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57 星灯り

「ん――」


 メアが息を吐き、目を開ける。

 そこには、顔を覗き込むフィリアの姿があった。


「フィリア?」

「ザール、メア起きた」

「そうか。昼食はそこにおいてある。食べながらでいいから、まずは私の話を聞け」


 彼の言った通り、彼女が寝ていたベッドの隣には三種類のパンがかごに入れられておいてあった。

 それを見て彼女は少しだけ怪訝そうな顔をしながら、椅子に座って腕を組んでいるザールに言った。


「うげ、全部パンかよ……」

「なんだ、嫌いなのか?」

「いや、もっとバランス考えろよ。サラダを添えるとかさ」

「サラダならそのパンに挟まっているだろう」


 ザールが指さしたそこには、確かに野菜を挟んでいるサンドイッチ。

 それとザールを見比べたのち、溜息を吐いた。


「……ザール、お前絶対メイドにはなれねえだろうな」

「元よりなるつもりはない。それより、本題に入るぞ」


 メアがパンにかじりつくと、ザールは目を閉じ、話し始めた。


「まず、なぜここにいるか。それは、倒れている貴様を我々が運び、この村の宿で治療した。幸い、そこまで深い傷もなかったため、私の魔法で十分に治癒した」

「……そういう魔法も使えたんだな」

「ああ。炎が一番しっくりくるだけで、氷も風もつかおうと思えば使える。それより、いったい貴様に何があった?」


 彼の言葉にこたえるために、サンドイッチを一度飲み込む。

 そして、目を見ていった。


「勇者だよ」

「……ソフィアが?」

「違う。あの子は関係ない。……それに、あの子は勇者じゃない」

「どういうことだ?」

「『ソフィアが勇者』という嘘は、ベテンブルグが賢者の法から本物の勇者の存在を隠すため彼女に刷り込んだものだ。本物は別にいる」


 本物が別にいる。

 それを聞いたザールは、目を開いてメアに顔を向けた。


「勇者がいるというのなら、なぜ我々に味方をしない? それに、なぜ今頃姿を現した?」

「味方にならない理由は、あいつが鴉だからだ。だけど、あいつは死ぬ前に呪術という形で力を人々に分け与え、支払われた対価で自分という存在をもう一度作り出した。今頃姿を現した理由は……」


 そこで、彼女は口をつぐんでしまう。

 本当に、言ってしまっていいのか。

 その迷いが、彼女の言葉をせき止めた。


「……どうした?」

「これからいう言葉は……お前にとって、たぶんショックなものになる。それでも、聞きたいか?」

「ああ」


 即答。

 彼の言葉に一瞬だけ逡巡した後に、メアは答えた。


「この世界は一度滅びた。だが、世界を過去に戻すという力を持った時計塔により、滅びを迎えた世界を、再構築した」

「……その呪術も、もともとは……」

「ああ。鴉の時空を行き来する力によるものだ。それに、それ自体は問題じゃない。本当の問題は、対価に支払われたものなんだ」


「対価は『存在』。今ここにいる賢者は、ラザレスという人格を対価に、過去を再構築した」


 ザールはその言葉を聞いて、少しだけ顔を伏せる。

 そして、そのまま口を開いた。


「じゃあ、今いるラザレスは……」

「ああ。あいつは賢者だ。だけど……話に聞いていたやつとは少しだけ違った」


 ごちそうさま、とつぶやいて目を閉じた後、そのまま空を仰ぐように、口元を緩ませながら言った。


「……初めて会ったとき、私はあいつの目を見た。暗くて、冷たくて、そこしれない囚人のような目をしていた。あれが賢者であると知ったとき、正直安心してたんだ。賢者って言っても、あれくらいならなんとかなるって」

「……」


 ザールはその言葉を聞いて黙り込む。

 彼の賢者としての人生。それは、とてもつらいものだった。

 味方もおらず、ただ一人で戦い続けた。最後まで。

 彼をそうするには、十分すぎるほどだっただろう。


「だけど、聞いたんだ。今彼は、自分の意志で鴉と戦っている。一人じゃなく、多くの人と。それを聞いたとき面倒だなって気持ちに、少しだけ安堵もあった」

「安堵、か」

「本音を言うとな、別に私はソフィアもラザレスも、もちろんベテンブルグだって嫌いじゃないんだ。戦いたくなんてなかった。だけど……私を育ててくれたべテンブルグを一人になんてできなかったんだ」

