56 影
夜が明けて、俺たちはまぶしい朝日と街の人たちに見送られて馬車に乗り込む。
彼らも賢者の法の一部なのだ。あまり長居はできない。
次に俺たちが向かう場所はベテンブルグの領だ。そこを拠点に今後は行動するらしい。
そして、街が豆粒ほどになったとき、先ほどから黙っていたザールがついに口を開いた。
「それで、何故貴様もついてくる? 勇者」
「……あなたについて行ってるわけではありません。私はラザレスについて行っているのです」
「詭弁だな。一度刃をぶつけ合った者同士が簡単に和解できるとでも?」
「ま、まあまあ……」
いまにも始まりそうな喧嘩を、メンティラが穏やかな声でなだめようとする。
……だけど、あの時背中を押してくれたのはザールだ。ああは言っているが、心から突き放したりはしないだろう。
「悪いが、貴様のことを心から信頼はできない。ちょっとでも不審な動きをしたらその首から下、即座に切り落とさせてもらう」
「ご自由にどうぞ。出来るものなら」
「……チッ」
……心から突き放したりはしない、よな?
相変わらずあたふたしているメンティラに、我関せずといったような表情をしながら、穏やかな目をしているベテンブルグ。
「ザール、やめてくれ。それにソフィアも」
「……ラザレス、貴様はこいつの味方をするつもりか?」
「味方も何もない。今は喧嘩をする必要なんかないだろ?」
「そ、その通りだよ。二人とも、落ち着いて」
俺の言葉に、メンティラが賛同してくれる。
すると、しばらく睨みあったのちにお互い目をそらし、黙り込んでしまった。
「さて、話はひと段落ついたかね? それじゃあソフィア君に質問するとしよう」
「……ええ。どうぞ」
「まず、賢者の法の目的はなんだ?」
「賢者の法の目的は賢者様、つまりラザレスを魔物化した後、『神』という存在として祭り上げ、この世界をよりよい世界へと作り変えるために作り上げられました」
……魔物が人間の神か。
中々に皮肉のきいた冗談だ。あのような畜生と化した魔物を見て人間があがめるべき対象などと。
「だけど、本当の目的はそこではなくて、神となったラザレスを裏で教皇様、いえダリアが操り、世界の主導権を握るつもりだと言っていました」
「……何故、そんなことを?」
「すいません、そこまでは……」
……世界の主導権を握る。
途方もない話だ。だが、今この状況を見れば納得せざるを得ない。
「それと、ソフィア。六年前、ダリアが言っていた『あの方』って誰かわかる?」
「……ごめんなさい、それもまだ、です」
「そういえば、ザールは知らないのか?」
「『あの方』とやらのことか? ダリアが呟いてはいたが、名前しか知らないな」
ザールはそういうと、頭に手を抑えて考え始め、しばらくしたのちに口を開く。
「確か、名前は『ミケル』とか言っていたな。警戒のためか、それしか知らないが」
「……『ミケル』? 聞いたことがないな」
「……ミケル、ミケルか……」
メンティラは御者台に乗っているため、顔は見えないが、口の中でその言葉を転がしていた。
すると、突然馬車が止まり、馬の嘶く声が聞こえる。
「おいおい、困るよ。その子連れてっちゃ」
「……ニコライ」
「……枢機卿」
鬱蒼としている暗い森のため、一瞬気が付かなかったが目を凝らすとそこにはニコライがいた。
ザールは彼を見るなり武器を構え、馬車から飛び降りようとするが、ベテンブルグはそれを手で押さえ、メンティラに指示した。
「メンティラ。ここじゃ不味い。すぐそこに平原がある。そこまで走ってくれ」
「え? う、うん!」
ベテンブルグの指示に従うように、目の前のニコライを無視して森の中を駆け抜ける。
だが、ニコライはそれを見過ごさず、馬車に勝るとも劣らない速度で追いかけてくる。
その時、ベテンブルグがこちらの眼を見て息を吐くようにボソッとつぶやいた。
「……すまないね。後は頼むよ」
「……え?」
俺は突然のことにその真意を問いただすこともできず、彼の後姿を見送ってしまう。
その時には、馬車は遠く離されていた。
「……へえ? アンタ、一対一でやろうってのかい?」
「ああ。君の呪術はすでに見切っているのでね」
「なるほど。じゃあ自信満々なわけだ」
遠くからのため、彼らの会話は集中しないと聞きとれない。
そして、会話が終わったと思うと、ニコライは以前のように体が溶けたかと思うと、ベテンブルグの後ろに回り込んでいた。
だが、ベテンブルグはそれを読んで後ろ手に彼のわき腹にレイピアを突き刺す。
「……君の能力は、影に溶け込む能力だろう? だけど、この状況じゃ君のその能力は悪手だというわけだ」
「へえ? やるね」
「もう一つ答えてやろう。君の代償は視力。だから、あまり遠くから私たちを視認できない。出来るのなら、遠くから火のついた弓矢でも狙撃ができたはずだ」
「……驚いた。ご名答だよ、ベテンブルグ……だったっけ? 眼鏡かけずに誤魔化してたんだけどなぁ……」
口調こそおどけてはいるが、驚いたのは事実で、感嘆したようにニコライが言葉を吐く。
そして、次の瞬間ベテンブルグのモノクルは空中で割れてしまった。
「でも、知っているかい? 人間には影がたくさんある。モノクルだって、服の中だって、俺の手は届くんだぜ?」
「そうかい? でも、全身はとけこめないのだろう?」
「当たり前だ。誰があんたみたいなおっさんの服の中潜りこみたいものか」
「……なら、殺しきれるな」
ベテンブルグは以前のように抜いた瞬間すら見えぬくらい素早い斬撃で首から下を切り落とそうとするが、首だけ器用に溶けて逃げられてしまう。
だが、彼の逃げた場所はベテンブルグの影。今の時間は正午のため、必然的に彼の足元と決まってしまっていた。
そして、彼は足元のニコライを踏みつぶし、視界をふさいだ後心臓にレイピアを突き刺した。
「……や、やるね。本当に」
「おほめにあずかり光栄だね」
「本当に、あんたをつぶしておいてよかった」
ニコライはそれだけ言うと、残りの力を振り絞り右腕を溶かしたかと思うと、服の中の影から手を伸ばし、ベテンブルグの首を締め出す。
ベテンブルグはそれを引きはがそうとしばらくもがいた後、彼の体は動かなくなった。
そのことが、意味するのはたった一つだ。
心臓がうるさいほどに鳴り響いている。
目が乾燥して、口の中も同じように乾燥しきっている。
冷や汗が額を伝い、息苦しい。
「ベテン、ブルグ……?」
誰かが呟いた言葉で、俺は正気を取り戻すと同時に、今ある現実を受け止めなくてはならなくなった。
俺は彼に駆け寄ろうとすると、ザールに引き留められる。
「……行くな。今行くべきは、そちらじゃないだろう」
「でも、ベテンブルグが、ベテンブルグが……!」
「わかっている。だが、彼は最期の力を使って枢機卿を倒してくれたんだ。だから、彼のつないだ命をつながなくてはならない」
……その通りだ。
だけど、人間はそう簡単に割り切れるものではない。
その時、ソフィアが急に口を開いた。
「……行きましょう、メンティラさん。ここにいても、何も始まりません」
「うん。そうだね。……後で、彼の墓を作ろう。ラザレス君も、それでいいかい?」
「え? ……はい、そうですね」
つい、気のない返事をしてしまう。
だけど、馬車は無情にもベテンブルグ領へと走り出していた。




