48 歌
「……ラザレスの意識はまだ戻らないのか?」
レオナルが、先ほどから地面に倒れているラザレスに対し治癒魔法をあてているグレアムに問う。
彼は、少し考えこんだのちに首を横に振った。
「ええ。……背中からわき腹にかけて一突き、ですから。急所は外れているとはいえ、もう少し我々が見つけるのが遅かったら失血死していたでしょうね」
「……そうか。だけど、いったい誰が……?」
「恐らくですが、敵方の魔核に敗れたと考えるのが妥当かもしれません。今の彼から魔力を感じられませんから」
彼はラザレスの腹部に巻かれた血のにじむ包帯に目を落とす。
一度首を振った後、彼はラザレスの体を担ぎ上げ、立ち上がる。
「おい、何やってんだよ!」
「傷口はふさがっています。それに、今ここにいたら危険かもしれません」
「危険って……」
「ラザレスを倒せるほどの存在が、彼の生を見逃すと思いますか? 大方、これは我々を釣るための撒き餌と考えた方が妥当でしょう」
「……そうだな。悪かった」
そうして話が区切られようとしたとき、彼らの背後から話しかける存在があった。
「その必要はありません。彼の体を、こちらへ預けてください」
「……誰でしょうか。見た所、魔女のようですが」
「ええ。……私の名前はシアン。そのラザレスの妹です」
シアンは、彼らの目をじっと見つめる。
グレアムは一歩後ろに下がると、彼らの間を阻むようにレオナルが立った。
「……ラザレスと魔力の質が似ていることから、大方その言葉に嘘偽りの類はないのでしょうね」
「ええ。でしたら、早く……」
「だが、あなたが敵だという可能性もある」
「……そう、ならあの女の子たちにお願いするしかないのでしょうか」
シアンと名乗る女性は片手を口に当て、妖艶にほほ笑む。
その女の子の正体を悟れないほど、二人の頭は悪くはなかった。
「……人質ですか。ラザレスの妹とは到底思えませんね」
「おや、どうしてでしょうか? 弱い人間も等しく殺す、冷酷な賢者の妹そのものではないですか」
「ラザレスは、そんな奴じゃねえ!」
「今はどうだか知りませんが、昔は確かにそうでしたよ」
「……ッ」
歯ぎしりの音が響き渡る。
直情的なレオナルらしい、怒りの表現だった。
だが、そんな彼を目の前にしても、彼女は微笑み続ける。
「さて、行きましょうか。ここにいては危険。その言葉、心より同意いたします」
「ラザレスは死に、狼も消えた。残るはあの女だけね」
こともなげに彼女……シルヴィアは、椅子に座り微笑む。
戦場に立っていた空き家の一室には、他にシャルロット、フィオドーラ、ベテンブルグ。そして、ラザレス。
だが、彼女の言葉に反応するものは誰もいなかった。
そのことが面白くないのか、彼女は鼻を鳴らし、手元の紅茶に口をつける。
しばらくして、ラザレスが口を開いた。
「……俺達は何故こんなところで燻ぶっている。滅ぼすのなら、さっさとやればいいじゃないか」
「まだ時ではない。奴を殺さなくては、我々に隙が生じる」
「……奴?」
ラザレスがベテンブルグを見る。
だが、その問いには答えないまま、彼は窓を見つめたまま呟いた。
「既に一人、向かわせている。彼女が帰ってきたら、始めるとしよう」
彼女は、歌っていた。
瓦礫の山の上、誰も聞いていないとわかりながら。
でないと、自分がまるでこの瓦礫の一部だと錯覚してしまいそうになるから。
彼女は、一人残された。
この国……フォルセは繁栄していたが、一夜にして崩壊した。
彼女を一人残して。
彼女に、記憶はない。
名前も、ない。
ただ、皆は彼女をこう呼んだ。
「死者」と。
「……」
彼女は一通り歌い終えると、瓦礫の街を歩いていく。
そんな彼女を、背後から呼びかける声があった。
「……どこへ行く」
「……」
「お前は、フォルセの人間か?」
「……」
「答えろ。貴様は、賢者の法か」
眼鏡をかけた男性を、彼女の深い藍色の目が映す。
彼はどこか……睨むかのような恐ろしい表情で、彼女を見据えていた。
「どちらでも、ない」
「なら、何故ここにいる。下手な嘘をつくな」
「……あなたは、何故ここにいるの?」
質問に質問で返され、男性の表情が険しくなる。
だが、少し間を置いた後にため息をつき、言った。
「私はイゼル陛下よりフォルセの残党狩りを命じられた」
「……でも、一人」
「だから、なんだ?」
じろりと、少女を睨む目つきがさらに険しくなる。
