47 記憶
突然のことに、誰も言葉が発せなかった。
彼はザール。六年前、俺と敵対していた男。
その男が、俺をかばって立っていたのだ。
「……悪いが、こいつを賢者にはさせない」
「誰だ、お前」
「ザール。こいつは覚えちゃいないが、親友だった男だ」
……親友?
何を、言っているんだ?
こいつは俺に切りかかり、その傷は今も腕に残っている。
恨んではいないが、警戒するには十分すぎるものだろう。
「なんで、お前がっ!?」
「話はあとだ。今は逃げるぞ」
ザールはそれだけ言うと、俺を小脇に抱えて大聖堂から飛び出し、城内を駆け抜ける。
彼の走りは俺よりも数倍速く、風を切るように突っ切っていく。
「ザール、お前と俺が親友ってどういうことだ!?」
「……今は詳しくは言えない。ただ一つだけ言うとしたら、お前のその力は、魔法ではなく呪術だということだ」
「何を言ってるんだ? 呪術!?」
……俺のこの力が、呪術?
なら、いったい何を代償にしているというんだ?
まさか、もしかして……。
「……俺の、記憶?」
ザールは何も言わずにうなずく。
……そんなはずはない。俺はこの通り前世の記憶だって、ある……。
……待て、そういえば俺の前の名前ってなんだ?
それに、俺はどうして賢者になった? それに、誰に封印術を掛けられたんだ?
そのことに気付くと、今まで綺麗に繋がっていたと思われていた俺の記憶がほつれてくる。
……もしかして、シアンが言っていた悪い力とは、こういうことだったのか?
「嘘だ、嘘をつくなぁッ!」
「真偽は私にもわからん。だが、この言葉はベテンブルグのものだ。信憑性は高いといえよう」
「……ベテンブルグを知っているのか?」
「ああ。城の前で待ってる」
ザールは片手で大剣を振り回し、迫りくる兵士たちをなぎ倒す。
だが、どれだけ倒されようとも一瞬たりともひるまずこちらへ突き進んでくる姿は、俺の体に恐怖を覚えさせるには十分だった。
「ザール、お前たちの目的はなんだ!? なぜ俺を助けた!?」
「知るか。私は貴様への恩を返しに来ただけだ。どうするかなど、ベテンブルグに聞け」
「恩? いったい何のことだ!?」
「話している余裕があると思うか?」
その言葉とともに、より一層ザールの足が速くなる。
魔法による炎で無理やり道を切り開き、城を駆け抜け、町の中を走り続ける。
そして、ようやく町の外に出られると思ったときに、目の前にはソフィアが剣を抜いて立っていた。
「止まってください。賢者様はこちらのものです」
「ソフィア、俺は……」
「黙れ。神などという戯言に付き合うほど、我らは暇ではない」
「それを決めるのは賢者様自身です」
……ソフィアも、俺を賢者と呼ぶのか。
魔法が使えるのはうれしい。だが、そのために魔族になるのはごめん被る。
だから、今は……。
「ソフィア、どいてくれ。俺は賢者になんてなりたくないんだ」
「なるなら内の問題ではありません。なる時が来てしまったのです。多くの民もそれを望んでいます」
「……それは、ソフィアもか?」
「私の意思は関係ありません。民の意思こそ私の信じるもの」
それだけ言うと、彼女は剣を向いて剣先をこちらに向ける。
だが、足元から噴き出す炎に遮られ、俺たちの前に立ちふさがることはかなわない。
「邪魔だ。貴様の言葉に耳をかす時間はない」
「そうですか。会話が省けるのなら、望ましい限りです」
「……言葉の意味が分からないな」
「なら、教えましょう」
ソフィアはクスリと笑ったのち、剣をこちらに向けて一振りする。
そしてそれは強風となり、行く道の壁となって阻んでいた炎が、たちまち消えてしまった。
「まさか、それは……!」
「魔法ですよ。魔法をかき消す、勇者だけが使える魔法。ご堪能いただけましたか?」
「クソっ、ラザレス! 時間まで戦えるか!?」
「え? あ、ああ!」
ザールは答えを聞くや否や、俺に回していた手を放し、地面に落とす。
俺はその衝撃を胸から受けたため、一瞬先ほど我慢してた吐しゃ物が口から出そうになった。
俺は止血のために巻いた包帯を取り、腕に巻く。
このまま硬化すれば、この壊れた腕も使いものになるはずだ。
だが、俺はソフィアとは……。
「ごめん、ザール。俺はやっぱり戦えない」
「……何のつもりだ。貴様は神にでもなりたいつもりか?」
「違う。だって、ソフィアは……」
「俺が、初めて惚れた女の子なんだ」
俺は包帯を強く巻いて、ザールの元に戻る。
……俺には彼女は傷つけられない。甘いといわれるかもしれないが、それでもできない。
「……馬鹿なんですか? どうして、戦おうとしないんですか!?」
「言ったよ。俺はソフィアが好きだ。だから戦えない」
「貴様、何を……!」
「勝手かもしれない。我儘かもしれない。でも、出来ないんだ。それだけは、俺にはできない」
場違いな言葉に、場が凍り付く。
……その時、はじめて口を開いたのはソフィアだった。
「……ごめんなさい、私はその言葉には今は返答できません」
「そっか。そうだね。こんな最低の告白、聞かなかったことにしてくれてもかまわない」
俺の言葉が終わると同時に、ザールが背中を少しつつく。
……多分、時間まで稼げたのだろう。
俺の肩に手を置き、後ろを確認し始める。
そして、遠くから馬車の音が聞こえてくると同時に、ザールが先ほどよりもより早く走り出した。
その時、ソフィアの口からこぼれた言葉があった。
「ラザレス、私は……」
それ以降は聞こえない。
風の切り裂く音に阻まれながら、俺たちは町から飛び出し、そのまま馬車に飛び乗った。
「みんな、乗ったかい!?」
「ああ、メンティラさん! 早く出してくれ!」
「言われなくても!」
御者台には、六年前とは変わっていないメンティラが座ってこちらを覗いていた。
そして、馬車の奥にはベテンブルグがモノクルをふきながら馬車に乗りかかっていた。




