22 鮮血
俺の右腕からは、赤い鮮血が流れ出ていた。
先ほどまで武器にしていた棒も折れ、すでに武器はない。
短剣も、部屋に置いてきてしまった。
「……賢者とは笑わせる。貴様は脆い。脆すぎる」
「まだ、終わっちゃいない……!」
俺は右腕を突き出し、魔力を込め始める。
だが、封印術のせいでうまく命令式までに魔力が届かない。
だけど、届かせるしかないのだ。
「魔法か。貴様の魔法は我らが世界でも追随を許さない威力だったとダリヤから聞いた」
「……ダリヤ?」
「貴様の雷撃を受け止めた女の名だ。想像以上、と褒めていたぞ。あの魔法が無かったら仕留め切れていた、ともな」
……じゃあ、あの靄を操る女性……ダリヤはあれで手負いだったという事か?
そうなってしまうとその手負いの状態でアルバを退けたということになる。
本当に、勝てるのだろうか。
そんな考えが頭をよぎったとき、アリスが口を開いた。
「……お話は終わりかい?」
彼女は男の後ろに回り込み、首元にナイフを当てている。
彼女の表情は、先ほどの朗らかな印象とは打って変わって何も感じさせない表情。
だが、人を殺すことに手慣れている眼付だ。
「……話の邪魔をするな」
「するよ。話している最中が一番隙だらけだったからね」
「卑怯な。恥という言葉を知らないのか?」
「知ってるよ。ただの人間だと思って侮っていた君のことを言うんだよね」
アリスは淡々と感情のこもっていない声で男を追い詰める。
そして、そのナイフが喉元に当たり、そこから一滴の血が流れた。
「じゃあね。君のこと無駄にはしないから」
男の喉元に突き刺しているナイフに力を込めるアリス。
だが、そのナイフは途中で止まり、それ以上動かなくなってしまった。
「魔法を使えるものが、使えぬものに劣るとでも?」
男はそれだけ言うと、指でナイフをつかみ、そのまま押し返す。
アリスはそのナイフから素早く手を離し、腰にあったもう一本のナイフを抜きながら後ろへ飛んだ。
男はそれを見送った後、首からナイフを抜くと、その先端は溶けてなくなっていた。
「炎か」
「流石は賢者。博識だな。私の血液に煮えたぎるほどの魔力を注ぎ、炎の命令式を描いた」
「……ふざけるなよ。そんな魔法、使えるわけがない」
「そうだな。普通の人間なら無理だろうな」
男はその言葉の最後に「だが」という一言を付け加えると同時に、凄まじい速度で俺の懐に飛び込んだ。
「私は一度、死んだ身なのでな」
男のこぶしの勢いで、吹き飛ぶ瞬間に確かにそう聞こえた。
……一度、死んだ?
嘘だ。人を生き返らせる魔法などない。
「……カ、ハッ」
「本当に弱いな、貴様は。賢者を名乗る資格などとうに失ったと見える」
俺の腕から血が流れ出てくる。
それと同時に、意識が飛びそうになる。
……そんな時、俺はあることを思い出した。
俺にはまだ、魔法がある。
封印された魔法ではなく、ノーリスクで使える魔法が。
俺は棒を捨て、手をだらりと垂らした。
「……降参か。悪いが、貴様にかける慈悲など持ち合わせてはいない」
違う。
血が腕全体に広がり、赤黒い色に染まっていく。
それは、最終手段だった。
俺はまんべんなく赤黒い色になった腕で、無理やり男を殴りつけた。
男は、それを回避しようともせず掌で受け止めると、骨が折れる音が聞こえる。
「……貴様、何をしたッ!?」
「魔法だ。確かに、魔法なしじゃアンタに勝てない。なら、魔法を使えばいい」
俺は鮮血にまみれた手で、もう一度男を殴りつける。
今度はかわされ、そのまま勢いで地面を殴りつけてしまうが、痛みは感じない。
「俺が使える魔法はこれしかないからな。これが俺の最後の武器だ」
「……まさか、身体強化?」
「違う。俺はただ、自分の血を硬化しただけだ」
「魔法だと? そんなものが、魔法であるはずがッ……!」
俺はもう一度、男に殴りかかる。
男はそれをかわしながら剣で切りかかるが、その刃が肌には届かない。
「ふざけるなッ、そんなめちゃくちゃな理屈で……! 普通なら、貴様の体内の血まで硬化して死ぬはずだ!」
「……そうしないように理屈を考えるのが、魔術師というものだ」
隙を与えないように、男を殴り続ける。
だが、勿論この魔法にもデメリットはある。
傷口が開いて使い物にならなくなるリスクと、傷つかなくては使えないという前提条件。
しかも、魔力は俺の物を使っているので、自分の血でなくてはならない。
そんな時、男の周りに靄が浮き始めた。
「……ザール。あなたって、本当使えませんのね。子供のお使いすら満足にこなせないのかしら?」
「ダリア……!」
「この前の……!」
靄の中心には、俺に向けて微笑みながら手を振るダリアがいた。
俺は右腕で殴りつけようとするが、アリスに止められてしまった。
「……多分、今は手を出さないほうがいいと思うんだ」
「……アリスさんがそう言うのなら」
「賢明ですのね。今はあなた方と敵対する意思はなくてよ」
……確かに、彼女なら今の俺を簡単に仕留められるはずだ。
だが、そうはしなかった。
「数年後私たちは、世界に宣戦布告しますわ。そこでまた会いましょう」
「待てッ、まさか本当に……!」
「ええ。戦争、始めますの」
ダリアはそう言ってクスリと笑うと、彼らを中心に靄がかかっていく。
俺はそんな彼らに手を伸ばすが、そのころには二人は消えていた。




