55 裏切り
見覚えのある風景だった。
木々に囲まれた、寂れた村。
ザールは少しだけ立ち止まり、その家々を眺めた。
「……ここは」
「どうした、ザール。なんかあんのか?」
「ここは、私とラザレスが最初に再開した場所だ」
まだ、ダリアに操られていたころ、彼は魔法が使えなかった頃のラザレスと戦った。
たった一人で世界を救い、破滅に導いた男への怒りに任せ、やみくもに剣をふるい、そして敗北した。
「行くぞ。この村に長居はしたくない」
「ザールはそうかもしれねえけどよ、食料とか買いこんどかなきゃいけねえだろ?」
「……なら、私はここで待つ」
「……はあ。あっそ。んじゃ、行ってくる。フェレスはそいつといとけ」
「わかった」
フェレスが小さくうなずくと、ザールの近くへと寄る。
メアはそれを見て再度ため息をつくと、諦めたように村へと歩いて行った。
ザールはそんな彼女の後姿を見送った後、近くの木に腰掛け、フェレスの方を向いた。
「……フェレス、少し話がある」
「なに?」
「お前の右腕についてだ」
ザールの言葉に、体がびくっと震える。
そんな様子の彼女を見て、ザールは眉一つ動かさずに続けた。
「お前は右腕に触れられるのを嫌がっていた。いや、何かに触れないように慎重に動かしていた。何か、その右腕にあるのか?」
「……私の右腕は、触れるものすべての生を奪う。ずっと昔からそうだった」
彼女はそう言って近くの葉っぱを右手で触ると、それはたちまちに枯れてしまい、塵となって風に流されていく。
「なっ……!」
「ある人は、これを呪術だと言った。その対価として、私は悲しみ以外の感情を失った、って」
「それは……」
ザールは言葉を失う。
まだ幼いであろう彼女の体に、何故そのような呪術が施されてしまったのか。
それ以上に、彼女の年齢でその仕打ち、察するに余りあるものがあった。
「……すまない。私には、何と言ったらいいか」
「いい。慣れてる」
「……」
彼は、顔を伏せて、それ以降黙り込んでしまった。
メアは、一人村の中を歩いていた。
そんな村の雰囲気に、そっと舌打ちする。
「……んだコレ、随分と陰気な村だな」
目を合わせると、その誰もが背けるかのように姿を隠す。
道を歩いている人も、どこか彼女から離れるように歩いていた。
「とっとと用事済ませてザールのところに戻るか……」
そうぼやきながら近くにあった売店の戸に手をかけた時、背後に気配を感じた。
「活気のない村かもしれませんが、あなた方の旅の終着点としては上々でしょう?」
声がした。
不気味なほど穏やかで、そのうちに漏れ出すほどの殺意を孕んだ、一度聴いたら忘れられない声。
彼女が振り返ろうとした途端、背中に冷たいものが当たる。
今までの経験から、それが刃物のような何かであることが分かった。
「……ッ、勇者っ!」
「騒ぐと殺します。一つだけ、聞きたいことがあったのでね。それまでは生かしておくとしましょう」
「……なんだ?」
「簡単なことです。どうして裏切ったのか、尋ねておこうと思いまして」
「裏切ったのは、あの女……シルヴィアの方だろうがっ! 要らなくなった駒を使い捨てておいて、よく言えたな!」
「そう吠えないでください。そうですね……貴方さえよろしければ、戻れるように仕向けてあげるというのも悪くはないと思いまして」
彼がそう言い終えると、刃物が背中から離れていく。
それを感じ取ったメアは、振り返って笑った。
「……そりゃ、マジか?」
「ええ。あなたという大切な戦力をここで捨てるわけにはいきませんので。それに、私自身シルヴィアという女性はどうも好きません」
「へえ、そりゃ同意だ。助かったぜ、大将! だけどな……」
「殺意を隠すのは、随分と下手なようだな」
言葉を置き去りにし、刃物と刃物がぶつかる音がする。
その状況に少し驚いたのか、勇者が声を漏らした。
「なるほど、流石の嗅覚ですね。やはりベテンブルグの犬、そうやすやすとはいきませんか」
「……臭えんだよ。テメエの体は。口から出てくる活きから言葉まで全部、血の匂いが染みついていやがる」
「ひどいなあ。以前もそう言われたから今度は香水をつけてきたのに。そんなこと言われると、傷ついちゃいますよ」
話を聞いていたメアの肩が、一瞬にして切り裂かれる。
まるで、元から傷ついていたかのように、突然に。
「……が、あっ」
「ホラ、こんな風に」
「テメェ……っ!」
短刀を抜いて彼の下へと走っていく。
