53 不完全
瓦礫の上、彼は歩いていた。
至る所に、人が倒れている。
そのいずれも、息をしてはいなかった。
「……」
彼は、積みあがったがれきに腰を下ろす。
そして、世界を一望した。
笑顔に包まれていた人々。
咲き誇る花に、美しい空。
そのすべてを、彼は壊した。
背後から、足音がする。
ああ、まただ。彼はため息をつき、振り向いた。
「……お、俺、こんなつもりじゃ……」
「それはおかしい。これが、君の選んだ道で、私はその手伝いをしたまでだ」
「違う、俺は……何も、ここまで……」
彼は、世界を憎んでいた。
周りと比較され、何事もうまくいかず、それでも手を差し伸べてはくれなかった世界に。
だが……それでも、世界を滅ぼすには動機が弱すぎた。
現に今、彼は自身の選択を後悔している。
「……さて、これで私の役目は終わりだ。それでは、好きに生きると良い。君が好きにした世界で」
「待ってくれよ。アンタが行っちゃったら俺、一人になっちまう……!」
「それさえも、君が選んだ道だろう? 私が関与する義務はない」
彼はそう言って、世界を行き来する裂けめの中に身を落とす。
誰もいなくなった洋風の館の中、彼は息をついた。
また、勝った。
彼との勝負に、勝ってしまった。
「……」
また、悲しい思いをする人が増える。
どうして、自分はそちら側ではないのだろう。
どうして神は、私をこちら側として作ったのだろう。
また、同じ問いが彼の中で繰り返される。
この世界は、物語の一節だ。
神が彩る、文字の世界。
様々な世界を、神たちは執筆している。
彼らは、その中でも特異な存在だった。
他の神が彩る世界を、自分のものにしたいという神が現れた。
そんな神の願いの中、彼らは生まれた。
だが、破壊と再生は常に表裏一体。その法則には逆らえず、今度はそんな彼らを抑制する者が生まれた。
だが、彼らは弱すぎた。
様々な世界の崩壊を見てきた。
様々な人の死に触れてきた。
たった一度の敗北もなく、すべて。
すべて、彼は壊してきた。
「……れか」
彼は、完璧だ。
剣術も、学も、何もかもが。
だが、たった一つ。
大きな欠点があるとしたら。
「だれか、助けてくれ……」
彼は、完全ではなかった。
マクトリアの一室に、彼らは集められた。
それぞれ用意された椅子に座り、上座にはシアンが座っている。
重苦しい空気の中、開口一番に彼女は言った。
「もはや時間の猶予はありません。明日、ここを発ちベテンブルグとその配下を討ちます」
彼女の言葉に相当驚いたのか、リンネが席を立ち叫んだ。
「待てよ! それじゃあ、ラザレスは……」
「彼の回復を待つ時間がないことは、故郷を滅ぼされたあなた方が一番ご存じなのでは?」
「……ッ」
「イゼル、フォルセが滅び、ぺスウェンは裏切り。最早この地を収められてしまっては、彼らの勝利というほかありません。ことを成すには、今しか……」
「いやあ、今は止めた方がいいと思うよ」
シアンの言葉を遮るのは、ぺスウェンの元国王であるルークだった。
彼は目の前の机に両ひざをつき、顎の下で腕を組んでいる。
「僕たちぺスウェンは武で四大国の仲間入りをしている。それに、ベテンブルグの力は底が見えないし、なによりまだ彼ら鴉が何人いるのかも把握できていないじゃないか」
「……それは、我らの力を侮っていると?」
「怖い顔しないでくれよ、フォルセ元国王陛下。僕の隣にいるアンセル元隊長だって、そこらの兵士よりはるかに腕が立つ。君たちも同様だろう。だけどね、今僕が言っているのは力がどうとかじゃない」
「僕たちはまだ、敵の戦力すら把握できていないんだよ」
その言葉に、周りに座っている誰もが息をのんだ。
その時、シアンが口を開いた。
「なら、常に彼らの脅威におびえて暮らさなくてはいけないというのですか?」
「そこで、智を代表しているイゼル国王陛下にお話を伺いたいところだが……どうやら、欠席のようだね」
「はい。陛下は気分が悪いため、しばし休むと……」
「……なるほどね。レオナル君、だったっけ? 少し付き合ってもらいたい場所がある」
「へ? お、俺ですか?」
突然の指名に、目を白黒させるレオナル。
そんな彼の手を無理やり引っ張り、彼らとそのあとをついていくアンセルは、会議室を後にした。
