59 覚醒
「あ、そういえばなんだけどさ」
宿のテーブルを三人で囲み、食事を口に運んでいたメアが弾かれたかのようにフェレスを見上げる。
彼女も一度手を止め、メアの方を見る。
「フェレスって名前、誰がつけたんだ? なんかさ、情報だと死者って呼ばれてるって聞いたんだけどよ」
「わからない。でも、誰かがつけてくれた。だから、そう名乗ってる」
「割り込む様で申し訳ないが、普通に両親がつけてくれた名前だろう」
「いや普通はそうなんだけどさあ」
「もしくは情報が間違っていたのだろう。あまり気にすることはない」
「ううん、私を死者と呼ぶ人がいたのは事実だから」
彼女は右腕をさすりながら言う。
ザールはそのしぐさが妙に気になり、食事の手を止め、彼女に聞く。
「右腕を痛めたのか?」
「そうじゃなくて……ううん、見た方がはやい」
彼女は食事として出されているパンを左手から右手に持ち替える。
そして、先ほどまで確かにそこにあったパンが触れると同時に音もたてずに消え去った。
「……っ!?」
「私の呪術は右腕に触れるものすべての命を奪う。命を奪う者、だから死者と呼ばれていた。その対価として、私に悲しみ以外の感情はない」
「……話に聞いていたけど、マジだったんだな」
「止められないのか?」
「出来ない。だから私はずっと、この右腕と生きてきた」
メアはなくなってしまったパンの代わりに自身のパンをフェレスのさらに移し替える。
その時に、何かを思い出したかのような表情を浮かべ、彼女の顔を見上げた。
「そういえばさ、その呪術っていつからあったんだ?」
「いつから……?」
「というか、それ自体呪術なのかも怪しい。対価を支払い続ける呪術なんて、あの性悪勇者が作るかよ」
「知った口だな」
「不愉快だが元仲間だしな。それに、あの無駄に平等平等言ってるフォルセが死者って侮蔑的な名前を付けるのも引っかかるんだよな」
彼女の言葉にザールも頷く。
イゼルの奴隷に対し嫌悪すら抱いていたフォルセの民が、彼女にこのような仕打ちは考えにくいことは、ザールもうすうす考えついていた。
永遠に止まらない呪術、死者という呼び名。
その二つの疑問に、彼らの言葉が詰まる。
その時、彼らに話しかける存在があった。
「あの、先程の方のお怪我は大丈夫でしたか?」
「ん? ああ、ご主人か。急だというのに部屋を用意し、さらには食事まで。何と礼をしたらいいか……」
「ああ、いえ。いいのですよ。この宿はあまり人が来ませんから、普段暇なのです。村の雰囲気が、よいとは言えませんからなあ……」
「でも爺さん、あんたはまともそうじゃん?」
「失礼だぞ、メア」
「いえいえ、そこのお嬢さんの言いたいこともわかります。それに、人を止める役職柄、人を恐れていては成り立たないものですから」
「恐れる? 何故だ?」
「少々長話になりますが、よろしいですかな?」
「構わない。良ければ座ってくれ」
「ありがとうございます。それでは失礼して、椅子をお借りします」
年老いた男性はよいしょ、と言葉を漏らしながら椅子に座り、最早開いているかどうかもわからない目でこちらを見た後、口を開いた。
「この村は、この世界の創造神を神として祀っていましてな。昔は大層大きな町だったそうです」
「創造神……」
「ええ。ご存じなかったでしょう? もうその教えは廃れ、村の中でしか存在しないものとなって久しいですから」
「それが、この村の者が人を恐れる理由か?」
「いえ、まだ続きがございます。何故この教えが廃れたか、一つ大きな理由がありましてな」
彼は一度フェレスの方を一瞥した後、咳払いを一つして正面に座っているザールの目を覗き、言った。
「この教えを信じる者に、乱暴をするものが現れたのです」
「それは、誰が?」
「さあ……それが誰だったのかまでは、語られていませんから。これで、お話はおしまいです」
よいしょ、と呟きながら席を立ち、受付へと戻っていく老人。
ザールはその背中に声をかける。
「おかげでこの村のことが知れた、ありがとう」
彼の言葉に老人は振り返り、いえいえといって笑うと背中を向けて歩いていく。
そして、彼の姿が見えなくなった時、メアが消え入りそうな声でつぶやく。
「……まさか、もしかして」
「メア? 一体どうした?」
「ザール、わかっちまったかもしれねえ。いや、バカげてることを言ってるのはわかってる。でも、これが事実だとしたら……」
「だから、何を……?」
「だから!」
メアが突然机を叩きつけ、立ち上がる。
明らかに様子のおかしいメアに唖然とするザールに、メアは声を震わせながら言った。
「だから、フェレス。お前が……この世界の創造神かもしれねえって、ことだよ……」
人気のない絨毯の敷かれた道をレオナルが一人駆けていた。
