37 理解者
俺は次の日朝早くにベテンブルグ達に呼び出された。
呼び出された応接間にはシルヴィアとベテンブルグが、扉から入ってきた俺を見つめるようにソファーに座っていた。
俺はそんな二人に軽く会釈してから、近くのソファーに腰掛ける。
「さて、話があるというのはほかでもない。今しがた入った魔女の国からの使者による追加要求の件だ」
「……追加要求、とは?」
「魔女の国設立への認可。そして平等な条約。もう一つ加わったのが、君の身柄を明け渡すという条件だ」
……なるほど、ついに国家間にも俺の存在を知られることになってしまったか。
だが、それはある意味こちら側に人質を渡すようなもの。正直なところ、大きく出たなという感想しか出てこない。
「それで、各国の首脳は何と?」
「渡す、というほうに傾いてしまってきている。私たちは国王に意見するには十分な立場だが、意見を変えること自体は難しいのだよ。そこはわかってくれ」
まあ、国家にとって俺の存在など埃のようなものなのだから仕方がないだろう。
「ところで、何故渡そうという流れに? 魔女の国設立に反対だった彼らが魔女の国の要求に屈するはずが……」
「それは、これを見ればわかるわ」
そう静かに告げるシルヴィアの手には、一枚の羊皮紙。
俺はそれを手に取った途端、目を白黒させてしまう。
「……なんだ、これ?」
「あちら側から出された条約の要望だ。……正直、私はこれを罠だとしか思えんのだよ」
その紙には、関税自主権の放棄。奴隷売買の容認。武力の放棄。
等々、明らかに不平等な条約をあちらから吹っ掛けてきていた。
「こんなあからさまな罠、どうして首脳陣は疑わないのですか!?」
「魔女の国との衝突は民意にはそぐわない。もしこれで丸く収まるのなら。国民にとってもいい事だという首脳の判断だ。それに、嘘だとしても滅ぼす大義名分ができる」
「そんな……」
俺は羊皮紙を机にたたきつけ、深呼吸をした後にソファーに体を預けた。
……手詰まりだ。国家の意思では俺は手渡されることになってしまう。
俺を人質にしようにも、もう彼らから出された条約以上のものは期待できないだろうし、滅ぼす意味もなくなった。
「それはいつですか?」
「来週のこの時間だと、使者は言っていた。……それまで、彼女たちに挨拶してくるといい」
ベテンブルグは目を伏せて、絞り出すような声で俺に言う。
俺はそんな彼らを、責め立てる気にはなれない。
だからといって、納得しきれるわけでもない。
「……失礼します」
俺は駆けだすように待合室から飛び出し、玄関の扉をあけ放って外に駆け出した。
夢中になって駆けていた。
ただ駆けて、逃げ切れればいいとも思った。
だけど、心のどこかじゃわかっていた。
俺は六歳のあの夜よりも長い距離を走れることを感じながらも、ただ森の中を走り続けた。
理由なんてない。だけど、走り続ける。
だが、そんな俺にも体力はあるため、もつれた足が俺の体を地面に吸い寄せる。
俺は立ち上がろうとするが、息が上がってまともに動けない。
そんな時、足跡が聞こえた。
「……久しぶりだな、賢者」
俺は顔を上げ、声の主を確認する。
そこには、今会ってはいけない敵である、……ザールが、こちらを見つめていた。
「……お前ら、随分と強硬手段に出たな」
「ああ、これで貴様は私たちのものだ。故に、貴様を切るつもりは今は毛頭ない」
「ハッ、どうだかな。いつぞやも敵意がないといいながら俺達に切りかかってきただろうが」
「茶化すな」
俺は寝転がっている地面から体を震わせて無理やり起き、地面に座る。
ザールはその横に、腰掛けるように座った。
「……何の真似だ」
「確認したいことがある。貴様は、前世のことは覚えているのか?」
「ああ、封印術を魔王から受けたことも、国営の孤児院にいたことだって覚えている。それがどうした?」
俺がザールの横顔を見つめながら答えると、彼はため息をついた後、眼鏡を軽く人差し指で押しあてながら口を開いた。
「なら、貴様は何故賢者と呼ばれていた?」
「それは、俺が強かったからだろ?」
「ああ、そうだ。なら、何をもって強いと選別された?」
「俺が戦争でたった一人生き残ったから、じゃないのか?」
「違う。私の記憶の限りだと、貴様は戦争に行く前から賢者と呼ばれていたはずだ」
……そういえば、俺はいつから賢者と呼ばれだしたのだろうか。
選別方法は……確か……。
駄目だ、思い出せない。いや、思い出せないんじゃない。まるで……知らなかったかのようだ。
「……そうか、やはり貴様は」
「なんだよ?」
「いや、これはお前が気付くことだ。俺から何も言うことはできない」
ザールの煮え切らない言葉に、少しだけ腹が立つ。
そう思うと同時に、俺は口を開いていた。
「じゃあ今度はこっちの番だ。なぜ、お前たちの中で俺を殺そうとするものと生かそうとするもの。二つの派閥が存在している?」
「……それは」
「教えろ。今度はそちらが答える番だ」
……俺はザールを睨むように横顔を見つめた。
だが、俺はその時気付いてしまったのだ。
彼のレンズ越しに見える瞳には、怒りや殺意ではない、純粋な悲しみが映っていたことに。
その態度は、まるで俺のことを心底心配してくれる……理解者のようだった。
「……それは言えない。だが、昔のよしみで教えておいてやる。絶対に気を許すなよ、ラザレス」
「……ザール?」
昔のよしみ? 一体何を言っているんだ?
俺はその疑問を口に出す前に、彼はどこかへと消えてしまった。
俺は彼が去った後洋館へ戻ろうとしたが、その時朝日が昇り始めている空に、遮るような雲が流れていたのが印象的に感じていた。