「ちょ、ちょっと! どこ行くんですか!?」
「君、弓が得意だって聞いたけど、本当かな?」
「え、ええ……まあ……」
「なら喜ぶと良い。君の腕が今必要になった」
ルークがそう言いながら扉を開け放つと、そこはラザレスが眠っている治療室に繋がっていた。
薄暗く、明かりと言えばカーテンから差し込む光のみ。
そこには当然横たわっているラザレスと……なたのような刃物を振り下ろす、イゼル国王の姿があった。
「……ッ!」
ここで、レオナルはようやく理解した。
何故彼が出席しなかったのか、何故弓の腕を問われたのか。
彼は持っていた弓を引き絞り、今振り下ろさんとする腕を矢で貫いた。
「おお、お見事」
ルークが軽口をたたくと、イゼル国王はこちらを睨む。
その威圧感にレオナルが一歩下がると、代わりにアンセルが前に出た。
「一応聞いておくよ。裏切った理由は?」
「……こいつは、私の国を滅ぼした、民の仇だ」
「おいおい、腕隠してから話しなよ」
ルークの言葉にハッとして、レオナルは貫かれた彼の腕を見る。
そこから一滴も血は垂れてはいなかったが、代わりにひびが入っていた。
「君の目的はそうじゃない。そうだろう、アルノエル?」
「……黙れ、貴様が私の名を呼ぶなど……」
「……残念だよ、アル。本当に、残念だ」
彼がそうつぶやくと、膝から先端が彼の身体から離れる。
見ると、アンセルが剣を抜いていた。
「僕の目を見て言ってほしい。どうして、裏切った?」
「……私は、この戦いに貴様たちが勝つことはないと予期している。だからこそ、生き残る方についた」
「だから、一人で諦めたと?」
「そうだ。私さえ生きていれば、イゼルは……」
「言いなよ。その口ぶり、どうすれば僕たちが勝てるかわかってるんだろう?」
ルークの言葉に、口を閉ざす。
彼はそんなアルノエルの姿を見てため息をついた瞬間、部屋に唯一あった窓が割れた。
「……ッ!?」
「御機嫌よう、諸君。元気にしていたかね?」
散らばったガラスを踏みながら、こちらに初老の男性が歩いてくる。
そして、一番近くにいた……アルノエルの首を切り落とす。
「お久しぶりですね、我が君。どうやらお変わりないようで」
「呪術で時間が奪われているからね。それで、どうしてここに?」
「危うく我々のことを話されそうになりましたからね。飛んできた次第です」
微笑むベテンブルグに対し、アンセルは目だけで人を殺せそうなほどに鋭くにらむ。
レオナルはその状況を理解できず、立ちすくんでいた。
「陛下、あなたのことだ。もうすでにこの状況を打開できる策に気付いているのでは?」
「ああ、勿論だとも。ラザレスが次に目を覚ました時、君たちが不利になるであろうってことくらい、予想が出来ないわけがないだろう?」
「流石です。そこで、一つお願いがあるのですが」
「この舞台から降りてはいただけないでしょうか?」
彼がそう言ったその時。
ルークの目の前で火花が散り、鉄の音がした。
「……させねえよ」
「なるほど。流石は武のぺスウェン。それなりの兵がいるようだ」
レオナルには、見えなかった。
ただ、音がした。
それほどまでに、彼らの剣戟は鋭いものだった。
「不意打ちとはらしくないじゃないか? ベテンブルグ」
「その程度のことをしないと、あなたには勝てないと判断したまで」
「随分と買ってくれているようだ。さて、アンセル」
「撃滅しろ」
「了解」
ルークはそれだけ言うと、ベテンブルグに背を向けて歩き出す。
その隙をベテンブルグが切り裂こうとするが、アンセルがそれを防いだ。
「レオナル君、君も撤退するとしよう」
「え? で、ですが……」
「僕らは人間。化け物同士の戦いに巻き込まれちゃ敵わないだろう? それに、アンセルにとっても我々は邪魔になる」
ルークは笑いながらそう言ってレオナルの手を取り、ほぼ強制的に連れていかれる形で部屋の外へと向かっていく。
「態々獲物が死にに来てくれたんだ。このチャンスを逃すなよ、アンセル隊長」
彼の返答を待たないうちに、扉が開かれる。
ルークは背を向けたまま、微笑むように言った。
「さあ、殺せ殺せ」
その言葉をかき消すように、扉が閉まる音がした。