38 許し
朦朧とした意識の中、俺は彼女の手を引いて、どうにか城にたどり着くことができた。
だが、城の中は外と変わりなく静かで、周りを見渡していると、俺が手を引いていた少女が前に躍り出る。
「こっちだよ、せんせー」
今度は逆に、彼女が俺の手を引く。
俺はどうにかして意識を保ちながら、彼女に誘われた部屋の扉に手をかけ、開ける。
そこには、会議室のような場所で、カレンやユウ、リンネとレオナル。そして、グレアムの五人が、各々椅子に座っていた。
「ラザレス……!?」
ユウが駆け寄る。
俺はそんな彼女を目の前に、後ろの扉を閉めて、もたれかかった。
「顔色が悪いぞ、大丈夫か!?」
「いや、少し横になりたい」
「わかった。ユウ、椅子を借りてもいいか?」
「ああ。……何があった?」
俺は彼女たちが作ってくれた即席の寝床に体を預け、定まらない視線のまま、リンネの問いに答える。
「……今、この世界には二つの魔核がある。それで、もう片方の賢者に出会った」
「詳しく聞かせなさい、ラザレス」
俺の言葉に弾かれるように、グレアムが立ち上がる。
そして、そのまま俺につかみかかり、無理やり立たせる。
そんな様子を見ていたリンネが吠えた。
「おい、触れんじゃねぇ! こいつが明らかにやばいのはお前だって見りゃ分かんだろ!?」
「黙りなさい。今はそれどころじゃありません」
「それどころ!? こいつがもしかしたら死ぬかもしれないってのに、それ以上に気にすることなんてあんのかよ!」
「いや、いいんだ。リンネ、今は先に話さなくちゃいけない」
「……チッ」
グレアムの手から解放される。
そのまま俺は椅子に座り込み、ゆっくりと見てきたことを話し始めた。
「魔核は、魔力を封じ込めた存在は、一つじゃない。複数個存在しているんだ。その複数と融合した魔核が、今この世界に攻め込もうとしている」
「魔女の方々がこうして暴れているのも、そのせいということですか?」
「ああ。そして、賢者とは魔核が作り出した魔女の中の最高傑作。それが、あちらにもいる」
「……なるほど、最悪ですね。それで、あちらの賢者とあったということは、戦ったのですか?」
「いや、俺は助けられた。……多分、あのままいたら負けていただろう」
俺の言葉に、グレアムが息をのむ。
今この場所において、俺が勝てないということがどういったことを意味しているのか、彼はよくわかっていたのだろう。
「そうですか。……枢機卿や、教皇が戻ってくるのを祈るしかありませんね」
「……教皇は、ダリアはもういない」
「は?」
「ダリアは魔核の番人を終え、消滅した。これからは、俺が魔核の番人となった」
「……すみません、仰っている意味が」
「魔核は、俺が吸収した」
その言葉を吐いたとたんに、彼は目を剝いて俺につかみかかる。
今度は先ほどとは違い、殺気が含まれていた。
「この状況で冗談が言えるとはな。クク、あんたトチ狂ってるな」
「……冗談じゃない。奴は、今俺の中にいる」
「はは、ははは。百歩譲って本当だったとしましょう。そのあなたがあちらの賢者に勝てなかった? ふふふ、はははは!」
「じゃあ、こっちに勝ち目なんてゼロじゃねえかよ!」
彼の叫びが部屋を包む。
しかし、彼の言葉を咎めるものはいない。
皆、同じ思いだったのだろう。
そんな時、扉を開け放つ存在があった。
「だが、まだ終わっていないだろう?」
その声とともに入ってくる、仮面の男。
その姿は、牙の隊長である狼だった。
その背後には、白狼が姿をのぞかせている。
「……誰ですか、あなた方は」
「私はそこにいるラザレスを助けた、狼というものだ。背後にいるのは、白狼。以後お見知りおきを」
「そうですか。それで、まだ終わっていないというのは? 今この状況を見ても、希望があると?」
「そこに横たわっているだろう。まだそいつは魔核としての日々が浅いせいでそうなっているが、間違いなく今ここにいるそいつがこの世界の希望だ」
彼の言葉を聞いた後、ゆっくりとグレアムの手が離れていく。
しばらくの沈黙ののち、レオナルが口を開いた。