しかし、今度は足首を切り裂かれ、走っていた足を止め、その場にうずくまった。
「ほらほら、もっと頑張ってくださいよ。そんな風に無様に走ってこられると、切りつけたくなっちゃうじゃないですか」
「随分と、悪趣味だな。勇者サマよ」
「悪趣味でなければ、勇者を名乗ってはいません」
にっこりとほほ笑む勇者。
しかし、彼女はそれとは他のところ――彼の周りを探るように、目を泳がせていた。
「何かお探しですか? いいですよ、教えてあげましょう。今私は一人。どこかからの狙撃や伏兵の線をお探しならば、それはありえない、と断言して差し上げます」
「……そりゃご親切にどうも」
「お礼を言っている場合ですか? あなたを切り刻んだのは、他でもないこの私、と言っているのです」
また、気味の悪い笑みを浮かべる勇者。
それを見た瞬間、彼女は駆け出した。
「おや、まだ力の差に気付いておられないとは。いささか拍子抜けですね、ベテンブルグの犬よ」
一歩、一歩、近付いていく。
血が地面に流れ落ち、乾いた地面が湿っていく。切り裂かれた肉に、風が当たるが、彼女の表情は変わらない。
「では、おさらばです」
その瞬間、彼の刃を中心に、豪風が巻き起こる。
威力だけならば、今までのどの斬撃よりも鋭いものだっただろう。
だが……。
「……っ、躱されただとっ!?」
彼の言葉の通り、斬撃は空を切り裂いた。
態勢を立て直してメアを睨むと、彼女は彼の周りを囲うように駆けていた。
「ああ、なるほど。私の隙を伺いますか。クク、どうぞご自由に。背後でも、どこからでも」
余裕の表情を見せ、肩をすくめる勇者。
そして、何周か程回ったのちに、彼女は地面を蹴って、宙を舞った。
「頭上ですか。……ハハ、ハハハハ!」
彼は剣を抜き、頭上の彼女に向けて構える。
落ちてくる彼女を、刃の上へと着地させ、串刺しにするために。
「読んでたんだよ、そんな甘っちょろい手ェ!」
その言葉とともに、剣を突き出そうとする。
しかし、その剣先は、ピクリとも動かなかった。
見ると、その手首は見たことのない糸に固定されていた。
「……メア、この糸はっ!」
その先を妨げるかのように、彼女の体がそのまま勇者に向けて落下していく。
そして、そのまま彼の体を蹴り、バランスを崩した彼ののど元を切り裂き、距離を取る。
蹴られた彼の体は支えるものが無くなったかのように、そのまま地面に倒れた。
「分かってたんだよ。正面から行けば全力の一撃が来るってことは。だから、あらかじめ避けていた。そして、お前の周りをまわっていたのは、糸を張り巡らせるため。だけど、正面からじゃ私の体は糸とともに切り裂かれる。だから、お前が好きそうな串刺しを餌にした」
彼女は物言わぬ彼に語り掛けるように話した後、短刀をしまう。
だが、その瞬間彼女の前髪の何本かが、地面に落ちた。
油断していたメアは、一瞬遅れて背後に飛びのき、こちらを睨んでいる勇者に目を向けた。
「メア、テメェに受けた傷と屈辱、絶対に忘れねえっ……! 次あったときは、この世に生まれてきたことを後悔させてやる……!」
そう語る彼ののどには、あるはずの傷がなかった。
あの瞬間彼がメアの刃を躱したか、もしくは魔法というものの力なのか。
彼女がそれを考えていると、とある事実に目が言った。
赤い目。
勇者であるラザレスの体は、元々青い目をしていた。
それに、先ほどまで話していた彼も、また青い目だった。
そのことに気を取られていると、辺りに靄が立ち込めてくる。
しかし、メアは先ほど無理に飛んで着地した反動が来たのか、勇者を追いかけることはできずに、片膝をつく。
そんな彼女の様子を睨みながら、勇者は靄の中に姿を消した。
「それで、ラザレスは今どうしているの?」
銀髪の少女……シルヴィアが両ひじをつき、目の前の女性に尋ねる。
女性は目が見えないのか、そのまま目をつむったままうなずいた。
「今は眠らせています。……シルヴィア様、ありがとうございます。あなたのおかげで、彼がついに私のものになりました」
「そう。ならいいわ」
シルヴィアはそれだけ言うと、少し微笑んだ後席を立つ。
その様子を音で聞いて、彼女は聞いた。
「もう、行かれるのですか?」
「ええ。今日はラザレスの様子を聞きに来ただけだから。それに、勘づかれて面倒なことになるのも避けたいしね」
「そうですか。……それでは」
扉を開けて、そのまま肩越しに彼女に言った。
「ええ。それじゃあまた。シアン」
扉が閉じる音を、シアンは顔を向けないまま聞いた。




