39 笑顔
目を覚ますと、会議室には幾人かが集まり、それぞれ椅子に座っていた。
先程意識を失う前に見た人のほかに、ガゼル、ルーファウス、そしてエミルが集まっている。
「起きたか、ラザレス」
ガゼルが腕を組んだまま、こちらを見る。
いつも以上に重々しい雰囲気に、俺は頷くことしかできなかった。
「聞け。ここにいる全員が、この国の生き残りだ」
「……え?」
「狼の情報によると、他に生き残っている者はいないとのことだ」
ガゼルの言葉に、数人が思い思いの反応をする。
顔を俯かせたり、背けたり、本当に様々だった。
俺はというと、その状況が理解できずにいた。
「何、言ってるんだ……?」
答える者はいない。
その沈黙こそが、先ほどの言葉の真偽を裏付けるものに他ならなかった。
「ラザレス。お前にも聞いておきたい」
「……何だ」
「この国は滅亡した。貴様は、これからどうする?」
「どうするって言われたって……」
わからない。
今俺を受け入れてくれる国など、存在しようはずがない。
それに、この国から離れたくないという意志も強かった。
どう答えようかと考えていると、ルーファウスが口を開く。
「なあ陛下」
「元国王だ。好きに呼べばいい」
「……元陛下。こいつは目覚めたばかりだ。そんなに急に決めるってのは、無理なんじゃねえか?」
「そうだな。少し休憩をとる。この城のどこを使ってもいい。各自、好きに休め」
会議室を後にして、俺は隣の部屋に映った。
そこは食堂のようで、丁度椅子もある。
一人で考え事をするには、もってこいだった。
「……どうする、か」
勿論、牙として活動を続けるのだろう。
俺はそれで、ベテンブルグに迫れるのなら構わない。
だが、ユウを筆頭に、彼女らはどうするのだろうか。
「よ。なんか、大変なことになっちゃったな」
その言葉とともに、目の前の椅子にレオナルが座る。
「……レオか」
「おう。ラザレスは、これからどうするんだ?」
「狼たちと一緒に行くよ。牙の一員として雇われてんだ」
「そっか。ラザレスもこれからどうするか、決めてんだな」
「ん、まあ。レオはどうするんだ?」
俺の質問に対して困ったように頭を掻くと、少し笑って言いだした。
「実は、俺はまだ決めてないんだ。ずっと、この国に仕えるつもりで生きてたからな」
「……」
「別に、そんな辛気臭そうな顔しなくてもいい。夢が一つ潰えただけさ」
「レオは、仲間が死んで辛くないのか?」
「辛いさ」
レオナルは立ち上がると、部屋にある唯一の窓に近づき、空を眺めた。
「辛いに決まってる」
「……なら、泣いたりとかはしないのか?」
「泣く? 今ここであいつらのために泣いたりなんかしたら、あっちで笑いものになっちまう」
「そうか?」
「そうさ。それに、いつもの調子で送り出したほうが、あいつらもきっと安心するだろ?」
「それが、うちの軍のしきたりだからな。ラザレス」
背後から歩いてくるルーファウスを、月明かりが照らす。
その表情は、レオと同じくらい穏やかだった。
「隊長、こんくらい格好つけさせろって」
「阿呆。お前みたいなガキが格好つけて何になんだよ。俺くらいの年齢になってから、そういった言葉は吐け」
彼はそう言うと、先ほどレオナルが座っていた椅子に座り、背もたれに腕をかける。
そして、懐から取り出した酒瓶を、ぐいっとあおった。
「隊長、禁酒してたんじゃなかったのかよ?」
「ハッ。これは、アイツらの分だ。あいつらが生きて飲めなかった分を、今俺が代わりに飲むんだよ」
「そう言って、飲みたいだけだろ?」
彼の言葉に、ルーファウスは豪快に笑う。
いつも通りの風景だったが、どうしても寂しさを禁じ得なかった。
「……隊長は、どうするんだ?」
「俺は女房もいるから、あんま無茶はできねえなぁ。マクトリア辺りの村に、隠居するかぁ」
「隠居かぁ……。隊長の隠居、想像つかねえな」