「優しいんだね」


 先ほどまで黙り込んでいたフィリアが口を開く。

 その言葉を聞いた後、頭をかいてそっぽを向いた。その耳は赤く染まっていた。


「私もね、一緒だよ。私も戦いなんて好きじゃない」

「……フィリア」

「剣なんて嫌い。弓なんて嫌い。死んじゃった人も、見たくない」


「だから、止めないといけないの、メア。彼が愛した君だからこそ、彼が間違ってるって言ってあげなきゃいけない」


 フィリアの言葉に目を見開く。

 到底、幼い少女が言わないような言葉。

 それを聞いて、しばらく時間が止まったような感覚に陥った。


 少し経ったのち、ザールが口を開いた。


「私の父親のような人も、狂ってしまった。当時の私は怯え、何もできなかった。だからこそ言える。今止められなかったら、永遠に後悔し続けることになる」

「……」

「改めて聞く。私と共に来てはくれないか、メア」

「……違う、そこはもっと強く言わないと」

「何故だ?」

「いいから」


 フィリアの剣幕に押されて少し考え込んだ後、言い放った。


「私と共に来い、メア。我々で世界を取り戻す時だ」

「……ザール、フィリア。私に、出来るかな」

「出来なくても、私は諦めるつもりはない。奴らがこの世界を否定し続けるのなら、私もそれを否定しよう」

「そうか。なら、私は――」






 少女が走っていた。

 言葉がしゃべれず、天涯孤独のみとなった少女。

 彼女は今、仮面をかぶった謎の存在に、追いかけられていた。


 何度も転びそうにながらも、息を切らし、肩を揺らして走り続けた。

 しかし、少女のスタミナがつき、小石に躓いた衝撃でそのまま宙を舞い、地面に転がり込む形になった。


「うおっ」


 そんな彼女の近くで、一人の男性の声がした。

 その声の持ち主であろう青年が彼女に駆け寄り、膝をついて肩を揺らす。


「おーい、大丈夫か? 結構派手に転んだけど、一人で立てるか?」

「こんな夜中に一人、何をしていたのですか? しかも、こんなに薄暗い森の中で……」


 落ち着いた声をした彼の言う通り、辺りは黒く染まった森に囲まれていた。

 虫さえも鳴かず、静かに星灯りのみがこの空間を照らし続けている。


 そんな時、優しそうな声をした青年の顔が、急に険しくなった。


「……グレアム。気付いたか?」

「ええ。どうやら、見回りに来たのは正解だったようです。構えなさい、レオナル」


 レオナルと呼ばれた青年が弓を構え、グレアムと呼ばれたほうの青年が、少女を庇うようにして立ち、彼女が走ってきた方向を睨む。

 しばらく静寂が場を支配した後に、木の影から先ほど彼女を追いかけていた仮面の男が二人姿を現した。


「……誰だ。仮面を外せ」


 レオナルが声を低くして問いかける。

 しかし、その声が聞こえていないように、彼らは変わらずゆらゆらとこちらへと向かって歩いてきていた。


「警告はしたぞ」


 レオナルがそう言った瞬間、辺り一帯に弓音が響き渡る。

 少女は一度目をつむった後、おずおずと目を開くと、一本の矢が片方の仮面を貫いていた。


 しかし、変わらず彼らはこちらに向かっていた。

 その状況に息をのみ、レオナルは背後にいるグレアムに叫ぶ。


「……っ! グレアム、逃げるぞ! こっちにはその女の子もいる、無理はできない!」

「それを許すとでも?」


 その時、グレアムでも、レオナルでも、ましてや少女のものでもない低くしゃがれた声がした。

 足音が、こちらに近づいてくる。


 刹那、声の迫力に圧され、彼らの足が止まった。


 足音が近づいてくる。

 何か、恐ろしいものが来る。

 その予感だけで、彼らの足は止まってしまっていた。


 そして、足音が止まると同時に、星灯りに照らされその声の正体が彼らの正面に姿を現し、それを見たレオナルが、その名を口にした。


「ベテン、ブルグ……」

「おや、君はあの時の弓兵か。久しぶりだね」

「あら、知り合いだったの」


 今度は、涼しげな声をした女性の声。

 それが、彼らの()()から聞こえた。


「でも残念ね。もうそんな事実はどうでもよくなる。だって、あなたは死ぬんだもの」

「同情しますよ。名も知らぬお二方」


 今度は、彼らの右手の方から落ち着いた青年の声がする。

 姿を見ると、彼らと年はほとんど変わらない、背丈ほどの槍を持った男性がこちらを見つめていた。


 そして、また一つ声がする。

 その声だけは、二人が知っているものだった。

 いつも聞いていた、彼の声。


「……ですがある意味幸運かもしれません。私たちの手で殺されるのですから」


 レオナルが、口を開けたまま何もしゃべらずに、その声の持ち主を見つめていた。

 反対に、グレアムは俯き、歯を食いしばる。

 そして、呟くように言った。


「……そう言う事か。そう言う事かよ」

「グレアム……?」

「ああ、そうだったな。お前は元々裏切り者だったもんな。そうだよな……」


「ラザレスっ!」


 銀髪の青年は、その名を聞いて嬉しそうに微笑んだ。

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