37 賢者
背後にいる少女の手を引きながら、道を歩いていく。
意識ははっきりとしている。
今までで、一番調子がいい。
多分、これが魔核の力というものなのだろう。
「みんなはどこに集まっているか、とかはわかる?」
「うん。あのお城の中にみんな集まってる。カレンちゃんもいたよ!」
「そっか。カレンは無事か。他の人はわかる?」
「えっと、カレンさんのお姉さんたちと、レオもいた!」
「レオ?」
「レオナルのあだ名!」
「ああ、なるほど。レオか。いいあだ名じゃないか」
褒められたのが嬉しかったのか、はにかむ少女。
その笑顔が、ふとダリアの少女のころと重なる。
……ずっと憎んでいた存在なのに、今となってはどこか寂しく感じた。
「じゃあ、早めにいかなくちゃな。皆のところから抜け出してきたんだろ?」
「……みんな、怒ってるかな」
「怒ってたら、俺も謝るから」
またリンネに手を上げられるという想像が、頭をよぎる。
だが、生きてさえいてくれるのなら、それでいい。
そんなことを考えていると、前方から数百人規模の人間が、こちらに歩いてくる影が見えた。
「……少し、隠れてて。大丈夫、すぐ終わる」
俺の言葉に頷くと、彼女はがれきの影に姿を隠す。
そうして誰もいなくなった後、独り言ちに呟いた。
「いけるよな?」
語り掛ける。
しかし、返事はない。
意識はもうないのか、それとも俺に気を使ってくれているのか。
だが、今はそんなことは些末なことだ。
俺は落ちている剣を拾い、彼らに剣先を向ける。
「……来い!」
その言葉に弾かれるように、数百人がこちらに向けて走ってくる。
ある者は魔法で、ある者は物理で。
あらゆる手段が、俺の前方へ襲い掛かってきた。
だが、そのどれも遅い。
一挙一動が今の俺の目には、簡単にとらえられる。
そうして躱した勢いを殺さないまま、反撃に転じ続けた。
そのまま、数十体は倒しただろうか。
息切れ一つせずに、俺は彼らを睨み、言い放つ。
「どうした! 俺はまだ死んじゃいねえぞ!」
怒号ともいえる声が、町に響く。
しかし、彼らはそれにひるむことなく、こちらへと歩いてくる。
俺が身構えると、その時、数百といた魔女の海が、一直線を描くかのように凍り付いた。
「……流石だなァ、賢者様」
その言葉とともに、氷の彫像となった彼らが同時に割れる。
姿を現したのは、黒い帽子と黒いコートに身を包んだ、白髪が特徴的な大男だった。
その男の目には、包帯が覆いかぶされていて、異様な雰囲気を醸し出している。
「よぉ、賢者様。ご機嫌じゃねえか」
「誰だ、お前はッ!」
「おいおい、俺の挨拶くらい返してくれよ。同業者のよしみとして、な」
「……同業者?」
「そうよ」
頷いたと思うと、凄まじい速度で俺の目の前まで接近してくる。
突然のことに反応できないでいると、彼は不気味な笑みを浮かべ、話を続けた。
「この距離でも気づかねえか、なあ? 賢者様よ」
「……ッ」
「わからねえなら教えてやるよ。俺はな、お前と同じ……」
「『賢者様』ってやつだ」
その言葉とともに、俺の腹に重い一撃が入れられる。
俺は当てられた個所を抑えると、男は腕を組んで、俺を見下すかのように顎を突き出した。
「おいおい、油断すんじゃねえよ。兄弟が一番賢者について知ってんだろ? なら、構えとけ」
「……ぐっ。賢者、だと……?」
「ああ、そうよ。兄弟の飲み込んだ不出来な魔核と、今ここにいる完璧な魔核。俺はその完璧な魔核から生まれた、最高傑作の賢者様だ」
「まさか、異世界の魔核がここに来たのか!?」
「ピンポン。意外と頭回るねぇ」
「答えろっ! この惨状は、お前たちのせいなのかっ!?」
「さあなぁ。そこまで教えてやる義理もねえしなぁ……」
彼は答えなかったが、見ればわかる。
魔女の魔力をほとんど置き換えるなど、魔核にしかできない業だ。
それに、目の前の男の魔力は、今まで見てきたどの存在よりも強大に感じられる。
……あの魔核よりも、さらに、だ。
「それより、構えろよ兄弟。俺はお前とやり合うのが楽しみで仕方ねえんだ」
「……上等だ。今ここで殺してやる」
彼らの顔が思い浮かぶ。
孤児院を立ててくれて、俺と酒の話に付き合ってくれていた、彼らの顔が。
もう、今はいない。
こいつが、殺した。
「おうおう、良い殺気じゃねえか。それでいいんだよ、それで」
「行くぞっ!」
俺は自身の魔力を使い、背後に無数の氷柱を作る。
その刹那、俺の膝は崩れた。
頭痛もひどく、吐き気もする。
目の前さえ、覚束ない。
「……なんだよ、それは。興覚めにもほどがあるぞ?」
鼻血が止まらない。
そこで、俺はこの体がこの感覚を一度経験していることに気付いた。
封印術で、魔力がせき止められた時に似ている。
「ったく、これじゃあ俺がいなくても殺せたんじゃねえのか? とんだ骨折り損だ」
「……が、ぁっ!」
