36 偽物
少女と青年は、二人、町から離れた森の中を歩き続ける。
しばらく歩き続けると、少女の眼の中に、かつての街があった場所が飛び込んでくる。
しかし、その街は彼女が知っているような街ではなく、木造の家が立ち並ぶ、小さな集落だった。
「あそこに僕たちの家があるんだ……って、言わなくてもわかるか」
「……ここ、どこ?」
「え? えっと……色々あったんだよ。魔力がなくなって」
しどろもどろに話すミケル。
その様子を見て、魔核はダリアの頭の中に語り掛ける。
「……こいつは本物か?」
「え?」
「先ほどの超人離れした力、そして勇者に殺されたはずなのに、生きているという事実。なあ、こいつはミケルで相違ないのか?」
「え……でも、見た目はほとんど同じだよ?」
「見た目だけならな。とりあえず、警戒した方がいい」
「警戒なんていいよ。だって、会えたんだから」
「……何をつぶやいているの?」
ミケルが心配そうに顔をのぞかせる。
ダリアは魔核の声が他の人に聞こえないことを失念していたのか、一瞬戸惑い、黙り込んでしまう。
そんな彼女を代弁するかのように、魔核が代わりに彼女の体を操って言った。
「気にしなくていい」
「……そう? 気分が悪いんだったら、すぐに医者に……」
「構わない。久しぶりにこの世界に来たからだろう。少し気が動転してしまった」
「そっか。無理もないよ。とりあえず家に戻ろうか」
彼はそう言って、ダリアの手を引く。
ダリアはその触れた手から、彼の手が汗ばんでいることに気付いたが、それさえも些細なことと心の中で断じる。
魔核はそんな彼女を見て、ますますミケルに対する不信感が募っていった。
彼女たちが案内されたのは、村から少し離れた場所にあるログハウスだった。
周りには木々が多く、少し離れた場所には馬がつながれている。
彼らは少しだけ朽ちた扉から家に入ると、ミケルが手で椅子を一つ勧めた。
「座ってよ。といっても、大したものは出せないけど」
「ううん。いつものこと」
「そ、そっか。そうだね。……それじゃあ、今の世界について説明するね。……えっと、まずはどうして僕が君に会えたのか、だけど……」
ミケルはつばを飲み込む。
人差し指で頬を掻き、どこか居辛そうにした後、ゆっくりと口を開いた。
「まず、この世界は魔法が無くなって、代わりに『呪術』と言われる力が生まれた。でも、……それから僕らの世界は、変わってしまったんだ」
「……変わった?」
「そう。呪術というのは自身の大切なものを対価として消費する力。だから、その力の普及によって、人々は何かを失わなければならなくなった」
彼は「はい」という言葉とともに、彼女が座っている椅子の前の机に、注いだばかりの温かい紅茶を置く。
ダリアはそれに一口つけた後、目の前の彼に目を向けた。
「でも、失うことに疑問を持つ人々がいた。だから、人々はこの力を封印しようと画策しようとしたんだ。だけど……人々の欲がそれを邪魔したんだ」
「……ミケル、なんか怖いよ」
「ごめん。でももうちょっとだけ、付き合ってほしいんだ。独り言だと思ってくれていいから。それに、もう一人が君の中にいるんだろう? その人なら理解できるはずだ」
「……驚いたな。私の存在に気付くとは」
「気配が一つじゃなかったから。それに、君がどういった存在なのかは僕も承知している」
彼は言い切ると、自身のカップにも紅茶を注ぐ。
その間、注がれる音が木に囲まれたこの空間に響いた。
「続けるよ。結局、秘匿は失敗した。今は呪術の力で軍力を増しているイゼルという国が、その存在を公にしたんだ。知識を金にするためにね」
「愚かだな」
「そうだね。……でも、僕もその力を手にしてしまった。自分の死を代償に、異世界を渡り歩く力を」
「ほう、それで死ぬこともなく私たちを助けたと?」
「……といっても、君を助けたつもりはないんだけどね。僕が助けたのはダリアだ」
「奇遇だな。私もダリアという名前を持つ」
魔核が冗談のように言うが、ミケルは少しも笑う様子はない。
それどころか、彼女たちを警戒しているかのようにも見えた。
「話を元に戻すよ。呪術という力に支配されたこの世界は、次第におかしくなっていってしまった。記憶、感情、そして、生命。それらが呪術によって侵されていって、今はもう、人がまともに生きられる世界じゃない」
「それで?」
「僕はこれから、その呪術という力について記された書物を、全てこの世界から消滅させようと思うんだ。このままだと、世界が破滅しちゃうから。……それで、提案なんだけど、君は今の話を聞いてもこの世界に留まりたいかい?」
「戯言を」
「僕はダリアに聞いているんだ。魔核は黙っていろ」
ミケルは少し低い声で言うと、そのまま手元にある紅茶に口をつける。
そんな彼をダリアはしばらく見つめた後、おずおずと彼女は口を開いた。
「……私は、もうどこにも行ってほしくない」
「え?」
「もう危険なことは辞めて、ただいてくれるだけでいいの……!」
「……ダリア」
「お願い、だから……」
「……ごめん、それはできない」
ミケルは顔を伏せる。
彼女から流れる涙から、目をそらすかのように。
「どうして……? ミケルが危険な目に合う必要なんて……」
「あるんだ。彼との約束だから」
