42 二人の鴉
皆が寝静まった夜、俺は城のバルコニーで外を眺めていた。
彼らの言ってくれたこと。巻き込みたくないという思いとは裏腹に、本当は嬉しかった。
だが、それでも彼らを戦渦に巻き込むわけにはいかない。
今すぐにでも、俺はこの城を飛び出したい気分だった。
しかし、牙の力を借りず奴らに勝てるとはみじんも思っていない。
それに、カレンはまだ子供だ。
やはり巻き込みたくはない。
「こんなところにいたんだね、殺戮者」
突然聞こえた声に、はじかれたかのように振り向く。
そこには、殺意を隠そうともしないメンティラが立っていた。
「……メンティラ」
「どうだった? 人のように誰かに好かれる気分は。友達と呼べる存在ができる気分は」
「……」
「そんな存在を、君は奪ったんだ」
「……わかってる。罪が帳消しになるなんて思っていない。だから、俺は俺が奪った命以上に、人を救うつもりだ」
「そんな贖罪、君の自己満足でしかないじゃないか」
「だからといって、許されないからと不貞腐れるよりずっといい」
それが、俺の答えだった。
彼は少し考えこんだ後、苦虫をかみつぶしたような表情で口を開いた。
「……やっぱり、僕は君が嫌いだ。許せそうにない」
「……そうか」
「君は、ただの少女を戦争に巻き込もうとしている。君の贖罪に付き合わせようとしている。もし彼女の安全を第一に考えるのなら、君の隊長にでもなんでも今から預けるべきだ」
恐ろしく正論だ。
だけど、そこに彼女の意思はない。
「彼女は自らの意思で、俺たちについて来ようとしてくれた。それに、彼女を一人にするなんて俺には出来ない」
「……」
「おかしいかもな。きっと、今の俺は言っていることが滅茶苦茶だと思う。……でも、無理矢理彼女を遠ざけることはできないんだ。したくない」
そう言葉を告げたと同時に、俺の首に剣が突き付けられる。
月光に照らされる剣身は、まるで狼が持っているものとうり二つだった。
「なっ……!?」
「やっぱり、僕は君を許せそうにない」
言葉の終了とともに、俺の首を剣が一閃した。
不思議と痛みはなく、意識が消えるのさえ一瞬に感じた。
俺は、立ち尽くしていた。
板で打ち付けられた窓や扉。
うずくまっている妹やザール。
一瞬、理解が及ばなかった。
先程のまでの出来事が夢だったかと錯乱するほどに、肌を撫でる空気は自然なものだった。
だけど、夢なはずがない。
俺はメンティラに確かに切られた。
あの剣に、何か特殊な力があるのだろう。
しかし、何故俺を殺さなかった?
あの時俺は、恥ずかしい話だが、油断しきっていた。
殺意をむき出しの彼に、だ。
不意に、俺の背後にべちゃり、と気味の悪い音がした。
振り返ると、茶色い泥のような何かを垂れ流しながら、赤い双眸でこちらを睨む、人間のような何かが立っていた。
その時、俺は理解した気がした。
彼は、俺を殺す気はないと言った。
現に、俺は今死んではいないのだろう。あまり信じられないが、多分ここは俺の精神の中だ。
その証拠に、幼かったシアンとザールがここにうずくまっている。
だが、目の前の化け物に見覚えはない。
その双眸がこちらの視界に入る度に、視界が歪み、吐き気を催す。
今すぐにでも消し去りたい存在に感じられた。
その化け物は、こちらへとゆっくり歩いてくる。
俺はその化け物に、こう吐いた。
「消えろ、化け物」
あくまで、冷淡に。
あくまで、吐き捨てるように。
しかし、歩みは止まらない。
だが、彼の相貌からは赤い泥が流れ出る。
俺は、氷で作り出した剣を構えた。
「……ごめんね、ラザレス。きっと、今は僕よりも君の方が正しいと思う」
