57 魔核
あの後、俺たちは何も言葉を発さなかった。
ただやみくもに森を駆け抜け、気が付くと夜で、動物の声も聞こえなくなっていた。
ザールはそんな中でも淡々と火をおこし、慈愛の街からもらってきたパンを串にさして焼いている。
メンティラも、ここまで頑張ってくれた馬に食事を与えていた。
だけど、俺だけは食事をとる気になれなかった。
ベテンブルグが死んだ。
食欲がわかない。のどが渇いているはずなのに、水も欲しくない。
だが、それでも腹の虫というのは正直で、夜空のもとに鳴り響いてしまう。
「……ラザレス。気持ちはわかるが、今は食べろ」
「ザール……」
「奴の分も食って、生きろ。それが我々なりの彼への恩返しだと思わないか?」
「……ああ、そうだな」
俺は気のない返事をした後、ザールから焼いたばかりのパンを受け取る。
しょっぱい。何も味付けがされていないはずなのに。
それに、少し湿っている。
「……俺が、俺がもっと強ければ。こんな、こと……」
「……」
ザールは何も答えない。
……事実だからだ。あの中で、俺だけが圧倒的に弱かった。
俺が強ければ、あそこでベテンブルグが犠牲になることはなかっただろう。
「……ラザレス」
「俺が、魔法が使えたらな」
「賢者として戦えたとでも?」
彼の言葉に、一瞬息が詰まる。
何を言っているんだ、俺は。
今の俺はラザレスだ。賢者の力など、得てはいけない。
……でも、尚更この出来事からは立ち直れない。
俺にとっては、親のような存在だったのだ。
彼から勉学を教わり、この世界の食事作法から何まですべて教わった。
それに、ソフィアと出会わせてくれた。
俺は子供のように膝を抱え、涙を隠す。
ラザレスが泣いているところなど、誰にも見せたくない。
その時、辺りに靄が立ち込めてきて、星空を隠し始めた。
ザールはすぐに剣を抜き、正面の靄を切り払う。
すると、そこには……ダリアが、立っていた。
「夜分遅くにごきげんよう。ザール、お久しぶりですわね」
「……何の用だ? 枢機卿の仇討ちか?」
ザールがレンズを通して、ダリアを睨む。
しかし、ダリアはそれを一笑に付した後、冷ややかに言葉を吐いた。
「仇討ち? 何のこと? あんなの、捨て駒でしかありませんわ」
「……なにを、言って……?」
「ベテンブルグというのも馬鹿な男。この集団のトップだったというのに、捨て駒と心中とは、同情いたしますわ」
「貴様ぁぁぁッ!」
俺は右腕に包帯を巻いて硬化させ、彼女に殴りかかる。
その時、何者か……いや、よく知った男が俺の右腕を片手で止めた。
「……何故、貴様がここに?」
「感動のご対面をさせるため、ですわね。ふふ、作るのに苦労しましたのよ? このお人形さんは」
ダリアがお人形と言って頭をなでたのは、……前の世界の俺、つまり賢者そのものだった。
それを見た瞬間、俺は右足に力を入れ、即座に彼の後ろへ回った後、後頭部へ一撃食らわせる。
だが、完璧に決まったと思った攻撃も、ダリアの靄に防がれてしまった。
「そのお人形さんは、賢者様の記憶をもとに作り出しましたの。一人だけ、協力者が必要でしたけど、中々満足が行く出来でしたわ」
「……記憶を、もとに?」
「ええ。賢者様が捨てた記憶。それを盗める協力者が、このお人形に入れなおしてくださりましたの。つまり……」
ダリアが片手をあげると、賢者はうなずいて指先から電撃を飛ばす。
俺はそれを硬化した右腕で受け止めるが、その威力はすさまじいもので、受け止めきれず近くの木に跳ね飛ばす。
「あなたの魔法は、こちらにありますわ」
「……そうかよ」
その言葉に返事した後、以前の俺とは比べ物にならないほどの速度で賢者の懐に飛び込み、右腕を顔にめり込ませる。
