3 剣術
あの出来事から三年くらいたっただろうか?
俺は五歳になり、ある程度自由に家の中を歩けるようになっていた。
そこで、二つ気付いたことがある。
この家に魔導書はあれ以外存在していない。
難しい言語もある程度は読めるようになったが、全て小説や評論など、小難しいものばかりだ。
……シアンが魔法を憎んでいるからだろうか?
この家は裕福だ。
三階建てに、庭には噴水や多種類の花。そして、とてつもなく大きな書庫。
大理石でできた壁や床に、豪華絢爛のシャンデリア。
極めつけに、家で一番大きな部屋には、黒曜石でできたテーブルが鎮座している。
俺はそんな一室を通り抜け、大理石でできた床を踏みしめながら、憂鬱な思いで中庭に向かっていた。
なんでも、スコットが剣術を教えてくれるらしい。
正直なところ、勘弁したい。
俺は前の世界から剣術だけは苦手だった。
理由は、稽古をしている間魔法の新たな命令式を考えてしまうため、集中できず周りの奴らよりも成長は遅く、一番弱いとよく馬鹿にされていた。
適材適所という言葉を知らない時代の話だったのだから、そいつらを別に恨んではいないが、そのせいで苦手意識を植え付けられたのは事実だ。
俺は中庭に通ずる扉を開くと、そこには木製の剣で素振りをしている長い銀髪を後ろでまとめた誠実そうな男性で、父であるスコットの姿が見えた。
口角は吊り上がっていて、目は爛々としていらっしゃる。
このことが指し示す事実は、彼はやる気満々ということだ。
「やあラザレス。今日は剣術を教える約束をしていたんだったね」
「はい、そうですね」
今思い出したかのように爽やかな笑みを浮かべこちらに振り向くスコット。
父としてかっこいい姿を見せるのが楽しみで仕方なかったのだろう。そう思うと、少し可愛らしい。
「じゃあラザレス、これは私からのプレゼントだよ」
「これは……」
スコットは自身の持っている木製の剣より、二回り程小さい短剣を手渡ししてくれる。
俺はそれを受け取ると、中身が入っていないのか、物凄く軽い印象を覚えた。
「ラザレスはまだ五歳だからね。それは、父さんからの手作りだよ」
「いいんですか?」
「ああ。それと、今のところは『いいんですか』よりも、『ありがとう』のほうが、相手は喜ぶぞ」
「あ、ありがとう……ございます」
感謝の言葉を述べると、うんうんと首を縦に振るスコット。
やはり先程のは思い出したフリか。もし本当に忘れていたのなら、この剣は存在しなかったはずだ。
「じゃあ、ラザレス。その剣を好きなように振り回して、父さんに当ててみるといい」
「え? でも、それじゃ怪我して……」
「大丈夫。父さんは強いんだぞ」
……そうは言うが、よくシアンに怒られているのを見る。
だが、彼から怒るところは見たことない。
それほどまでに彼は優しい。
だからこそ、この提案に少しだけ戸惑った。
普通この剣じゃ当たってもあまり痛くはない。だが、彼を殴るのは気が引ける。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、彼は鼻息を荒げながらいつもよりもきらめく笑顔でこちらを待っている。
彼はきっと、俺が動くまで一生待つほどの覚悟を抱いているだろう。
俺は昔習ったように剣先を相手の喉元に突きつけるように、右手で短剣を構え、右足を一歩踏み出す。
左手は……どうするのだっただろうか? とりあえず垂らしておくとしよう。
「……行きます!」
俺は左足で踏み込み、相手の懐に飛び込もうとするが、五歳の体だ。如何せん成長し切った体とは勝手が違う。
思ったよりも彼との距離離れていて、一歩で行くところを、二歩踏み込んでしまい、少しバランスを崩してしまう。
「……ハァッ!」
だが、俺は右足を軸にして体を回し、少し飛び上がるようにして、倒れこむような勢いで彼に切りかかる。
だが、彼はそんな俺を見て少し微笑んだ後、剣で的確に俺の短剣のみをついて、宙に浮かんでいる俺の体を受け止めてくれた。
「凄いなラザレス、初めてでここまで出来るとは!」
「……え?」
「バランスを崩したと思ったら、それを生かして攻撃に転ずる。これは中々難しいことだぞ。それこそ、実戦慣れしていないとな」
……まあ、実戦慣れはしているが、まさか剣術で褒められる日が来るとは思わなかった。
だが、実際は俺の攻撃は一切届かず、それどころか彼に体を捕らえられてしまった。
実戦なら、大敗どころの騒ぎじゃない。人質として利用されるだろう。
「ラザレス、悔しいかい?」
「……ええ、まあ。負けたら誰だって悔しいでしょう」
「なら、強くなればいいさ。だって、ラザレスは……」
スコットがそう言いかけたが、何を思ったのかせき込んで中断してしまう。
そこまで言うのなら言ってほしかった。
「……なんでもない。それじゃあまずは構え方から教えようか」
「は、はい。よろしくお願いします」
俺が頭を下げたのを見て、スコットは苦笑する。
「ラザレス。君は素直ないい子だが、もう少し楽にしてもいいんだよ? 僕たちは家族だ。誰も責めやしない」
「……ですが、本来家族には敬語を使うべきでは?」
「そういう家庭もあるかもしれない。でも、父さんはそうしてほしくない。私たちの間に、遠慮なんて必要ないからね」
……そういうものなのだろうか?
前の世界で孤児だった俺には、いまいちよくわからない。
孤児院の先生に対する態度で向かっていたが、やはりまずかったのだろうか?
「……じゃあ、父さん。これでいい?」
「うん。それでいいよ。それじゃあ、まずは構え方から教えるとしようか」
俺はこの後、数時間くらい稽古に付き合わされる。
だが、前の世界とは違い、嫌な気持ちはどこかへと無くなっていた。