座り込んで動かなくなったラザレスに向かい、メンティラは座り込む。
その壁の影に、一人の青年が立っていた。
「やあ。……あんまり、見られたくないところを見られたね」
「感謝します、メンティラさん」
「いいんだ。それに、彼の目を見たら不思議とこうしていた」
足音ともに、月光に照らされた狼がこちらへ歩いてくる。
彼はラザレスを一瞥した後、メンティラの方へと振り向いた。
メンティラはそんな彼を見ずに、こぼれるかのように呟く。
「……嫉妬していたんだ」
「え?」
「羨ましかったんだ、彼が。僕は、ミケルと魔核を裏切った。深く傷つけてしまった。でも、そんな傷さえも彼は癒してしまった」
「……」
「……結局、僕らは人間にはなりえないのかもしれないね」
メンティラは深いため息をともに立ち上がり、両手を広げる。
「察しの通り、僕は鴉だ。殺すというのなら、その剣で一閃しなよ。その剣なら、殺しきれるだろう?」
「……私の目標はベテンブルグだけです。それ以上無駄に屍を重ねるつもりは毛頭ありません」
「それは、優しさかい?」
「どうでしょう。この行為自体、私に意思などないのかもしれません」
どちらが人形なのでしょうね、とつぶやいて、彼はそれきり黙り込んでしまう。
そんな静寂を打ち破るかのように、彼は月に振り返り語り始める。
「……独り言だと思って聞いてほしい。僕とベテンブルグという、二人の鴉は、元々敵対していた。彼は世界の破滅を望み、幾千もの世界を崩壊させてきた。対称に、僕は救済を望んだ」
「幾千、ですか」
「うん。僕たち鴉は、不死だ。……でも、その剣なら殺しきることができる。世界の理から外れた、この異端の剣なら」
そう言って、彼は剣を抜いて空にかざす。
月光が、静かにその刀身を照らしていた。
しばらくそうした後、剣を鞘に納めた。
「話を戻そう。僕の力とは違い、ベテンブルグの力は強大だった。僕が彼に歯向かおうとも、何度も何度も僕の目の前で世界は崩壊し続ける」
「ある日、僕は救済をあきらめてしまった。もう彼には勝てない、と。それでも、人間は期待を捨てなかった。僕を『カミサマ』と呼び、救ってくれると信じ続けていた」
カミサマ、と狼はつぶやく。
そんな彼へ困ったように、メンティラは眉を八の字にして笑った。
「だから、僕は滅んでしまった世界に取り残された人を救う旅に出たんだ。……ザール君も、そのひとりだった。彼の世界は、ベテンブルグがたきつけた人間の戦争によって滅んでいた」
「……ザール」
「僕が不貞腐れなければ、彼の家族は守れたのかもしれない。今も、元の世界で家族と笑っていたのかもしれない。……はは。こんな奴が『カミサマ』な訳がないのに」
「……ごめん、脱線したね。だけど、ある日ベテンブルグの方から僕に提案したんだ。『停戦して、自由に生きよう』、と。言い分を聞くと、彼は戦いにつかれたと言っていた。僕もそう思っていたし、二つ返事でうなずいた。……頷いて、しまった」
だけど、嘘だった。
彼はつぶやき、うつむく。
「……僕は、彼に僕自身を重ねてしまっていたのかもしれない」
「ラザレスに、ですか」
「うん。誰かを救いたいのに、正しい方法が分からない。不貞腐れてしまっていた僕にそっくりなんだ。……だからなのかな、彼を見てると無性に泣きたくなる」
「……メンティラさん」
「……負けないでほしいんだ。僕は、彼に。僕みたいにならないでほしい。僕が大嫌いな、僕自身にならないでほしい」
そう言って、彼は視線をラザレスに戻す。
狼も、それに倣ってラザレスを見つめた。
「だから、目覚めてくれ。ラザレス。自分自身に負けちゃ駄目だ」