうがないですね」
「じゃあ、今日が誕生日として、ラザレスに一つなんでもしてあげます」
ソフィアが放ったその言葉は、ラザレスを硬直させるには十分だった。
しばらく硬直したのち、口をパクパクさせながらようやっと彼は言葉を絞り出す。
「……何を、言ってるの?」
「そのままの意味ですよ」
勿論、目の前にいる彼が下衆ならこの言葉自体が危険だ。
だが、彼女は彼がそんなことをしないと信じ切っていた。
事実、彼にそんなことを言い出す勇気はない。
彼はしばらく真剣に考えこんだのち、ようやっと口を開いた。
「じゃあ、さ。その……えっと……」
「なんですか?」
「俺のことを、忘れないでほしいんだ」
彼の真剣な願いに、彼女は目を丸くする。
だが、その質問に彼女は一つ疑問が浮かぶ。
「それは、どっちの言葉ですか?」
「……わからない。でも、忘れないでいてほしいんだ。それだけが、俺の願い」
彼は真剣なまなざしで彼女を見つめる。
彼女はそんな彼を見て、はぁとため息をついた。
「馬鹿ですか? そんなお願い言わなくても、元々忘れるつもりはありませんよ」
「……そっか。それなら、良かった」
「あーあ、勿体ないですね。今ならいろいろできたチャンスなのに」
「……ソフィアって、段々と意地悪になってくよね」
「さあ? なんのことでしょうか?」
彼は、出会った当初のことを思い浮かべる。
初めてであった彼女は、ラザレスやベテンブルグを拒絶し、自身の世界にこもっていた。
だが、今の彼女にその面影はない。
そんな時、彼は一つの出来事を思い出した。
「そういえばさ、ソフィア」
「なんですか?」
「七歳のころのこと、覚えている?」
彼は、七歳のころ、自身の出自を彼女に語った。
内容は覚えてはいないが、それでも語ったという事実だけは覚えていたのだ。
彼女はじっと彼を見た後、ゆっくりとうなずいた。
「ええ。あのおとぎ話の終わりを考えろ、でしたっけ?」
「うん。多分、そう」
多分という言葉に、彼女は一瞬顔をしかめる。
だが、七歳のころのことなど覚えているほうが稀だと思い、息をついて彼の言葉の続きを促す。
「ソフィアはさ、どういう終わり方にする?」
「……そうですね。七歳のころのことなので、深くは思いだせませんが……」
彼に、仕返しのつもりで言ってみる。
だが、彼はそれを意に介した様子はなく、ただ黙って話の続きを待ち続けた。
「……周りにいた皆は死んでいなくて、実はサプライズのために隠れていただけ、というのはどうでしょうか」
我ながらありきたりだな、と彼女は思う。
だが、彼は少しも笑わず、彼女の言葉を真摯に受け止めた。
「……優しいんだね。彼に、救いを用意してあげるなんて」
「救いも何も、それだと少年がかわいそうすぎませんか? バッドエンドにしても、脈略がなさすぎます」
「そっか。確かにそうだね」
彼というのは、まぎれもなくおとぎ話の主人公の話だ。
彼女がどういったって、ラザレス自身の賢者としての人生が変わるわけじゃない。
それでも、どこか彼女の言葉に救いを感じていた。
「……ありがとう、ソフィア」
「な、なんですか? いきなり礼なんて」
「……確かに変かもしれない。でも、ありがとう」
彼は深々と頭を下げるが、突然の出来事にソフィアは慌ててしまう。
そんな彼女の様子に気付いて、彼は微笑みながら顔を上げた。
その時の彼の笑顔が、彼女には妙に儚く感じた。
既に月がほぼ真上に達しているのを見て、ラザレスはつぶやく。
「それじゃあ、そろそろ俺は帰るね。ソフィアも、気を付けて帰ってね」
「はい。ブローチ、ありがとうございました」
彼はソフィアの礼に笑顔で返す。
そんな彼の笑顔を見て、彼女は胸が痛くなる感覚を覚える。
この出来事は今回が初めてではなく、彼に出会ってから何度も感じているが、いったいこれが何なのかわからない。
これが、ラザレスの言っていた『好き』というものなのだろうか?
だが、彼女は姉としての矜持を保つべく、いつも通りの笑顔で手を振る。
その行為が、その時は妙に切なく感じた。