「あー、なんでラザレスが生きてたってのに、こんな湿っぽい雰囲気になるのかね。グレアム、お前ちょっとピリピリしすぎだぞ?」
「……あなたは状況が見えていないんですよ」
「見えてるさ。この女の子がラザレスを助けてくれた。だから、あいつは助かった。違うか?」
レオナルはそう言って少女の方へ振り向き、偉いぞと言って頭を撫でる。
先ほどまでの喧騒でおびえていた彼女の表情が、解れていくかのようだった。
「それに、このおっさんの言う通りだ。俺達はまだ死んじゃいねえ、そうだろ? なんでこの国……いや、この世界がこうなったかなんてわかんねえけど、今は落ち込む場面じゃねえだろ」
白狼がうなずく。
狼は少し笑ったかと思うと、レオの方へ向き直った。
「その通りだ。……君がいてくれてよかった。私では、とてもそうは言えない」
「どうも。えっと、狼さん?」
「狼でいい。なんだ?」
「なんで、仮面をかぶっているんだ……って聞いていいか?」
「ああ。この仮面の下には傷があってね、それを隠しているだけさ。気にすることはない」
「……そっか。悪いこと聞いたな」
レオナルはばつが悪そうに眼をそらすが、狼の表情から笑みは消えない。
そんな時、カレンが口を開いた。
「……あ、この前の……」
「カレンか。君も生き残ってたんだね」
「……気持ち悪いおじさん」
カレンが心底気味悪そうな表情で言う。
ユウやリンネも少し考えたのちに、合点が言ったかのように口を開いた。
「そういや、オレ聞いたことがあるな。急に頭を撫でてきた、気持ち悪い仮面のおじさんがいたって」
「カレン、そいつに近づいちゃ駄目だ。おい、ラザレス! こいつはお前の知り合いなのか!?」
「……多分」
正直、答える体力さえない。
多分、今ここでしっかり彼を擁護していれば、救えるだろう。
だが、何故だかそれが、今は無性に面倒なことだと感じた。
「こんな少女に手をかけるとは、相当な変態だな、テメェ。どうせその仮面の下も、カレンへの視線を隠すためだろ!」
「違う! ラザレス、何とか言ってくれ!」
目を閉じる。
何故だか、妙に眠たい。
「ああ、クソ。何と言えば信じてもらえるか……ラザレス?」
狼が俺の名を呼ぶ。
……だが、それ以上に、俺の心の奥底で俺を呼ぶ声がする。
次第に、狼や周りの音は聞こえなくなっていった。
闇の中、俺の意識は先ほどの声に目覚めさせられる。
「……ラザレス、起きて」
聞いたことがある声だ。
魔核の中でしか聞いたことはないが、どこか身近に感じられる声。
「……ダリア?」
「そう。……最後に、あなたに伝えなきゃいけないことがあってきた」
「意識は消えたんじゃ……」
「うん。私は正確にはダリアじゃなくて、ダリア自身の魔力。だけど、本人だと思って聞いてくれたらうれしい」
深い闇に向けて頷く。
それを聞いて安心したのか、彼女はホッとしたように息を吐いた。
「あなたが魔法を使えないのは、一つの魔力のせい。その魔力が、あなたに力を貸すのを拒んでる」
「拒んでる? なんで?」
「……拒んでるというよりも、話がしたい。彼はそう言っていた」
「彼って……」
「もう、気付いているはず」
彼女から言い出される彼。
言われずとも、その正体などおのずと分かった。
「行って。そして、話してきて」
「……わかった」
「それと、その……」
「ん?」
「今まで、私は貴方を傷つけてきた。殺そうとも、した。それで……ごめんなさい」
姿は見えずとも、深々と頭を下げている様子が脳裏に浮かぶ。
声もどこか泣き出しそうな様子で、痛々しくさえあった。
「……いいさ、許すよ」
「え?」
「ダリア、俺は確かにお前にひどいことをされた。でも、最後に許されようとしてくれたんだ。それで、十分なんだよ」
俺も、敵対した少女に謝って、許されたことがあった。
そして何より、許してほしいと懇願する存在が許されない悲しい世界なんて、俺自身が願い下げだ。
「さて、俺はもう行くよ」
「うん……」
「ダリア。……君の来世が、幸せで満ちているように祈っている」
彼女は、ようやく自分の足で歩き始められるのだ。
なら、その旅の無事を祈るくらいの偽善をやらせてくれてもいいだろう?
