33 呪術
洋館に入ると、中は薄暗く、壁はどこか灰色がかった白で、床には紫色のカーペットが敷かれていた。
光源と言えば、目の前の階段の踊り場にある青と白のコントラストが特徴的なステンドグラスだけで、どこか神秘的に感じた。
俺はそんな雰囲気にのまれ口を開けたまま何も言えずにいると、シャルロットが肩に乗せたソフィアを下ろし、大きな声を出した。
「シルヴィア、お客さんですよー! ベテンブルグさんに、そのお付きの人たちが来ています!」
そして、シャルロットの声は虚しく洋館の中を駆け巡った後、目の前の階段の先の部屋から、涼しげな声が聞こえた。
「……話は聞いているわ。ベテンブルグ卿ともあろうお方が、人の意見を仰ぎに来るとはね」
ベテンブルグに嫌味を言いながら、一人の少女が階段を下りてくる。
白く長い髪をそのまま垂らした、アリスと同年代位の少女。
そんな彼女を見て、ベテンブルグは苦笑を漏らしつつこちらも皮肉交じりに対応する。
「ごきげんよう、ノエル卿。随分と見ないうちに老けたのではないかね?」
「馬鹿言わないで。この体はゴーレムだってあなたも知っているでしょう?」
「ゴーレムなんですか?」
「……あなたは?」
「あ、ごめんなさい。ラザレス=マーキュアス。当家の現当主を務めさせていただいています」
俺は彼女に深々とお辞儀するが、一切関心を示さないまま階段の最後の段を踏み終えた。
「話は伺っています。魔女の国設立にお互い平等な条約。それが魔女のだした和解の条件なのでしょう?」
「その通り。まあ、決裂に終わりそうだがね。国民の過半数が魔女の力を見くびっているのだよ。歴史の敗者遅るるに足りず、とね」
「愚かね」
「そうかね? 勝手に絶望して、国民を人質にされた後不利な状況で条約を結ぶよりよっぽどいいと思うがね」
確かに、国民の過半数が戦う前に降伏しろとデモを起こそうものなら国政にとって圧倒的に邪魔だ。
……だが、それは。
「政治家の思想だわ。現実も知らない国民のせいで死地に送り込まれる兵士が可哀想ね」
「数的には国民のほうが圧倒的に多い。兵士全員が死ぬのと、国民全員が死ぬのではどちらの被害が大きいか、わからないわけではないだろう?」
「そうね。現実を知らない家畜のほうが、現実を知らしめられた人間より扱いやすいもの」
シルヴィアはそう言い終えると、深いため息をついたのちに改めて口を開いた。
「結論を急いでも仕方ないわ。とりあえず応接間まで案内するから。シャルロット、お願い」
「うん、わかった!」
シャルロットは先ほどの険悪な雰囲気をぶち壊すほどの明るい声を出した後、シルヴィアを肩に乗せ、階段横の通路を歩いていく。
俺達も彼女らの後ろについて歩いていると、ベテンブルグが話しかけてきた。
「君は、『呪術』は知っているかね?」
「……呪術? いえ、知らないです」
「……そうか。シャルロットやシルヴィア。彼女らを動かしているのも呪術の力だ。詳しくは彼女らに後で聞いてみるといい」
「ええ、わかりました」
……呪術とは聞いたこともない言葉だ。
使いこなせば新たな力を手に入れられる気がする。
だが、何故だろうか。嫌な予感がする。
しばらく歩いてシャルロットがくぐれるほどの大きな扉を開けて、一度振り返り大きな声でこちらを呼ぶ。
「みなさーん! ここが応接間ですよ!」
「……シャルロット。うるさい」
「えー、でも小さな声とか苦手なんだよー」
「子供じゃないんだから、もう少し落ち着きなさい。あなただって女の子でしょう?」
どこか二人のやり取りを見ていると、姉妹のようにさえ見えてくる。
そんな感情を抱きながら、応接間と呼ばれる部屋に案内され、促されるまま一人用のソファーに体を沈めた。
俺たち全員がソファーに座ったのを確認すると、シルヴィアが口を開いた。
「……ラザレス。呪術について教えてあげる」
「聞いていたんですか?」
「聞こえたのよ。この体は目も耳もいいもの」
……ゴーレムというのはそこまで便利なものなのだろうか?
「呪術はいわばこの世界における魔法の似て非なるもの。禁術とも呼ばれていたわ」
「……魔法、ですか? でも、この世界に魔法はないって」
「ちょっと違う。この世界の人間には、魔法に必要とされる魔力が無いの。だからね……」
「魔力の代わりに、自身の体で最も大切なものを魔力の代わりに捧げるの」
……何を、言っているんだ?
大切なものを捧げる? そんなことができるのか?
「……それは、大切なものじゃないといけないのですか?」
「ええ。思い入れがあるから、魔法が使いやすくなるらしいの。私の場合は、五感をささげてこの体とシャルロットを動かしてるわ」
「五感、ですか」
「そう。だから、私の本体はもっと別のとこにいるわ。でも、意識は間違いなく私のもの。心臓が遠くにあるようなものね」
「……じゃあ、シャルロットは?」
「勘違いしないで。私は私。シャルロットはシャルロットよ。お友達が自分だけなんて悲しいでしょう?」
シャルロットはその言葉がうれしかったように、座った体を彼女に寄せる。
俺は彼女の姿を見て、口を開いた。
「……その力、俺も使えますか?」
「ラザレス!?」
ソフィアが驚いたように、俺の名前を口に出す。
……だが、この戦争を終わらせなくてはいけないのは、けじめをつけなくてはいけないのは、俺一人なのだ。
そのためなら、どんなに危険な力でも使いこなして見せる。
「誰でもできるわ。でも、止めたほうがいい」
「何故です!?」
「わかるのよ。特に、あなたみたいな人間には使ってほしくない」
「……なんなんですか、それ」
……何故、俺は使ってはいけないんだ?
それに、何故それを彼女が判断するんだ?
俺が考え込んでいるのを邪魔するかのように、今度はベテンブルグが口を開いた。
「待てど暮らせど茶すら出ず。ノエル家は随分と大きな貴族と見える」
「……シャルロット。皆さんにお茶を。ベテンブルグ卿は塩でも混ぜておいて」
「はーい!」
シャルロットはズシンズシンと大きな音をたてながら、応接間から出ていく。
俺はそんな彼女の姿を眺めることしかできなかった。