……こいつは殺さなくてはならない。
他でもない、俺が。
続けざまにもう一発食らわせようとすると、また靄が邪魔をする。
しかし、今度は靄をザールが切り裂いてくれたおかげでその右腕は自由になった。
「ザール。雑魚のあなたが、この私に勝てるとでも?」
「……貴様への恨み、忘れたわけではない」
「そう。じゃあ、その怒りを忘れさせるほど、賢者様への怒りを増幅させましょう。六年前のように」
ダリアはクスリとほくそ笑んだ後、指をパチンと鳴らした。
だが、ザールは地面に剣を突き刺し、深く息を吸う。
「……生憎だが、私はすでに、あいつへの怒りは捨て去っている」
「……そう。小賢しいわね。なら……」
「遅い」
ザールがそうつぶやくと、ソフィアが彼女の後ろへ回り込み、剣を振り下ろしていた。
それを間一髪で受け止めると、苦虫を噛み潰したように吐き捨てる。
「賢者様、こちらへ来なさい」
ダリアの言葉に反応するように、俺の右腕を素早くかわした後、ダリアのもとへ駆け寄る。
しかし、行き先が決まっているため、移動先へ攻撃を変更するのは容易い。
もう一度、俺の攻撃が彼のほほをとらえた。
「……終わりだな。今の俺たちに顔を出したのは、間違いだったと知れ」
「……認めません。認めませんわ! こんな結末!」
「負け惜しみは私が死んだら聞いてやる」
「なーんちゃって」
その言葉と同時に、急に俺たちの体が浮かび上がる。
見ると、服の中にびっしりと詰まっていた靄が俺たちの体を拘束していた。
「本当に勝てると思ってましたの? 枢機卿にも勝てないのに?」
「……ああ。勝てると思っている」
「……え?」
ザールの確信めいた笑みと、どこか違和感を感じる言葉に、ダリアが首をかしげる。
すると、服の中の靄がすべて消えた後、俺たちの下には見覚えのある人物が、そこに立っていた。
「……お久しぶり。本当は、君とは会いたくなかった」
「ミケル様……? ああ、ミケル様なのですね!」
「違うよ。僕はメンティラ。そして、君はダリアじゃないよね」
「……フフ、ええ。私はダリアではありませんわ。でも、意識はダリアそのものでしてよ。百年前と変わらずあなたをお慕い申し上げているダリアですわ!」
俺は訳が分からず、彼と彼女の顔を交互に見る。
それより、メンティラが俺と同じような短剣を握っていることが、俺の興味を引いた。
「今度は私の質問に答えてもらいますわね。あなたはミケルでしょう? 『始祖の勇者』ミケル。私の、王子様」
……始祖の勇者? 何を言っているんだ?
始祖、というのは最初という意味のはずだ。
だが、その勇者が何故まだ生きている?
駄目だ。頭がこんがらがってしまう。
「ミケルは死んだよ。ダリアと一緒に」
「そうですわね。でも、ダリアは生き返りましたわ。さあ、ミケル様も!」
「……どうして、生き返ったんだい?」
「魔核の力、ですわ」
……魔核。
聞いたことがある。世界を安定させているものだって。
これが壊されると、世界が滅びるって。
ザールが魔核という言葉に顔をゆがませ、口を開いた。
「この世界に、魔核があると?」
「ええ。そこから私たち魔女は何度でも生まれ変われますもの。ああ、この日が来るのを待ち望んでいましたわ!」
魔女は、蘇れる?
嘘だ。だって、俺が殺した人たちは、死んだって。
生き返る魔法は存在しないって。
もしかして、俺はメルキアデスたちに、騙されていたというのか?
目の前が真っ暗になる。
誰の戸もわからない叫び声が、耳をつんざく。
その時、俺は一瞬だけ……たった一つだけ、思い出したことがあった。
俺は、こいつを知っている。
こいつは、確か……孤児院を経営していた女と、名前が一緒だった。




