2 魔法
あれから二年くらいたっただろうか。
少しだけだが、言語が多少は理解できるようになり、自分の名前が最近分かるようになった。
俺は両親から『ラザレス=マーキュアス』という名を授かったらしい。
そして、もう一つ分かったことがあった。
封印術は今も引き継がれている。
魔法とは魔力をイメージに組み込むことで起こすことができる奇跡のような力なのだが、組み込む力を阻害する力が封印術なのだ。
だが、魔力は今も健在なようで、自身が弱くなったという気は起きない。
俺は今日も書庫に入り浸り、本をあさり始める。
まだ、俺は身長のせいで本棚の一番下の本しか引き抜けないが、この家の本は俺の世界からしても異常な量だった。
書庫というと、こぢんまりした本棚が置いてあるだけの小さな部屋という印象があったが、ここは違う。
二歳児が一周するのに十分くらいかかる部屋に、本棚が至る所に敷き詰められ、軽い本屋のようになっている。
「児童書に解呪の方法、載ってるわけないよな……」
俺はいつも通りこの大量の本の中にある五冊だけの児童書を手に取り、中を繰り返し読み始める。
これは文字を読むための練習でもあるし、単純に興味深いものもあったからだ。
その五冊とは、そのうちの四冊は物語なのだが、一冊は違う。
俺の世界では見たことのない、魔導書のような本だった。
その本は、一つだけ絵柄ではなく文字で解説してある、異質な頁で構成されていた。
「……物質に魔力を込めて、硬化させる、か」
俺が封印されたのは魔法だけで、魔力はそのままのためあの世界にない魔法なら使えるかもしれない。
だが、硬化させた後捨てられるものが見つからない。
そして、もし硬化が出来たとしても、元に戻すことができるとは限らない。
「でも、もし成功したら……」
解呪の役に立つかもしれない。
今まで封印術が解呪できたという前例はないが、俺が初の前例になれるかもしれない。
ちなみに、児童用の魔導書には硬化以外にも書かれているが、そのほかは俺の世界でもあった基礎的な魔法だ。
「とりあえず、やってみよう。硬化するのはこの靴下でいいかな」
俺はページをめくり、硬化の場所に戻ろうとすると、その時に右手の人差し指を切ってしまう。
「痛っ」
俺は素早く傷口をなめ、紙に血がつかないように人差し指を離して本を閉じる。
紙はいつの世も貴重だ。これはこの世界においても同じなはずである。
だが、そんな時俺は人差し指に流れている血を見て思いついてしまった。
これで硬化を試したらどうなるのだろうか、と。
俺は切り口から一滴血を掌にこぼし、本に書いてあるように魔力を込める。
すると、魔力が血に流れ込んでいく感覚を覚え、気が付くと血は液体からドロドロのスライムのようになっていた。
「……出来た、のか?」
俺はそのスライムを指先でつつくと、力が加わった方向に逆らわず、素直に指が食い込む。
だが、まだ完全に固まっていないためか、いくらか指に血がついてしまった。
俺はもう一度魔力を込め、さらに血を固くする。
そして、指で軽くつつくと、スライムから木くらいには硬くなっていた。
「出来た……! 出来たんだ!」
俺は小さい子供のように手を挙げて喜ぶ。
いや、実際子供なのだが。
良かった。
コレデマタ、ケンジャトヨバレル。
だが、俺はすべての魔法を封印されたわけではなかった。
俺にも、使うことができる魔法はある。
そのことが、たまらなく嬉しかった。
そんな時、書庫の扉がノックされ、亜麻色の髪を腰まで下ろした、優しそうな女性が顔のぞかせる。
彼女の名前はシアン。この体の母だ。
何故だか、懐かしい気持ちにさせてくれるこの女性が、俺は好きだった。
「どうしたの、ラザレス。珍しく元気だけど、面白いお話でもあったの?」
「いえ、お待ちください。見てください、魔法が使えるようになったんです!」
「……ラザレス、その本から今すぐ手をどけなさい」
シアンは今までにないほどの焦りを言葉に込め、俺の手から魔導書を奪い取る。
俺はあまりに突然で抵抗できず、彼女の様子を見ていることしかできなかった。
「何のつもりです、母上!」
「……どうして、どうしてこんな本がここに……」
……駄目だ。話を聞こうともしない。
シアンは穴が開きそうなほど恨めしい目で本を見つめ、そしてそのまま俺のほうへと振り向いた。
「……ラザレス。その力、今すぐ忘れなさい」
「何故です!? どうして、せっかく習得できたというのに……」
「……あなたのためなの。聞けるわね?」
威圧的に、それでいて冷静に俺に言い放つ。
その様子だと、魔法を心から毛嫌いしているらしい。
「何故、そこまで魔法を憎んでいらっしゃるのですか?」
「……魔法? この力は、魔法なんかじゃ……」
「どういう、ことですか?」
彼女はハッとした表情をした後、黙り込んでいる。
この人は何を言っているんだ?
魔力を使う術式。これが魔法でなくてなんだというのだ?
「このことは、お父さんには内緒にしておきますから、ちゃんと忘れるようにね? わかった?」
「……はい」
「そう。ラザレスは素直でいい子に育つわ。怒ってごめんなさいね」
シアンはそう返すと、いつも通りの上機嫌で部屋から去っていく。
俺はそんな彼女の後姿を、ただ見ていることしかできなかった。