17 過去
俺達はあの後森のほうから迫ってくる靄から一心不乱に逃げていた。
その間、誰一人とも言葉を発さない。
これは、明確な敗走なのだとわかっているからだ。
森を抜け、荒地に出た。
「逃げきれた」。そんな感情が俺の中に渦巻くが、言葉にして喜ぶことはできない。
俺も、アルバも、ソフィアも。ただ黙りこくっていた。
もう、体の痛みはほとんど消えていた。
何故、もう少し早く消えなかったのだろうか。
俺は歯を食いしばり、気が付くと右手のこぶしに力を込めていた。
そんな時、見知らぬフードをかぶった少女の声が沈黙を破った。
「大変だったねぇ。アルバ、あれはなんだい?」
「魔女だよ。それも、とんでもなく規格外のな」
「へぇ? で、ナンパに失敗して持って帰ってきたのがこの子供たちってわけかい?」
「うっせえな、『アリス』。それに、あいつもう野郎がいるとよ」
アルバが不機嫌そうにアリスと呼ばれた少女に対してしっしっ、と手を振った。
アリスはそんな彼を気にもせず、今度は俺たちのほうを向いてニヤニヤし始める。
「そんで、君が噂の賢者様……って呼ばれてた人かい?」
「……悪いですが、俺はそう呼ばれるのはあまり好きじゃないんです。だから、ラザレスって呼んでくれませんか?」
「へー、こんなちっちゃい子がねえ」
うりうりと俺の頭をなでてくるアリス。
俺はそんな彼女に頭をなでられながらも、先ほどから黙っているソフィアの様子が気になって仕方がなかった。
……仕方がないだろう。
彼女は勇者だ。そして、今まで仲が良いと思っていた存在が実は魔女だったのだ。
十歳の彼女にとって、その事実は俺が想像しているよりもはるかに重い出来事なのだ。
「そういやラザレス。なんでお前こんなとこにいるんだ?」
「魔法です。あの女の」
「魔法? 魔法であの女に連れてこられたって言うのか?」
「はい。俺にもよくわかりませんが、そう言うしか……」
あんな魔法は見たことがない。
だが、今はそれよりもソフィアのことだ。
俺はどうやってソフィアに話しかけるか考えあぐねていると、ふいにアルバが重い口調で話しかけてくる。
「……そんで、ラザレス。お前、賢者ってどういう意味だ?」
「……そうですね。打ち明けないと降ろされてしまいそうですから」
「よくわかってんじゃねえか」
「え!? アルバ、この子降ろしちゃうのかい!? やだよ、この子気に入ってるんだもん!」
「馬鹿。そりゃ話さなかったらの場合だ」
アリスが頬を膨らませて抗議しようとするが、アルバは鬱陶しそうにした後、そのまま俺に向き直す。
俺は、一度深呼吸をした後、事の始まりについて話し始めることにした。
「……もう察し始めているかもしれませんが、俺は魔女です。ここではない異世界という場所から来たことも、すべて覚えています」
「え? え? なに、何が始まってるの?」
「黙ってろ。今は真面目な話をしている」
アルバが事情がよく分かっていないアリスを黙らせ、目で話の続きを促す。
「その異世界で俺は賢者と呼ばれ、戦争に加担し、魔法による力でたった一人勝利しました」
「……それで?」
「ですが、俺は相手国の王に封印術という呪いをかけられたことで魔法を封じられ、行き場を失った俺は自分から異界へ封印されることにしました」
「それなら、その体のままじゃねえとおかしいんじゃねえのか? よくわかんねえけど、どうしてお前が義兄さんとシアンさんの間から生まれるんだ?」
「……わかりません。でも、意識は確かに俺のものなんです」
「……そんで、お前がその賢者って奴で、この世界に生まれ変わったってところまではいい。なら、なんであいつらに追われてるんだ?」
「……わかりません。多分、魔力と封印術を受け着いだのが原因なのかもしれません。今は呪いのせいでこの魔法しか使えませんが……」
俺は自分の着ている服の布の袖を引きちぎり、魔力を込めて硬化させる。
そして、十分魔力を込めたところで二人に手渡す。
「うわあ、すごいカッチカチ……」
「……この魔法」
「……わかってもらえましたか。俺は魔女なんです」
俺は彼らの返答を黙って待っていると、アルバが大きなため息をついて口を開いた。
「それはベテンブルグの旦那は知ってるのか?」
「魔法を使えるっていう事実なら、はい。でも、俺の正体までは話していません」
「なんでだ?」
「……戦争に勝った罪は、誰かに話すことで軽くなったりしませんから」
「……なんだそりゃ? お前、負け犬根性甚だしいぞ?」
「え?」
俺は彼の思いがけない言葉にきょとんとしていると、ふいに座ったままこちらに移動して、俺の頭をペシッと叩いた。
「戦争に勝ったんなら、もっと嬉しそうにしとけ!」
「でも、それじゃ死んだ人たちが……」
「『可哀想』? アホか。死ぬ気で戦場まで来てんだ。そんな奴らを殺しておいて可哀想なんてのは、逆に失礼ってもんだろ」
「……」
「勝ったんなら、その分生きろ。勝てば官軍なんて言葉で片付かねえ問題だってのはわかってるけどよ、クヨクヨすりゃ解決する問題でもねえんだろ?」
そう言ってアルバは微笑み、御者台へと戻っていく。
初めてだった。そんな考えを聞いたのは。
ナニモ知ラナイ癖ニ。
俺は彼の言葉を胸の中で何度も聞いていると、背中越しにもう一言付け足してくれた。
「……何人も殺した元盗賊の言葉だから、薄っぺらいとは思うがな。まあでも、人の死ってのは八歳のガキに背負い込めるほど軽くねえってことだ」
「……アルバさん」
「へえ、アルバって結構深いこと言うんだねえ。もっと頭の軽いいい加減な奴だと思ってたけど」
「しばくぞ!」
アリスは声を荒げて怒り出すアルバを指さしで大笑いする。
『勝ったんなら、その分生きろ』。
前の世界から逃げた俺からすると、痛いほど心に突き刺さった。
ダガ、ソノ生キタ分、オマエハ罪ヲ背負ワナクテハナラナイ。
「さて、俺達はこの後近くの街で馬を休ませるが、お前たちはどうする?」
「お供します。ここがどこなのかわからないので」
「……ああ、そういやお前らなんでこんなところにいるんだ? まあ、言わなくてもあの魔女に連れてこられたんだろうなって予想はつくがな」
「はい。気がついたらこの場所にいました」
「ふーん、そうか。じゃあとりあえず一回この地図見ろ。お前たちがどんな場所にいるか教えてやるからよ」
アルバは懐から丸まった紙を取り出し、振り向きながら手渡ししてくる。
それを一度アリスが受け取り、そのまま開いてくれた。
その地図には、いろいろな記号が書かれていて、丸やハート。そして汚い字でいろいろ書き綴られている。
「えっとね、この赤い丸が辺境伯領で、君たちの位置が大体ここら辺」
アリスは赤い丸から指をずらしていく。
そして、大陸のほぼ端から端まで横断していき、指が止まるころにはほとんど反対側を指示していた。




