35 友
俺は夕食を食べ終えた後、一人で湯船につかっていた。
この洋館はベテンブルグのものとは違い、湯の中に体を沈める従来の風呂で、ほんの少し安心している。
だが、一つ疑問があるとすれば、何故男湯と女湯に別れているのだろうか。普通の家なら分けないだろうに。
「……まあ、いいか」
俺は壁に寄りかかり、内装を一望する。
壁も床も白いタイルでできていて、脱衣所にはいい匂いの檜が敷き詰められていた。
もし俺が家を建てるとしたら、是非参考にしたいほどだ。
「そういえば、久しぶりに風呂に入ったな」
思えば、ダリアに連れ去られてから一度も風呂に入っていない。
不潔だとは思うが、仕方がないとしか言えないのだ。
あの村ではまず風呂がないし、砂漠では水が貴重で、体をかけ流すことしかできない。
そういえば、ダリアと言えば以前ザールに切られた場所がお湯にしみて非常に痛い。
傷跡も一丁前に残っていて、少し肌をさらすのが嫌になるほどだ。
だが、同時にこうも考える。
「これ、歴戦の戦士みたいでちょっとカッコいいかもしれないな」
俺は腕をさすりながら、一度上げた右腕をもう一度湯に沈める。
その度にまたしみるが、湯に入れてしまえば意外と気にならない。
「……ザール、俺はあいつみたいな奴を、どこかで……」
……俺に怒りを抱く人物は、いないといえば嘘になる。
才能というのは平等ではない。ましてや、前世の俺は努力が楽しく思えるほどの才能を持ち合わせていた。
嫉妬の対象となるのも無理はない。
だが、俺はその才能を買われ国の兵士として雇われた。
試験内容は、とても単純で、残酷なもの。
それは……。
「……あー、なんだったっけな」
……途中までは出かかっているのに、忘れてしまったのだろうか。
それとも、俺の中の本能が無理やり忘れさせたとでも言いたいのだろうか?
そんなことを考えていると、ふと隣の壁から、和気あいあいとした声が響いてくるのが聞こえた。
壁を見ると、そこには小指すら入らないほどの小さな穴が。
そして、そこから響くのは……アリスの声だった。
「ソフィアちゃん、長旅お疲れ様ー。どうだった、楽しかったかい?」
「……えっと、その」
「まあ、確かに最後の奴はあれだったけど、ラザレス君とは仲良くなれただろう?」
……壁からのため、表情が読み取れない。
いや、読み取れなくはないのだが、それでは覗きだ。
実年齢を考えてみろ、アリスはともかく、ソフィアは完全にアウトだ。
そんな時、後ろから嗄れ声が聞こえてきた。
「……まったく、君という男は」
「……ベテンブルグ、さん」
……不味い。
いや、覗きまではしていないのだが、疑いを晴らす言葉も出ない。
万事休す、か……。
「耄碌したかな? やれやれ、年は取りたくないものだ」
「え?」
「あまり声を出すな。聞こえてしまうだろう」
ベテンブルグは笑いながら人差し指を手に当て、湯につかる。
……彼でよかった。
「ラザレス君も前世から加算するとそういうことに興味があってもおかしくないお年頃だろう?」
「いえ、覗きをしていたわけじゃ……」
「覗きの一つやひとつ、若いうちにすましておくものだ」
彼は真剣な顔で俺に語り掛ける。
何を推奨しているんだこの人。
「行け、ラザレス。君の行動は、過ちではないよ」
「……ベテンブルグ」
「……何も言うな、ラザレス」
俺達はぐっと腕を組み、俺は穴から聞こえる会話。彼は穴から彼女らを覗き始める。
初めて、この人と心から分かり合えた気がする。
「……単刀直入に聞くよ。ソフィアちゃんはラザレス君のことが好きなの?」
「え? あ、あ……その……」
「いいだろう? 減るものではないのだし」
……耳に全神経を集中させると共に、うるさいほどの心音が体の中を駆け巡る。
ベテンブルグも、そんな俺を見てニッコリとうなずいた。
「……私は、友達として彼のことが好きですし、尊敬しています。でも、それ以上の関係は……」
「ああ、もう! じれったいなぁ!」
「え、と。その……ラザレスは、なんて言ってましたか?」
「結婚したい。可愛すぎて爆発しそうって」
あの女息をするように嘘をつきやがった。
ベテンブルグが息をひそめ、大笑いしている。
だが、反論してはいけない。反論してしまっては、すべてが無駄になってしまう。
「……え? え? ラザレスが、え?」
ソフィアも完全には理解しきれていないらしく、混乱してしまっている。
……やはり、あの女は危険だ。一度年長者としてしからなくてはならない。
そう思って湯船から経とうとすると、ベテンブルグに腕をつかまれ、睨むように彼を見ると顔を横に振られた。
俺は彼の目の言う通りに壁に耳をつけると、ソフィアがぽつりとつぶやきを漏らした。
「……それならどうして……」
「……きっと、負い目に感じてしまっているんだろうね。両親を見殺しにしたって責任を、一人で負わなくてはならないと思っている」
「でも、ラザレスは私のことを救ってくれた。だから、私もラザレスの力になりたいんです!」
「……そうだよね。じゃないと、寂しいよね」
……『寂しい』、か。
確かに、あの夜彼女が俺に気を使って嘘をつかれていたら、きっと同じ気持ちになっていたのだろう。
「……だけど、俺は……」
この世界を戦争に巻き込んだ賢者なのだ。
……世界の責任も、両親の責任も、俺が追わなくてはならない。
俺の気持ちの整理が終わらないうちに、会話は続いていく。
「ラザレスは、本当に強いんです。しっかりしてて……」
「……いや、彼は弱いよ。好きな子を泣かせるなんて、もっともちっぽけな男さ」
「え……? 私、泣いて……?」
……俺の言葉が、ソフィアを思い詰まらせていたという事実に、少しだけ何も言えなかった。
そんな俺の言葉を代弁するように、ベテンブルグが口を開く。
「ラザレス君、君はこの戦争、君一人で勝てるのかね?」
「……それは」
「無理だろう? だから私は、君に最強の戦術を教えるとしよう」
「君の歩んできた道のすべてを背負う必要はない。誰かに心配をかけたくないのなら、その誰かに責任を受け止めさせるくらい、図々しい男になるといい」
ベテンブルグはそれだけ言うと、床に置いていたタオルを拾い上げ脱衣所に向かっていった。




