39 キス
俺はあの部屋を後にし、その足で中庭に向かった。
中庭と館内を区切る扉をくぐった後、一面の白い花畑が姿を現す。
その真ん中には、ソフィアが何かを作っている途中だった。
「ソフィア、何をしているんだ?」
「……その前に一つ質問があります」
ソフィアは少し怒ったような口調で背中越しに俺に話し続ける。
「ラザレスは、何も思わないんですか? 怖いとか、行きたくないとか、何も……」
「……そうだね。行きたくないし、怖い。でも、そう思ったって変えられないんだよ」
「……ッ」
……彼女からしたら、俺の言葉が気に食わないのだろう。
だが、これは本心だ。今までのような強がりじゃない。
「じゃあ、こっちの番だ。一つだけ質問」
「……ずるいです。さっきしたばかりじゃないですか」
「忘れたよ。それに、答えてくれなかったじゃないか」
彼女は不満そうに『覚えているじゃないですか』と呟くが、ここは敢えて気にしないことにする。
その言葉にかまっていてしまったら、いつ話を切り出せるかわかったもんじゃない。
「ソフィアは俺がいなくなっても、戦争に参加するのか?」
「はい。……それが勇者ですから」
「君こそ、怖くないのか?」
「それはもちろん怖いです。でも、逃げたらもっと大勢の人が……」
彼女は怯えたように顔をそらし、何かを作っている手も止まってしまう。
今思うと、彼女は本当に感情豊かになった。……いや、本来はこれが元々の彼女なのだろう。
それに、その考え方はどこか遠くの愚者と、忌々しいほど一致していた。
「ねえ、ソフィア。これだけは覚えておいてほしい」
「……え?」
「君が守ろうとしている人々は、実のところ守ってくれる人なら誰だっていいんだ。適当に担ぎ上げて、救ってくれる存在なら、都合がいい存在以上の何物でもない」
「そんなこと……!」
「あるんだ。きっと君は戦争に行くとき多くの人々に見守られることになる。だけど、きっと心配してくれる人や一緒に戦うと武器を持つ人は、一人だっていやしないはずだ」
「……だから、君が心から信じられるものののために生きてほしい」
これは言いつくろったものではなく、本心だった。
信じるものがあるのなら何だっていい。恋人だって、家族だって、他人だって、自分だって、なんならこの花畑だって。
これが俺から彼女に送る最後の言葉だ。それなら、純粋な厚意で出来た言葉を贈るとしよう。
凍り付いたかのような時間が流れていると、その氷を解かすかのようにソフィアが口を開いた。
「……二回も質問しましたね、ずるいですよ」
「あ、ああ。えっと、ごめん?」
「じゃあ、罰ゲームです」
ソフィアは俺の首元を強引につかむように引き寄せると、そのまま俺の唇と彼女の唇が重なった。
瞬間、この行為が所謂『キス』であることは瞬時に理解できなかった。
「……え?」
「罰ゲームと言いました。これにこりたら、嘘はつかないでくださいね」
そう言って彼女は目線をそらし、耳まで真っ赤に染める。
……何故、キス?
キスというものは、好意を持った人同士がするものであって……。
理解できない。
何と言えばいい?
どんな感情を抱けばいい?
「……え、えっと、ありがとう、かな?」
「罰ゲームに礼なんていらないです」
そう言って、彼女は微笑む。
その時、俺は彼女に言い知れぬ感情を抱いた。
今日限りは、彼女のほうが大きく上手なようだ。
俺は誰かに見られていないかと大慌てで周りを見渡すが、今度こそ誰もいない。
……むしろ誰もいないほうが恥ずかしいような気がする。
「じゃあ、最後に約束です。必ず、戻ってきてくださいね、ラザレス」
「……ああ。わかった」
俺は花畑から立ち上がり、俺の部屋に戻ろうとすると、不意に後ろから彼女に何かをかけられる。
そこには、ここの花で作られた花冠が、首にかかっていた。
……というか、大きすぎるからか頭通り抜けてほぼネックレスのようになっているぞ、これ。
「約束した印です。これをあげますから、絶対に忘れないでください」
「わかった。じゃあ、俺からはこれを」
……きっと、父さんなら許してくれるはずだ。
俺は花冠をよけて、首にかけていたペンダントを彼女の首にかける。
「今は手持ちがないから、これを」
「え? でも、これ大事なものなんじゃ……」
「大丈夫。それ以外にもあるから」
……といっても、残りは短剣くらいしかないが。
でも、魔女の国でただのアクセサリーになるのなら、彼女に持っていてもらったほうがいいだろう。
必ず戻る、証として。
「……じゃ、行ってきます。ソフィア」
「はい。必ず、戻ってきてくださいね」
俺は今度こそ彼女に背を向けて、俺の部屋に歩き始める。
……その時、俺は後ろから叫ぶ彼女の声が聞こえた。
「私は、あなたを信じて戦います! だから、絶対忘れないでください!」
……忘れるもんか。
俺はそれを声に出そうとしたときに、涙が邪魔で振り返り答えを大声で放つことができなかった。
だから、俺は花冠を掲げ、彼女に合図する。
それっきり、彼女の声は俺には届かなくなってしまった。
その日から一週間後、俺はマニカと共にメンティラの馬車で魔女の国の場所へ向かって岩山を走っていた。
勿論、忘れ物はしていない。短剣に、着替えやお金。そして、花冠。
俺は彼女との思い出を一つ一つ忘れないように、ベテンブルグから手渡された日記に、綴ることにした。