だが、彼はしばらく彼女の表情を見つめた後、険しい表情を崩して口を開いた。
「騎士団長の全権は特例によりイゼル陛下に譲渡された。……というのは建前で、私の知人が反乱を起こし、責任として降格処分。挙句の果てに、捨て駒といったところだろうか」
「……?」
「いや、理解しようとしなくていい。所詮は愚痴だ。忘れてくれ」
彼はそう言うと、瓦礫の上に腰を下ろす。
そうして両手をついて、空を仰いだ。
「……ザールだ」
「え?」
「私の名はザール。貴様は?」
「……フェレス」
「……そうか。いい名だ」
フェレス。
ザールの居た世界の言葉で、『幸せ』。
偶然だろうが、彼はその事実にほおを緩める。
「非礼を詫びよう。少しだけ、神経質になっていたようだ」
「……」
「きさ……いや、お前はここで何をしていたんだ?」
「歌を、歌ってた」
「歌?」
「うん。誰かに聞こえるかなって」
その言葉とは裏腹に、今の彼女は一人だった。
ザールもその事実で何となくどういう状況か理解したらしく、ただ黙ってうつむく。
「歌が好きなのか?」
「好き」
「そうか。……私の知人にも一人、歌が好きだったものがいた」
「いた?」
「ああ。もう随分行方が知れないが……私の妹のような存在だった」
「寂しくないの?」
「私の世界は無慈悲で残酷だ。そんな私の世界で会えないのだから、きっと彼女は優しくて暖かい世界にいることだろう」
「……よくわからない」
「会わない方が彼女にとって幸せということだ」
彼はそれだけ言うと、周りの焼け落ちた木々を拾い始める。
そうして一か所にまとめると、指先から放った小さな炎で火をつけた。
すでに薄暗くなっていた周囲に、光がともる。
「……私は明日出発する。ついてきたいというのなら、好きにしろ」
そう言って彼は形のいい瓦礫の上に横になる。
だが、突然立ち上がり、背中にかけていた大剣を抜いた。
「フェレス、私の背後に隠れていろ」
「……え?」
「殺意が漏れたな。勝機を悟って油断したか」
ザールが高らかに叫ぶ。
すると、瓦礫の山から桃色の髪を腰まで下げ、ローブに身を包んだ女性が姿を現す。
その姿に、彼は見覚えがあった。
「……何故貴様がここにいる、メア」
「休暇ですから、どこにいてもおかしくありませんよ」
「誤魔化しきれると思うか?」
「……だよなぁ」
彼女がそう言って項垂れた瞬間、彼の目の前に彼女の整った顔が映った。
そして、閃光のように繰り出される短剣を握る手首を、彼は掴む。
「なるほどな。貴様が賢者の法の一人だったという事か?」
「あ? アッハハハ、まだ賢者の法が黒幕だと思ってんのかよ? 傑作だなぁ、元イゼル騎士団長さんよ!」
「……何が言いたい?」
「いんやぁ? 知らねえなら知らないまま、ここで死ねよ」
その言葉とともに、彼女のもう片方の手に握られていた短剣が彼の首をとらえた。
だが、彼の首に触れると同時に、刃先が赤く燃え、飴細工のように溶け始める。
「ああ、そういやお前、そんな芸当もできたんだったな。まあどうでもいいや。それに、元々お前を殺しに来たわけじゃねえしな」
「……私ではない、だと?」
「ああ、そこのガキ。お前の首を取れば旦那も大満足。この世界も終了で、いいこと尽くしって訳よ」
「そうかい。妄想も大概にしとけよ、嬢ちゃん」
その場にいる誰のものでもない声が響くとともに、彼女の後頭部に向けて当て身が飛んだ。
完全に不意を突かれていたのか、意識を失って倒れる彼女を一瞥し、ザールより一回り大きい男性はこちらを見る。
「……感謝する」
「ああ。そんで、イゼルのお偉いさんがこんな辺鄙なところに何の用だ?」
「フォルセの様子を見に来たのだが……事情が変わった。その女の身柄をこちらへ渡してもらおうか」
「年若い女の肉体を手に入れて何に使おうってんだか。それに、名前も明かせない奴をどうして信用しなくちゃならねえんだ?」
「……ザールだ」
「ああ、そうかい。そんじゃザールさんよ。ここは敵国だ。こいつの身柄が欲しいってんなら、俺の指示に従ってもらおうか?」
「……わかった」
「へえ。意外と聞き分け良いじゃねえか」
男性は鼻を鳴らすと、フェレスに視線を向ける。
少し考えこんだ後、彼は口を開いた。
「ルーファウス。俺の名だ。別によろしくしてくれなくたっていいぜ。イゼルの奴となれ合う気なんてさらさらねえからよ」