5 泡沫の夢
その日は、六歳の誕生日だった。
もうすっかり読み書きや会話。そして剣術も上達し、ある程度賢者としての俺ではなく、ラザレスとしての俺としての生を歩もうとしている。
だけど、封印されてしまった賢者としての力、それを取り戻したい。そんな気持ちもあった。
シアンは魔法を憎んでいる。だから、取り戻すことは親不孝なのだろう。
だが、それでもあの力を欲してしまう自分が情けなく、醜く見えた。
そんな時、誕生日席に鎮座している俺を不審に思ったのか、シアンが気を使って話しかけてくれた。
「……ラザレス。どうしたの?」
「え? あ、いや。なんでもない」
「浮かない顔ね。もしかして、具合悪かった?」
「……そうじゃなくて、その……」
聞くべきだろうか?
どうして魔法を憎んでいるのか。
だが、魔法は人の命を奪うために作られたものもある。
だから、うかつなことは口に出せない。
俺は口をつぐみ、どうするべきか考えていると、気まずく思ったのかスコットが笑顔で包みを手渡し、微笑みかけてくれた。
「そうだ、ラザレス。お前にプレゼントがあるんだ!」
「プレゼント?」
「ああ。その包み、あけてみなさい」
俺は手渡された布の包みを机の上で広げる。
そこには、五歳のころに渡された木製の短剣ではなく、今度は鉄製の短剣が俺の目の前にあった。
鉄製の方は木製のものの形そっくりで、同じように手になじむ。
だが、鉄製のほうが遥かに重い。少しでも力を抜いたら落としてしまいそうだ。
「どうだ。それは、父さんの友人に作ってもらったんだ。世界で一つだけの、ラザレスだけの剣だ」
「……僕、だけの」
「ああ。ラザレスは旅をするんだろう? なら、護身用にとね。まあ、使わないのが一番だけどね」
そう言って朗らかに笑うスコット。
俺は刀身を眺めていると、そこには銀髪の少年が映っている。
これはラザレスだ。俺じゃない。
この贈り物はラザレスに対してであって、俺に対してじゃない。
だけど、何故なのだろうか。
嬉しくて仕方がない。目にとどめておきたい感情が、とめどなくこぼれてくる。
「あ、あれ? もしかして、気に入らなかったかい?」
「……いえ、本当に嬉しい。ありがとう」
「そっか。気に入ってくれたのなら何よりだ」
スコットはそう言って俺に対して微笑んでくれる。
俺は涙を手でぬぐい、刀身を鞘に納める。
その時、台所で何かが割れたかのような大きな音が家中に響いた。
「……皿でも割れたのかしら? ちょっと見てくるわね」
シアンは立ち上がって台所へ歩いていく。
俺もそれを止めようとはしなかった。同じように皿が割れたと思っていたからだ。
だけど、その選択は間違っていた。
「動くな! 腕を頭の後ろにつけろ!」
見知らぬ男が、シアンの首元に短剣を突き付けている。
それはつまり、人質ということを意味していた。
「シアン!」
「おっと動くなよ。マーキュアス家の財産は俺達でいただくぜ」
男は下卑た笑みでそう告げると同時に、扉の奥から二人の男たちが同様に笑みを浮かべながら部屋に入ってくる。
「お願い、ラザレスだけは!」
「ああ、ここにガキもいんのか。丁度いい、奴隷にすりゃ高く売れるぜ?」
男の言葉に、賛同する他の者ども。
俺は、その姿を見て心から吐き気を催した。
コロセ。
「ラザレス、逃げて!」
「おいガキ。逃げたらお前の母ちゃん、どうなるかわかってるよな?」
本能から、彼らに恐怖を植え付けられる。
意識は違えど、まだ六歳の本能なのだ。
だから、俺はその時動くことができず、ガチガチと歯を鳴らして泣くことしかできなかった。
そんな時、男たちの体に異変が起きた。
シアンを押さえつけていた男の手が、短剣のほうから氷漬けになっていった。
俺はその力をよく知っている。
魔法を、シアンは使っていたのだ。
アア、オモイダシタ。オレハコイツヲシッテイル。
「ラザレス、逃げて!」
「シアン、お前は……!」
俺はシアンの言葉に反応するように必死で逃げだす。
俺には彼らを倒せない。本能がそう告げていた。
剣術も習った。魔法も覚えた。
でも、逃げることしかできなかった。
「おいおい、鬼ごっこのつもりか?」
一人の男が追ってきている。
捕まったら殺されるだろう。きっと、剣術も魔法も意味をなさないまま。
だから、今は逃げなくてはならない。
大丈夫。きっと彼らなら生きている。
今はそう信じるしかない。
俺は家を飛び出て、裏にある山を登り始める。
鬱蒼とした道を駆け抜け、跳ねる泥で靴を汚し、泣きわめく野生の動物たちに恐怖しながら。
それでも、走り続けるしかなかった。
だが、そんな俺にも体力の限界が来ていた。
もう、息が続かない。それどころか、立っていられない。
俺は息をひそめ、木々の中に身を隠す。
そして、しばらくすると追ってきていた男が、息を荒立てながらおいて浮いてきた。
「……ゼェ、ゼェ。クソっ、あのクソガキどこ行きやがった」
男はそう言って剣を抜き、あたりを探し始める。
もう腹をくくるべきだろうか。俺は懐にしまい込んでいた短剣に手をかけると、何者かが俺の背後から話しかけてきた。
「見つけた」
そこには、怒りと疲れ。そして、勝利に対する確信。
そのすべてが見て取れるほど、男の表情はすさまじいものだった。
「……どうして」
「あぁ?」
「どうして、俺達を襲ったんだ! 俺達は別に何も悪いことなんて……!」
「人を選んで強盗する奴がどこにいる。理由があるとすれば……お前がマーキュアス家だからだな」
……マーキュアス家だから?
そんな理由で、この幸せは崩されたのか?
俺は、前の世界を思い出した。
魔族だから、俺は殺した。殺しつくした。
だから、俺がこいつに抱いている気持ちはきっと……。
「……同族嫌悪、か」
「あぁ?」
「……俺はお前を許さない。たとえ、地獄の底で謝り続けたとしてもだ」
「おー怖い。まったく最近のガキときたら」
男は話の途中にもかかわらず、剣を振り下ろした。
俺はそれを間一髪でよけ、短剣を構える。
サア、コロセ。
ケンジャノトキノヨウニ、モウイチド。
「……殺し甲斐があるがあるじゃねえかよ」
男は先ほどまでの笑みはどこにいったのか、怒りを込めた目でこちらを睨む。
俺はその一瞬、確かに恐怖を感じてしまった。
少年としての本能だったのだろうか? それとも、俺と同じこいつに立ち向かうことに恐怖を抱いてしまったのだろうか?
どちらにせよ、もう遅い。
あいつの剣は、俺の肩を貫いてしまっていた。
その瞬間、俺はこいつに負けてしまった。