55 亀裂
目が覚めた時は、シャルロットやシルヴィアの姿はどこにもなく、木製の屋根が顔をのぞかせている。
……まだ、生きている。
ということは、ベテンブルグに助けられたのだろう。
「……う、うぅ」
駄目だ。まだしばらく言葉が出せそうにない。
腹の中もまだ痛みが続いている。
それはそうだ。彼女は岩でできている。高速で飛んできた岩にぶつかったようなものなのだから。
「目、覚めましたか」
「ああ」
俺は突然かけられた声に何げなく返事をする。
その声の持ち主は、先ほど俺がかばった少女、ソフィアのものだとは一瞬気付かなくて、気が付いたとたん俺は飛び起きてしまった。
「えっ、ソフィア!?」
「寝ててください。今は敵対の意思はありません」
その言葉は本当らしく、彼女の剣は近くには見当たらない。
といっても、今の俺なら首を絞めて殺せそうだが。
「えっと、ここは?」
「慈愛の街の一室です。空き家となってた家をお借りしてます」
「いいのか?」
「さあ? いいんじゃないですか? 今こうしてあなたを看病してる時点で私は賢者の法に背いてるも同然なんですから、規則なんて気にしませんよ」
……看病というよりは、看護ではないのか?
そんな無粋なことを考えてしまうが、口に出すのはとどまった。
「ベテンブルグたちは?」
「彼らなら、今は他の食卓で食事に混ざっています。彼らは今やこの街のヒーローですからね」
「……はは。そういや、そうだな」
そういえば、今までおかれてきた状況のせいか、食事をしていなかった気がする。
そんな時、奥の部屋からパンを加えたザールが顔をのぞかせた。
「起きたか。すまないな、私たちは先に食事をご馳走してもらっている」
「……ザール? お前は他のところに行かないのか?」
「いつこいつがお前を殺そうとするかわからん。念のため、護衛というやつだ」
ザールはそれだけ言うと、持っていたパンを口に運ぶ。
思えば、六年前とは大きく変わってしまった。
敵だったザールが、俺の味方になり、味方であったソフィアが敵になる。
たった六年で、大きく変わってしまった。
そう思うと、『時間』というものの儚さと直面しなくてはならない。
俺がそんな皮肉めいたことを考えていると、不意にソフィアが口を開く。
「……えっと、その、ラザレス。何故、私を庇ったんですか?」
「え? ああ、その、体が勝手に動いたっていうか、その……」
「お願いします」
真剣な目つきで俺の本心を暴こうとするソフィア。
ザールがいることを忘れているのが、少しだけ問題な気がするが。
「……き、だから」
「え?」
「好きだから、だよ。以前も言ったろ、ほら、イゼルの時」
……あの時は勢いに任せて話したので、今ほどの恥ずかしさはなかった。
だが、こうして面と向かって告白するのは、中々に勇気がいる行動だ。恋文に頼る乙女の気持ちもわかる。
「……お願いします。どうか私を、もう気にかけないでください」
「え?」
「その! その……もう、私たち六年前の関係じゃないんですから、私のことまで背負おうとしないでください」
……彼女がどういった意図でそう言ったのかわからない。
だけど、その事実が指し示す意味は分かる。
「……はは、それはフラれたってことでいいのかな?」
「……え?」
「でも、ごめん。まだもう少しだけ好きでいさせてもらってもいいか? 気持ちの整理をつけたいんだ」
「え? だから、違っ……!」
「そこまでだ」
気が付くと、ザールが俺の枕元まで来て、座っているソフィアをパンを食べながら見下す。
俺は彼が手に持っているパンを食べ終えるのを見届けた後、彼の言葉を一言一句耳に入れた。
「勇者、攻撃できないからと言って精神攻撃か? ずいぶんと卑劣だな、お前は」
「ザール……!」
「違う、そんなつもりじゃ……」
「違わないだろう? 貴様は自身への愛から逃れようとしているだけだ。自身の剣が鈍らないように。賢者の法の意向に疑問を持たないために」
「ザール、やめろ」
俺が彼の口を手で制止する。
「彼女はそんな人じゃない。そんな利己的な考え方をする人じゃない」
「何故庇う? 敵だというのに、貴様の好意を無碍にした敵だというのに」
「敵かもしれないけど、ソフィアだからだ。俺はまだ、彼女と友達のつもりでいる」
「……ラザ、レス」
ザールは俺の態度に深いため息をついた後、吐き捨てるように「勝手にしろ」とだけつぶやき、またパンを食べ始める。
……どうだっていいけどパン多いな。
俺は何とかして起き上がり、そばの机に置いてあった茶でのどを潤すと、前髪で表情が見えないソフィアがボソッとつぶやいた。
「……やっぱり私は、あなたの重荷という立場からは逃げられないんですね」
「え?」
「……ごめんなさい。でも、ラザレス。あなたからの告白は、本当にうれしかったです」
息をつくように言葉を吐くと、そのまま黙りこくってしまう。
俺が話題を探していると、一つだけ彼女にしておきたい質問があったのを思い出した。
「そういえばさ、ソフィアはどうして賢者の法側についているの?」
「……多くの民のためです。多くの民が、私に戦うことを望んでいるから、それだけです」
「なら、その多くの民とかいう人たちは、君のために命を捧げてくれるの?」
「その必要はありません。私は、勇者なのですから」
「……君は、それで満足?」
「……さあ? どうなんでしょうね?」
答えをはぐらかされてしまう、というわけではないようで、彼女はそれに続いて言葉を紡ぐ。
「最近、私にもわからないんです。私は誰かの荷物になりたくないのに、だから、自分を殺して賢者の法に従っているのに、時々こう思うんです」
「『生きている意味があるのかな?』って」
「……」
「もしかしたら、こうして好意を告白してくれたラザレスも、裏では私のことを嫌っていて、無理して合わせてくれているんじゃないかって。それで、自己嫌悪に陥って……」
「……そっか。でも、ソフィア。こう考えられないかな?」
俺は傷ついた体を無理やり立ち上がらせ、彼女と向かい合うように椅子に座る。
「ねえ、ソフィア。君は俺と話していた時、もしかして苦しかった? 嫌だった? 泣きそうだった? 俺は違う。やっと君と話せて嬉しかったんだ」
「……私も、嬉しかったです。でも、もしかしたら私はそれにすがって、あなたに嫌われてしまうかもしれない……それが、つらくて、嫌われたら、もう壊れちゃうかもしれなくて……」
「もしかしたら、君の言う通り俺は明日には君を嫌っているかもしれない。でも、その嬉しかった瞬間は、一生続くんだ」
「え……?」
……俺の本心だった。
嘘偽りない、心からの言葉。
「……だから、もう君は一人なんかじゃない。重荷に感じるときがあるかもしれない。でも、一人じゃないんだ」
「ラザ、レス……」
「……もう、泣いていいんだよ」
俺の言葉を糸切れに、彼女は俺の膝に顔をうずめて泣き出した。
六年の間、彼女は独りぼっちだったのだ。
親代わりのベテンブルグやアリスは彼女の目の前から消えて、たった一人で生きてきたんだ。
目の前の少女は、六年間のつらい気持ちを涙とともに流し始める。
俺はその少女の背中を、出来る限り優しくなで続けていた。