その言葉に、俺は思わず笑ってしまう。
ルーファウスは俺が知っている中でも、トップクラスに隠居という二文字が似合わない男だと、兵士の間でも言われていたのを思い出す。
「ケッ、笑ってろ。ラザレスはあの狼とかいうやつについて行くのか?」
「はい。とりあえず、今のところは」
「へぇ。あいつは、信頼出来んのか?」
「俺はあいつに何度か命を救われました。なら、あいつのために命を懸けてもいい、と考えています」
「そうか。……頑張れよ」
「はい」
ルーファウスは俺の肩を叩くと、今度はレオの方へ眼を向ける。
「レオ、お前はどうするんだ?」
「……考えてない。この国に仕えることしか、考えてなかったからな」
「お前はまあたそれか。ガキの頃から変わっちゃねえな」
彼は深いため息をつくと、立ち上がり彼の側の壁に寄り掛かって、レオナルに倣って窓から外を眺める。
「いいか、お前はまだ若いんだ。なりたいものがあれば、なんだってなれちまうんだぞ?」
「だからって、ここ捨ててどっか行きたいかって聞かれたら、なあ?」
「レオ、お前って軽そうに見えて、意外と頑固だよな。全く、誰に似たんだか……」
レオナルはそんな言葉に笑う。
その二人を見ていると、どこか上下関係ではなく、親子のようにさえ思えてきてしまった。
「まあ、とりあえず明日は周辺に敵がいないかの見回りだ。最後の仕事なんだから、気合入れろよ」
「……ああ」
「そんじゃ、俺は元陛下のところへ戻るぞ。近辺警備も、俺の仕事の内だからな」
彼はそう言うと、入ってきた扉へと戻っていく。
その時、俺の隣を通りかかると、レオには聞こえないほどの声量で耳打ちした。
「……あいつを頼む」
「え?」
真意を聞き返す間もなく、彼は去っていく。
入れ替わりに、今度はユウとリンネの二人が入ってきた。
「あー、今いいか?」
「構わないけど……何をそんなに緊張してるんだ?」
「ああ、いや……何か、邪魔しちゃ悪いかと思って待ってたんだ」
「別に、入ってくれても構わなかったんだが……」
俺は立ち上がり、彼女たちに椅子を渡す。
代わりに、レオナルの側の壁に寄り掛かった。
彼はこちらには目も向けず、空に浮かぶ月を眺めている。
そんな彼から目を戻し、彼女らに聞いた。
「二人はこれからどうするんだ?」
「……わからない。ラザレスは?」
「狼について行く。多分、しばらく皆とは会えないと思う」
「そう、か……」
ユウが寂しそうに俯く。
……寂しいと、思ってくれるのか。
不謹慎だが、その感情に対して嬉しいと感じてしまった。
同様に、寂しいとも。
「色々、ありがとな。本当にいろいろのことを皆から教わった。皆がいなかったら、多分、きっといつまでも変われないままだったと思う」
「……よせよ、恥ずかしい」
「はは、俺も恥ずかしい。でも、言っておきたかったんだ」
本当に、彼女たちのおかげで何度救われただろうか。
感謝してもきっとしきれないだろう。
「カレンはもう寝たのか?」
「ああ。随分と、疲れていたからな」
「そっか。……あの子にも、何度も救われたな」
「……本当に、行っちまうんだな」
頷く。
「明日は近辺の警戒があるから、出立は明後日になると思う。二人も、イゼルからの攻撃がないとは限らないから、はやめにここから身を隠したほうがいい」
「……ラザレス、私はここに残ろうと思う」
「話を聞いていなかったのか? ここはもうじき戦場になる。今度は、死ぬかもしれないんだぞ!?」
「わかってる! わかってはいるけど……だけど、兄さんがいた場所を、残してなんていけないんだ!」
ユウの糾弾が、この空間をこだまする。
先ほどまで物思いにふけっていたレオナルも、目を丸くしてこちらを見た。
「私は、私にとってこの場所は、私のすべてなんだ! それを置いていけるものか!」
「ユウ……」
「あの場所だって、あの場所にいた皆だって、この場所で死んでいったんだ! ここを離れるくらいなら、私は……!」
