43 原初の勇者
息が上がっていることを認識しながら、目の前の化け物を睨む。
既に氷の刃は俺の熱で溶け始め、水滴が俺の指を伝う。
何度体を切り刻んでも、目の前の化け物は倒れそうにない。
だが、反対に化け物はこちらを攻撃はしてこなかった。
ただ、後ろのザールとシアンの元へと歩くばかりで、俺の方に目も向けない。
そんな化け物に、心から腹が立っていること自分がいることに、俺はようやく気付いた。
だけど、それがなんだ。
「……眼中にもねえってのか。ふざけんなよ」
気が狂いそうだ。
俺はこいつに、生理的に嫌悪さえしている。
だが、目の前のコイツハ、オレノことなどミモシナイ……!
「殺す。必ず、殺してやるッ……!」
その時、俺は彼の足元に花弁が散っていていることに気付いた。
あの花畑の、白い花。
それは、救世主を目指す少年が生まれた地。
「……」
何故だ。
俺はこいつが憎い。
しかし、……何故だか俺の手は、一瞬の間止まった。
「……救世主」
そう。
その約束を交わした、花畑。
何故、こいつがその時の思い出を握っている。
「もう、やめて。お兄ちゃん」
後ろのシアンが、呟く。
やめる? 俺は、何をやめればいい?
そのことがわからず、ただ立ち尽くす。
「お兄ちゃんは、化け物なんかじゃないよ……っ!」
「……は?」
シアンの言う事が、理解できない。
お兄ちゃんは、俺のことだろう?
――刹那、俺は目の前のこいつと目があった。
「……」
理解はしていた。
だけど、理解はしたくなかった。
ようやく悟る。
こいつは、俺自身だ。
俺自身が忘れ……いや、押し込めていた、俺が今一番見たくない、幼少期の俺だ。
「……ああ、そうか。メンティラが言いたかったこと、今ようやく理解できた気がする」
俺は、ずっとこいつから逃げてきた。
しかし、今はどうにも逃げられそうにない。
逃げ場のない密室で、すべてが終わり、すべてが始まったこの場所で。
今、俺は過去に立ち向かわなくてはならない。
「悪かったな、俺。少しばかり、視力が落ちていたようだ」
「……」
「来いよ。俺は、今回こそお前に打ち勝ってやる」
その言葉でようやく俺に気付いたようで、彼は地に転がっていた包丁の先をこちらへ向ける。
俺がこいつを怖いように、こいつも俺に言いたいことがあるらしい。
こちらへと、走ってくる。
その動きは鈍く、避けることや、そのまま反撃に転じることは可能だろう。
しかし、俺はそれを体で受け止めた。
「……」
「はは。受け止めれば、案外痛くないもんだな」
「……お前、は」
「ああ、待たせたな。今度こそ、俺はお前たちを救いに来た」
不器用で、あまりに遅い結論。
だが、その言葉が救いになることは、俺自身がよくわかっていた。
俺は、俺の背後にいる二人を一瞥し、目の前の扉を睨む。
一度大きく息を吐き、拳に神経を集中させる。
そうして、目の前の扉に撃ちはなった。
「……メンティラさんは、これからどうするつもりですか?」
「これから……勿論、ベテンブルグを倒す。そのために、今ここに僕はいるからね」
「そうですか、奇遇ですね。私もです」
「……はは、そっか。こんなことを言ったら失礼かもしれないけど、僕たちは似ているのかもね」
メンティラの乾いた笑いが夜空に響く。
狼は、それを真顔で受け止めた。
「そうかもしれません」
狼の返答と同時に、一瞬空気が張り詰めたような感覚が狼を襲う。
メンティラもそれに気付いたようで、持っていた剣の柄を握る。
暗闇の方向から姿を現したのは、もう一人の鴉……ベテンブルグだった。
「久方ぶりだね、二人とも」
「……ベテンブルグ」
「お前、わざわざ死にに来たつもりか?」
狼の言葉に、面を食らったかのような表情をした後に、こらえきれなくなったのか笑いだす。
「いや、昼間の三人がしくじったと聞いてね、その後始末に駆られたというわけさ」
「……ラザレスは、殺させないよ」
「そんな小物どうだっていい。私の目的は、狼。君だよ」
「俺の目的も貴様だ。気色悪いが、俺達は気が合うらしい」
「そのようだ」
ベテンブルグは冗談を鼻で笑い、肩をすくめる。
次の瞬間、狼の頬に傷がついていた。
「……っ」
「世界にはルールがあってね。同一の存在は、同じ時間軸には存在できない」
「それで、邪魔になる俺を排除しに来たと?」
「その通り。最早悪魔をこの世界に呼び出すのは無理だと判断してね。別のプランに切り替えさせてもらった」
さて、と話を区切ると、彼は両手を広げる。
その隙だらけの恰好とは裏腹に、彼の表情は自身に満ち溢れていた。
「断罪の時だ。諸君、最後の時を好きに過ごしたまえ」
激しい剣戟の音が聞こえる。
目の前には、狼とメンティラ。
――そして、ベテンブルグ。
「……何故、貴様が」
呟く。
しかし、その声は剣戟にかき消された。