「だが、せっかくだ。引導は俺が渡してやる。お前たちは、そうだな……そこに隠れているガキを好きにしていいぞ」
地に伏している俺の体に、彼の影が重なる。
そうして拳が振り下ろされそうになった瞬間だった。
「……」
「……なんだ、テメェ」
振り返ると、そこには拳を受け止めている狼の姿があった。
俺はそこからどうにかはいずり出ると、狼は大きく後ろに飛ぶ。
「……ラザレス、あの子のところへ行け。ここは私がどうにかする」
「……おお、かみ」
「貴様に心配されるほど弱くはない。行けっ」
何とか回復してきた体を無理やり走らせ、がれきに隠れている彼女の手を引いて、路地裏から城へ向かった。
「おい、邪魔してくれてんじゃねえぞ。仮面野郎」
「いやはや、私も強者がいると滾ってしまう口でね。つい、だ」
「……へえ? 無粋な野郎と思ったが、楽しめそうじゃねえか。いいぜ、抜けよ」
その言葉通りに、狼は腰に差していた二刀の剣を抜く。
その刀身は青白く光り、見る者によっては水晶と誤解させてしまうほどのきらびやかさだった。
「なんだ、それ。おもちゃじゃねえか」
「おもちゃじゃないさ。試してみるか?」
「ああ、それじゃあ、楽しませてくれよ!」
その言葉とともに、彼は巨体に似合わないほどの凄まじい速度で拳を打ち付ける。
しかし、その拳は刀身に防がれてしまっていた。
「やるじゃねえか。俺の一撃を防ぐとは」
「……お褒めに預かり光栄だな」
「だが、惜しいな」
彼は防がれている手の反対を使い、先ほどと同等……いや、それ以上の速さの拳を、そのまま彼のわき腹に向ける。
それももう片方の刀身が防いだが、同時に大きくバランスを崩してしまう。
「俺の手は二本だぜ、仮面野郎」
「……ふっ、余裕を見せる暇があるのか?」
「あ?」
彼はバランスが崩れた勢いを活かしたまま、彼の背後へと回転しながらジャンプする。
その際、賢者の顎に彼の持っていた剣が触れた。
「……へえ。面白いじゃねえか」
「私の刀も二振りだ」
「そうだったな。面白い戦い方をしやがる」
「そう言われたことは一度や二度ではない。……さて、全力でいくぞ」
狼がそう言うと、瞬時に間合いを詰め、剣を振り上げるようにして彼の腕をとらえる。
それをいなした後、彼の拳が狼の頬に打ち込まれるが、それをもう片方の剣で受けた。
その際に、先ほどとは違うすさまじい重圧が剣にのしかかる。
「丈夫だな、その剣。さっきの一撃で折るつもりだったんだが」
彼が話している隙に、狼は足払いをかける。
そうして体感を崩した彼は前に倒れこみ、片腕と片膝が地面についた。
「私がその油断を見過ごすわけがないだろう。さて、これで……っ!」
狼はとどめを指そうと歩き出そうとするが、足が地面に張り付いたかのように動かなかった。
みると、足首まで地面から伸びた氷につかまっている。
「よお、先生。これで形勢逆転だな」
「……」
「さて、ここで提案だが、今宵はこれまでにしようじゃねえか。どうせこれでチェックメイトって訳じゃないんだろ?」
「さあな」
彼は仮面の奥からの視線を、目の前の賢者に集中させる。
だが、それにも気付いていないのか、彼は得意げに語り続ける。
「思うにその剣、何か特別な仕組みがあってもおかしくはない。それも、使われたらこの形勢がまたひっくり返っちまうほどの、大掛かりな奴がな」
「……それも、さあな」
「それに、今俺がやり合いてえのは兄弟だ。今ここでアンタを殺しても、アンタに殺されても、しばらくあいつとは戦えなくなっちまう。それは少しどころじゃないくらい困っちまうんだ」
彼は砂ぼこりで汚れた服を掃い、帽子を深くかぶる。
「まあ、そういうことだ。それと俺はな、楽しみはゆっくりと味わいてえんだ。今ここで殺すのもいいが、それじゃあお互いに楽しくねえよなぁ?」
「……それは貴様が決めることだ。今私は足を拘束されている身だからな」
「その余裕で確信が持てたわ。『こいつは何かを隠してる』、ってな。そんじゃ、生きてりゃまた会えるだろうよ」
そう言って、彼は町の闇へと沈んでいく。
彼が完全に姿を消した後、彼の剣先が足元の氷に触れ、瞬時に消滅した。
「……見ていたのなら、手伝ってほしかったのだが」
狼が振り向くと、そこには物陰から顔だけを出している白狼の姿があった。
彼は彼女に近づき、その近くに腰を下ろす。
「終わったのか?」
白狼がうなずく。
狼はそうか、とだけいって空を見上げた。
「少し疲れた。先に行っててくれ」
「……」
「隊長命令だ。拒否は許さん。それに、傷は負っていない」
白狼は少し考えた後、ラザレスの後を追いかける。
そんな彼女の後姿を見て、ゆっくりと立ち上がった。
「……もう少しで、私もこの世界とお別れだな」
二振りの剣を納刀する。
ゆっくりと歩き出しながら、前の影を追う。
「俺はあなたのように立派に……」
「立派に死ぬことが、出来るでしょうか」