気が付くと、俺の顔には笑みが浮かんでいた。
白い、花畑。
ダリアが咲き乱れ、風が天へと花弁を届ける。
少年は、その真ん中で座り込んでいた。
「初めまして、ラザレス」
彼はこちらに顔を向けると、ゆっくりと立ち上がる。
俺はそんな彼へと、同じくゆっくりと歩いて行った。
「……ミケル、でいいんだよな」
「うん。君は、彼女の記憶に触れたんだろう?」
「ああ。ひどい、記憶だった」
「あはは、君は正直だな」
彼は屈託もなく笑う。
そう言った印象を含めて、彼の姿は記憶のものと寸分の違いもなかった。
「それより、僕は君に謝らなくちゃいけない。態々呼び出して、すまなかったね」
「いや、いいんだ。それより、呼んだ理由は?」
「彼が、メンティラが何者かについてだけ、教えたいんだ」
「……知ってるさ。鴉、だろ?」
「そう、だね。君たちの言い方で言うと、確かに鴉だ。きっと、魔核からも、ダリアからも……ひどいことを言われたのかもしれない」
「その口ぶりだと、お前はメンティラに違う印象を抱いているようだな」
彼は頷く。
「彼は心から、彼女たちを助けたいと願っていた。だから、そんな彼だから僕は名前を託したんだ」
「……メンティラとは、いつ出会ったんだ?」
「あの夜、僕は殺されてはいなかったんだ。とどめは刺されずに放置されて、そこで僕は彼に出会った。その時、託したんだ」
彼は、どこか遠い世界を見るかのような目をした後、ゆっくりと目を閉じ、かぶりを振った。
「だけど、駄目だね。そのことが、彼を余計に追い詰めてしまった。結局のところ、僕が強ければ、もっといい結末に迎えたのかな……」
「それは違うっ!」
「ラザレス?」
気が付けば、思わず叫んでしまっていた。
彼女の胸の内を知った後では、その言葉だけは許せなかった。
「お前は、彼女にとっての憧れだったんだ。弱くて、優しいお前が、希望だったんだよ……! そんなお前を、否定するな……しないで、くれ……!」
「……君は」
「クソ、なんで涙なんか……。いいか、ダリアはな、ダリアは……ずっと、お前と一緒にいたかったんだぞ。優しかったお前だから、ずっと一緒にいたかったんだ。そんなお前を、お前自身が否定するなんて……そんな寂しいこと、言うんじゃねえよ」
涙を手首で拭う。
どうして自身が泣いているのかさえ、自分ではわからなった。
「優しいんだね、本当に」
「……え?」
「きっと、君だから彼女は力を託したんだと思う」
彼は確信したかのように頷いた。
そうして、風の吹いた方向を見ると、語り掛けるように話し出す。
「さて、僕はもう行くよ。最後に君と、話せてよかった」
「行くって?」
「ただの魔力に還るのさ。君になら悪いようにはされないってわかったしね」
「……そうか」
「それじゃあ、お互いの旅路に幸あれ」
その言葉とともに、俺の意識から彼らの姿はなくなった。