その時、彼女の頬を思い切りリンネが引っ叩いた。
その現実が理解できないのか、ユウは呆然とリンネを見つめる。
「……馬鹿言ってんじゃねえぞ、ユウ」
「リンネ……?」
「お前はすべて失ったら死ぬのか!? それじゃあ、お前が死んだらオレやカレンはどうなる? ええ? すべてを失ったって言ってお前みたいに後追いでもすればいいのか!?」
「……」
「オレだって辛いんだ、苦しいんだよ! 弱音だって吐きたい! だけどな、カレンにとってはそんなオレたちしか頼れる大人がいねえんだよ……! 今そんな状況で、オレ達が先に泣く訳にはいかねえだろ……」
ユウは俯いたまま黙り込む。
しばらくして、彼女は黙ったまま部屋を出て行ってしまった。
そんな彼女の後姿を見つめたまま、リンネはつぶやく。
「……ああ、クソ。やっちまったな……」
「リンネ……」
「カレンの奴に怒られるかな。喧嘩しちゃ駄目だって、いつも言われてんだよ」
リンネは普段と変わらない笑顔を浮かべる。
いや、浮かべようと努めている。
「……オレ、間違ってんのかな。誰かを無理やり奮い立たせるなんて、最低かもな」
「ユウもきっとわかってくれるさ。時間はかかるだろうけど。それに、俺から見たらリンネが間違っているとは思えなかった」
「そうかな? ……でも、弱音を吐くなんてユウらしくなかった。相当、追い詰められてるんだろうな。そんなユウに、オレ……」
彼女はそれきり黙り込む。
しばらくの沈黙の後、レオナルが口を開いた。
「『弱音が吐けるんなら、まだまだ余裕じゃねえか』」
「……は?」
「隊長の口癖だよ。あの人、こっちが限界だって言ってんのに、無理矢理続けようとするんだもんなあ?」
俺に目配せされる。
あまりに突然のことだったため、俺もうなずくことしかできなかった。
「だから、俺らは隊長の前で弱音を吐くのをやめた。だって、もし吐いたら死ぬほどきつい目に合わされるからな」
彼の言葉に、思い当たる節があった。
それを思い出して、苦笑いを浮かべてしまう。
「そうだな。俺も最初のころにその『死ぬほどきつい目』にあわされたことがある」
「だろ? でも、弱音って吐く吐かないじゃねえ。吐いちまうもんなんだ。だけど、吐いたら殺される。なら、どうしたと思う?」
リンネが小首をかしげる。
俺がうなずくと、レオナルが少し笑って続きを言った。
「絶対にチクらねえ信頼できる奴の前でだけ、弱音を吐くんだよ」
「そうだな。本当にそれしかなかった。といっても、報告するやつの方が稀だったけどな」
「まあ、あれは見てるだけでも可哀想だったからな。人間の心を持たない奴じゃねえと早々ねえよ」
レオナルの言葉に笑ってしまう。
それにつられてか、レオナル自身も笑いだした。
本当にくだらない、楽しい毎日だった。
俺はしばらく笑った後、リンネの方へ向き直る。
「なあ、リンネ。俺らから見たら、弱音を吐いてくれるってのは信頼してくれてる証拠なんだ。お前にだからこそ、見せた弱さなんだよ」
「……はは、なんだよそれ。馬鹿らしい」
「ああ。だって俺を含め、フォルセの兵士は隊長並びに馬鹿ばっかだったからな。皆、くだらない話で笑ってくだらないことで喧嘩し続ける毎日だった」
「本当だな。なんでラザレスが賢者って呼ばれて、俺が賢者って呼ばれないのかずっと疑問に思ってた」
「呼ばれたかったのか?」
「いや、恥ずかしいしいいや」
……賢者という称号は恥ずかしいものだったのか?
俺の疑問をよそに、リンネは目じりに涙を浮かべて笑い出した。
「……はは、ははは! なんか、お前ら見てたら元気出たわ。ありがとな、二人とも」
「ああ。元気出たなら、ユウともう一回話して来いよ。二人が喧嘩しているなんて、らしくないぞ?」
レオナルが放った言葉を、リンネは笑顔で受け止める。
それは、この城に来てみた、初めて見た彼女の心からの笑顔だった。