49 不安
皆が寝静まった夜、俺は一人で見張りをしていた。
小屋の入り口の横に立ち、月を見る。
その周りには大小さまざまな星がちりばめられ、互いに様々な色を発している。
俺はその星々から目を背け、スコットからもらった短剣を見つめる。
……大丈夫だ。まだ覚えている。
スコットからこれをもらったことも覚えている。シアンに色々なことを教えてもらったことも、まだ覚えている。
だけど、それもこれから消える。
……怖い。
でも、逃げられない。この戦争は、俺が止めなくちゃいけない。
大丈夫。きっと、うまくいく。今度はみんながいる。
俺は短剣を鞘に納め、大きく息を吐く。
それと同時に、背後から何者かの足音が聞こえた。
「変わるぞ、ラザレス」
「ザールか。いや、まだ起きていたい」
「そうか」
ザールはそれだけ言うと、俺の隣に腰を下ろす。
彼の手にはいつもの大剣は握られておらず、まったくの丸腰だ。
……多分、俺と話すために来たのだろう。
「……怖いのなら逃げてもいいぞ。私は貴様に、この状況の責任を負わせたりなどしない」
「ああ、正直そうしたいさ。でも、俺はこの戦いから逃げちゃ駄目だと思う。ラザレスとして、彼らの目を覚まさなくてはならない」
「賢者は賢者で、貴様は貴様だ。ゆめゆめ忘れるな」
「知ってるよ。だから、俺は逃げちゃ駄目なんだ。ここで逃げたら、俺は何者でもなくなってしまう」
「……そうか。やはり貴様は変わらんな」
……ザールはそう言ってふっと笑い、眼鏡をはずす。
変わらない、か。昔から俺はこんな風だったのだろうか?
もう、わからない。でも、前に進むしかない。
「……ラザレス、貴様は妹がいたことは覚えているか?」
「え? 俺にそんな人いたっけ?」
「じゃあ、何故賢者と呼ばれていたのかも、覚えていないのか?」
「……んー、悪い。どうしても思い出せないみたいだ」
「そうか」
……思い出せないというか、元から知らなかったかのように、心当たりがない。
だが、ザールはなぜ俺のことをこれほどまでに知っているのだろうか。
「落ち込んだりはしないのか?」
「記憶を失って? いや、失ったという実感がないんだ。なんか、お前から聞いた話は初めて聞かされたみたいな感じで……」
「……そうか。そうだな」
ザールは息をついた後、俺と同じように星を眺める。
「そういえば、俺からも聞いていいか?」
「何だ?」
「お前もダリアの術にかかっているのなら、また俺に切りかかってくるんじゃないのか?」
「安心しろ。それについては対処してある」
……もしや、ダリアの術から抜け出したとか?
それなら、誰かに教えてもよさそうなものだが。
「……なあ、ザール。結局ダリアって何者なんだ? 彼女のあれは、明らかに魔法じゃないだろう?」
「それは……」
ザールが不自然に言い淀んでしまう。
もしかして、俺となにか関係のある存在なのか?
「詳しくは言っても仕方がないが、彼女は貴様とも、私とも関係の深い存在だ。貴様は忘れていても、私にとっては忘れがたい、憎むべき存在」
「……そうか。じゃあ、最後に一つだけいいか?」
「ああ」
「俺の名前って、何だったんだ?」
これは、単純な好奇心からの質問だった。
だが、彼は一瞬目を見開いた後、目を閉じて息を吐くように答えた。
「……忘れた。それに、知ってどうする?」
「どうするもなにも……気になるだろ?」
「そうか。だが、残念だが私は忘れてしまった」
……結局、俺の名前は誰にも聞けずじまいか。
いや、もしかしたら、ダリアが知っているかもしれない。
「そっか。じゃあ俺はもう戻る。交代ありがとな」
「ああ。ゆっくり休め」
俺はザールに手を振ると、背中越しに返してくれる。
……彼は大剣をを持ってはいないが、魔法で十分と判断したのだろう。
俺は小屋の戸を開け、壁に体を預け目を閉じる。
……俺は、これから何を忘れていくのだろう。
シルヴィアも、最初は俺と同じように恐怖したのだろうか?
……ソフィアも、忘れてしまうのだろうか。
「……それは、嫌だな」
力を使わなければ、それでいい。
だけど、俺には力が足りない。剣術も、ザールのそれには遠く及ばない。
だから、使わなくてはいけない。じゃないと、生き残れない。
だが、俺は思い出してしまう。
生きるとき描いた、『誰かを助けられる存在』。
平和を作り出す神と、何が違う?
何も違わない。
だが、ここにいる彼らはその存在を否定する。
どちらが正しいんだ?
わからない。俺は、間違っているのか?
もう一度、ソフィアと話をしよう。
それから、彼らの目的を聞かなけらばならない。
俺は落ちていく意識の中で、そう考えた。