ラザレスを救う薬。それを落とさないように慎重に、そして急ぎながら。
そして、突き当りの扉の前で立ち止まる。
ラザレスが眠っているその扉。その近くに二つの仮面の男たちが扉を開けようとしていた。
生気のないようにゆらゆらと立っている彼らの手には、美しく磨かれた刃。
明らかに敵対的な彼らに対し、レオナルはとっさに弓矢を引いた。
「……っ、外した!」
急いで二射目を構えようとするが、彼らは先ほどまでのゆらゆらとした様子とは打って変わり、凄まじい速度で接近する。
突然のことに反応が遅れたレオナルの首に、刃が差し迫っていた。
やられる、そう思ったレオナルが目を閉じ、これから来る衝撃に備える。
しかし、その衝撃が来るのがあまりにも遅いため、ゆっくりと目を開けると、そこには彼らの手を抑える、黒い手があった。
「……本来ならもうちょっと姿を隠すつもりだったんだが、仕方がない」
「え……? 誰、ですか?」
「フォルセの魔女の一人だよ、死にかけの身体ではあるけどね。状況的に言うなら、君の味方だ」
地面からゆっくりと気だるげな初老の男性が姿を現す。
彼の姿は、レオナルの記憶の中にある枢機卿そのものだった。
「目を覚まさせてきなよ。悪いけど、俺一人じゃこいつら相手に時間を稼ぐことしかできない。もう目が見えていないからね」
「……わかりました。ご武運を」
レオナルが彼らの隣を通り抜け、扉の中へと消えていく。
そんな彼を見送った後、ニコライはゆっくりと胡坐で座り込んだ。
「ずっと立ってても疲れるだけだろう。それに、俺はもう目が見えないから、攻撃を避けることもできない。君たちに勝てることなど、万に一つもないだろうね」
彼はそう言って自嘲気味に笑う。
しかし、彼らはそんなニコライに近付こうとさえしなかった。
否、近付けさえしなかった。
「文字通り、足止めしかできない役立たずさ」
その言葉を合図にしたかのように、彼らを包むように数千本の腕が伸びる。
ニコライは地面を指でなぞりながら、自嘲気味に息を吐く。
「俺もさ、思うことがない訳じゃなかったんだ。あいつに孤児院を守るって言って、それで殺されて、結局守れなくて……。だからさ、罪滅ぼしみたいなもんなんだ」
包みこんでいた腕が、一つ一つ消えていく。
もう、彼らを抑え込めるほどの力はニコライには残っていなかった。
「それにな、まともに人間として生まれてりゃあな、なんて思ったこともあるんだ。差別も何もない、争いのない世界で。あいつらも……俺も、さ」
すべての腕が消える。
彼らの足音が、近付いてくる。
「だけど、現実はこうだ。……だから、賭けてみることにしたんだ。俺達の親玉をも救ったあいつならって。だから、頼むぜ」
足音が止まる。
その時、ニコライは叫んだ。
その方向に、意味などない。ただ、叫びたいから。
こう、叫んだ。
「ラザレス!」
俺の刃が、二人いる仮面の男の内、片方を切り裂く。
そして、そのままの勢いでもう片方を切り裂き、廊下に胡坐をかいている男に振り向いた。
「……死んでいなかったんだな」
「言ったろう? 影は、ずっとお前の側に潜んでるって」
「ずっと、ついてきていたのか?」
俺の言葉に肯定も否定もせず、ただ皮肉交じりに笑う。
そこに俺の知っている余裕のある彼の姿はなく、どこか儚い印象さえ受けた。
「……さて、頼むよ。ラザレス」
「……」
「もうさ、限界なんだ。誰か知らない奴の魔力が流れ込んできてさ、ほら、腕も震えて止まらないんだ」
「……ニコライ」
「きっと、魔核の奴も言ってたと思うけどさ。まあ、なんだ。お前なら出来るさ」
その言葉を最後に、彼は黙り込み動かなくなる。
覚悟を決めた。そういうことなのだろう。
剣を構える。
首筋を狙い、苦しませないように一瞬で。
「ラザレス、何してるんだ!? この人は、味方で……」
「……味方だったな。だから、俺にはこの人があの夜フォルセで自我を失い、暴れていた連中と同じにはしたくないんだ」
「……っ」
レオナルが顔を背ける。
彼にとっては、命の恩人そのものだ。そんなニコライが斬られるところなど見たくないのだろう。
「随分とあんたにしちゃ、分の悪い賭けに乗ったな」
「そういうのも悪くない。そんな気分なのさ」
「……そうか。そうだな。それじゃあな、ニコライ」
刃が振り下ろされる。
そして、振り下ろされた刃を鞘にしまい、呟いた。
「行こう、レオナル」
「……ラザレス。お前は、平気なのか?」
「……さてな。生前、あいつとは憎みあった仲だ」
「だから、あいつを殺した鴉とは、決着をつけないといけない」
その瞬間だった。
油断していたとは言わない。しかし、少しだけ気を緩めていたのは事実だ。
窓に目をそらした瞬間、見えてしまったのだ。
「え――」
「どうした、ラザレス?」
「マクトリアの兵士が……壊滅、している」