いや、本当は剣戟なのかさえ定かではない。
何故なら、目の前のベテンブルグは、剣さえも抜いてはいないのだから。
二人同時に相手して、だ。
俺が目覚めていることに気付いた狼が、振り向かず言った。
「逃げろっ。今お前を失ったら、本当に終わりだッ!」
「……くそっ!」
目の前の状況を見て、俺が加勢したって無駄だということくらいはわかる。
それに、白狼を連れてこられればきっと、勝機はあるだろう。
今は、逃げるしかない。
その時、背後から呼び止められた。
「ああ、ラザレス君。言っておくが、牙のもう一人は私の部下と遊んでいる。援軍を呼ぼうなど考えても無駄だ」
「……余所見をする余裕があるのか?」
一瞬だけ俺に気を取られたベテンブルグの背後に回り込み、狼が首を一閃する。
だが、彼はそれを見もせずに片手で刀身を受け止めた。
「あるとも。私が剣を抜いていない時点で、それは明白だと感じるがね?」
「……ベテンブルグ。悪魔は形はどうあれ滅んだ。貴様の野望は打ち砕かれたはずだ。なのに、なぜこの世界に仇をなす!」
「……ああ、なるほど。ラザレスに伝えるためか。いいだろう、話すとしよう」
ベテンブルグは一度彼らから距離を取り、軽く埃を掃ってから話し始めた。
「ラザレス、呪術の代償は、どこへ消えるか知っているか?」
「……知るか」
「全ては呪術の創設者、原初の勇者へと還元されるのだよ。姿を消した、最後の鴉へとね」
「勇者が鴉、だと……?」
「そうだとも。そして彼は今、ラザレスという存在を得た。すべて君のおかげだよ。協力ありがとう、賢者様」
……俺が、ベテンブルグに協力していた?
ラザレスという存在を得た? 何を、言っているんだ?
違う。もうすでに俺はそのことを理解していた。
呪術は勇者の体を作り出すための代償を集める手段だったのだろう。
そして、俺はラザレスという存在を渡してしまった。
「だがね、この世界には同じ存在は二人存在してはいけないという面倒な決まりがある。それゆえに、私は狼を排除しなくてはならないのだよ」
「……狼とラザレスに、何の関係がある……ッ!」
「あるとも。態々この世界まで時空を超え、私の計画の邪魔をしてくれたね」
「ラザレス=マーキュアス君?」
その名前は、俺のものだった。
しかし、視線は俺を向いてはおらず、むしろ狼をとらえている。
狼が、ラザレス?
「終わらせよう、ラザレス君。そして、メンティラ。どういった意図で君たちが私に勝てると思っていたのかは今は謎だが、劇は終わらなくてはならないのだよ」
「ラザレス! もう逃げろっ、入り口にマクトリアへと向かう裂けめを用意してあるッ!」
狼の叫びが、城中に響きわたる。
そうして、俺は気が付くと無我夢中で彼らから逃げていた。
「他愛もない」
ベテンブルグは血の付いた剣を拭き取り、バルコニーから姿を消す。
既に俺の意識は朦朧としていて、メンティラも壁に体を預け、うつむいている。
その事実が、俺達が負けたという事実を明白にしていた。
「……メンティラさん。この剣を、彼らに」
俺はどうにか立ち上がり、彼の横に二本の剣を立てかける。
そうしてよろよろと歩きながら、俺は自身に残った最後の力で裂けめを作り、その中へと倒れこんだ。
そこは、白い花畑だった。
月明かりに照らされ、一本の木が影を伸ばす。
ソフィアと再会できた、思い出の場所。
足元の花が、朱に染まる。
夢は終わりだ。所詮獣は、人間の世界を救うことなどできなかった。
ここの花が散るように、俺もきっと散るように消えるのだろう。
「……もう、守ってやれないからな」
人知れず呟く。
だが、そのつぶやきに反応したかのように背後の存在が姿を現した。
「……ソフィア、かな?」
「狼……? どうしたんですか、その傷!」
「はは……。派手に、やられちゃったな」
ソフィアが駆け寄る音が聞こえる。
しかしもう視界はほとんど見えず、輪郭もぼんやりとしか見えない。
俺は最後の力を振り絞り、自分の仮面を外した。
「……やっぱり、ラザレスだったんですね」
「バレてたんだね、やっぱり。……はは、隠し事はやっぱり苦手だ」
「喋らないでください! 今、手当てを……」
「いいんだ。俺がもう、やるべきことは終わった。これからは、彼に託すんだ……ぐっ!」
傷が痛む。
だけど、彼女と最後に話すくらいは良いだろう?
「ソフィア。大好きだ」
「……っ」
「俺は長い間彷徨ってきたけど、君のことを忘れたことは一瞬だってない。本当だ」
「今そんなこと言われても、嬉しくなんて、ないですよ……!」
「……大丈夫だよ。きっと、俺達はまた巡り合える」
一方的で悪いけど、しくじってくれるなよ。
俺は目の前の女の子を、もう二度と泣かせたくないんだ。
俺の身体から、力が抜けていく。
もう、時間なのだろう。
だから、最後に。
「……ソフィア」
君の名前を、呼んだ。