58 異世界
……たった一つ、思い出せた。
もしかしたら、俺が記憶の中で抑え込んでいただけかもしれない。
それに、姿形も違う。でも、確か同じダリアという名だ。
「……ダリア、お前、は」
「なんですの? その眼、昔と同じようですわね」
「昔って、いつのことだ?」
「……無論、孤児院の時のことですわ」
俺はその言葉を聞くなり、すぐさま飛びついて彼女のみぞおちに腕をめり込ませる。
そして、しばらく吹っ飛んだのちに、ゆっくりと立ち上がる。
「……なら、その体はなんだ!? 俺たちが知っているお前は……!」
「私に体なんてありませんわ。あるのはこの靄だけと、意識。それと……」
ダリアは胸の間から何かペンダント状のアクセサリーをちらつかせる。
それは、俺が魔女の国で見た魔核に他ならなかった。
「これが、私を形どってくれる心臓。ミケル様がくれた、とても暖かい心臓」
「……なら、それを壊せばいいのだろう?」
「させると思いまして?」
ダリアは靄でザールの首をつかみ、そのまま締め上げる。
だが、メンティラがその靄を切り伏せて、そのままダリアに剣先を向ける。
「……何のつもりですの? ふふ、恥ずかしがらなくてもいいのですよ?」
「どうして、こんなことをしたんだい? 僕が、こんなことをして喜ぶとでも?」
「あなたは百年前に戦争を起こそうとした張本人でしょう? 今更綺麗ごとですの?」
「……ッ」
メンティラが押し黙ってしまう。
……彼が、戦争を起こそうとした? 何を言っているんだ?
「さあ、一緒に戻りましょう? 私だけは、あなたを愛し続けます。ずっと、ずっと、永遠に……」
ダリアは恍惚とした表情でメンティラに手を伸ばす。
だが、メンティラは剣に手をかけて、それで振り払ってしまう。
「……ごめんね」
「……え?」
メンティラの言葉に呆然としているダリアを見ていると、突然俺の体を何かが貫いた。
そこには、以前の俺の体。つまりは、『賢者』がそこに立っていた。
「な、お前……っ!」
彼は何もしゃべらない。
ただ、虚空を見つめるかのように俺の顔を眺める。
……ああ、まずい。
俺の体の中心から、熱い何かが流れ出してくる。
そして、それが流れ出てくるたびに、眠気が呼び覚まされてしまう。
皆が口々に叫んでいる。
だけど、もう何も聞こえない。
俺は地震の体が地面に崩れ去る音を最期に聞いた後、俺は眼を閉じて、眠気に体を任せてしまっていた。
―――
しばらくして、俺の体は外気に触れたことに気付き、目を覚ます。
周りは、何もない枯れ果てた地。
木も、草も、何もない世界。
空を見ても、星は一つもない。
月も、一等星も、何もない。
夜なのかすらもあいまいな、赤紫色の空。
「ここは……?」
俺は突然のことに驚き起き上がる。
痛みはない。先ほどのけがも、まるで嘘のようにふさがっている。
なるほど、ここが死の世界というやつなのだろう。
地獄というのは、どうやら殺風景なところらしい。
だが、俺の犯した罪からすれば当然のところだろう。
その時、聞きなれた声が俺の耳に入り、その方向を向くとメンティラが座り込んで顔を覗かせていた。
「やあ、目が覚めたかい?」
「メンティラ? みんなは……?」
「……ごめん。君を連れてくるので精いっぱいだった」
連れてくる? 何を言っているんだ?
「まさか、メンティラは死神……?」
「違うよ。これは僕の呪術。世界を行き来することができる力。でも、その代償に僕は死を失った」
「……だから、百年前のことを?」
「うん。その時に僕は彼女と出会った。出会って、僕は彼女のために魔女も、人間も同じように敵に回したんだ」
「……え?」
……勇者は魔女に対抗する唯一の存在のはずだ。
そんな彼が、何故人間に歯向かったんだ?
「その時のダリアは、独りぼっちだったんだ。誰も頼る人もなく、誰も彼女に手を差し伸べようともしなかった」
「孤児、だったんですか?」
「うん。親代わりに育ててきて、彼女が今のソフィアくらいのころかな? 『そいつを殺せ』と。多分、魔女だからっていう理由なんだと思う」
……何も、言えない。
魔女だから、という理由で、当時は命を簡単に奪えてしまうものだったのだろうか。
「だけど、僕は断った。彼女を本当の娘のように思ってしまってたんだ」
「……」
「そうしたら、逆上した彼らに僕たちは住処を追われ、魔女と人間同時に相手しているうちに、ある日彼女はどこかへ姿を消した」
「……姿を消した?」
「その日を境に、僕はある夢を見るようになったんだ」
「夢、ですか?」
メンティラは一度うなずいた後、深呼吸をしたのちにゆっくりと言葉を続ける。
「うん。……僕が歩いているだけなのに、ただ彼女に笑われる夢。小ばかにされたかのように、ただずっと笑われ続けるんだ」
「……その少女って」
「君の思っている通りだよ。だから、僕は女の子が苦手なんだ」
彼はひとしきり話した後、立ち上がり俺に手を差し伸べる。
そこで一つ、俺は疑問が浮かんだ。
「メンティラ、ここはどこなんですか?」
「……君の故郷である世界だよ。君がいた世界の、数十年後の世界」
数十年後の、俺の世界?
これが、魔族に勝利した後の人間の末路だというのか?
俺は突然吐き気がこみ上げ、地面に腹から出たものをまき散らしてしまう。
だが、メンティラは嫌な表情をおくびにも出さず、ただ俺だけを見つめていた。