「その約束って、そんなに大事なものなの!?」
「……大事だよ。これだけは、僕の命に代えても守らなくちゃならない。それで、君はこれからどうする? 僕についてきてこの世界に歯向かうか、もしくは……ほかの世界で、幸せに暮らすか」
「え……?」
「僕の力は、異世界を行き来することができる。この能力なら、君を争いの世界から遠ざけることだって、きっと可能だ」
「また、一人にするの?」
ダリアの純粋な言葉に、ミケルは顔を伏せたまま、謝罪の言葉をつぶやくことしかできなかった。
そんな時、先ほどまで黙り込んでいた魔核が、急に口を開いた。
「……つじつまが合わないな」
「え?」
「勇者が呪術を作り出し、貴様が死を代償に異世界を渡る力を手に入れたとしよう。だが、貴様はその勇者に殺されたはずだ」
「……」
「言っておくが、実は生きていた、なんて言い訳は通じない。奴はあれでも実力者だ。貴様が生きているかどうかなどの判断を見誤るはずがない」
「……それは」
「だが、一つだけその矛盾点を解消する説がある。……貴様のその力、呪術ではないのだろう?」
ミケルが魔核の言葉に目を見開く。
魔核はそれを見て少し満足げに口元をゆがめ、語るかのように話し続けた。
「貴様の異世界を渡り歩く力は呪術ではなく、元々持っていたものだ。私はそのようなものを知らん。信じがたいが、お前はこの世界の人間ではないのだろう」
「……随分と面白く稚拙な話だ」
「そうか? その割には貴様も面白い反応を示していたようだが」
「知らないな」
「否定するならそれもいいだろう。だが、一つ聞かせろ」
「何故、ミケルの名を騙っている?」
その確信めいた喋り方を、ミケルは正面から受け止める。
否定するつもりも、肯定するつもりもない表情。
どこか、覚悟していたかのような、そんな印象を魔核は受けた。
「……僕はこの世界を救いたかった。君を救いたかったんだよ、ダリア」
「今更綺麗ごとか」
「違う。僕は……」
「もういい」
ダリアが突然立ち上がる。
その行動に、ミケルはただ呆然と眺めることしかできなかった。
「あなたなんかに興味ない。ミケルはどこ?」
「……彼は、もういないんだ」
「そう。じゃあ探す。……お前みたいな嘘つきの言葉は、もういらない」
そう言い切って、彼女は家を飛び出していく。
そこには、冷めきった紅茶と、彼女の後姿を眺めることしかできないミケルと名乗った青年の姿しかなかった。
村のはずれにある、小さな丘。
そこから眺める景色は、白い花……ダリアが咲く、一面の海が一望できた。
そして、彼女が立つ足元には、ミケルの名が刻まれた灰色の墓石があった。
「……ミケル、帰ってきたよ」
ダリアはつぶやく。
返事はない。
「頑張ったんだよ。ずっと、ずっと耐えてた」
風が吹く。
一面のダリアの花が、揺れる。
「友達もできたんだよ」
足元の地面が、数滴の雨に濡れる。
夕日に照らされた雲が、黄色くなっていく。
「だから、褒めてよ……」
そして、呟いた。
「ミケル」
名を呼んだとき、後ろから足音が聞こえた。
背後を振り向くと、そこには人が立っていた。
矢先を向けた、複数人の人が。
雨が降る。
一面のダリアの花が、赤く染まった。
魔女。
彼女に与えられた、蔑称。
ローブをまとった男が放った一言とともに、弓矢は放たれた。
音も聞こえない。
ただ、雨が降り注ぐ。
既に、彼女の心は壊れてしまっていた。
そんな彼女の肩を必死に抱える、一人の偽物。
頬を流れる涙さえ、雨にかき消された。
だが、彼は涙を流し続けた。
そんな時、彼女はようやく悟った。
この人こそが、本当の勇者様なのだと。
そして、……私を見捨てたあいつが本当の偽物で、こっちが本物の、心優しいミケルなのだと。
笑う。
笑い続ける。
彼女を追い詰める事実は消え去ったという事実に。
そんな時、彼女はある考えを思い浮かんだ。
力を手に入れよう、と。
心優しい勇者様を泣かした復讐のため、魔力を手に入れようと。
彼女の指から、一滴の血が流れた。
そうして、赤くなった花畑から、二人は忽然と姿を消した。
――――
「そのあとは、貴様の知る通りだ。私は魔力をそれぞれの自我に委ね、自身で成長させた。復讐のために」
この喋り方は、魔核だろう。
俺は無限に広がる暗闇の中、口を開いた。
「……お前は、何も言わなかったのか。狂っていくアイツを見て、何も感じなかったのか」
「思わなかったところがないと言えばウソになる。だが、所詮私は力だ。あいつが私をどう使おうと、私がそれに文句を言う資格はない」
極めて無機質な声。
これが、魔核としての本来の声なのだろう。
「だが、一つだけ気になることがあった。ミケル……ああ、メンティラの方だが、奴は一体何者だ? 何のためにこの世界に来た?」
「……ダリアを止めなければならないって責任に追われてたことは覚えている」
「一つだけ、可能性がある。ミケルと名乗ったこと、この世界について憂いていたことから、考慮すると、だが」
「何だ?」
「……奴は、ミケルから託されていたのではないか?」
……託されていた。
もしそうなら、彼がこの世界に来て、ダリアを憂いている理由がわかる。
そして、彼が何者なのか、という予想も自然と頭の中に浮かんだ。
「……あいつは、異世界を渡り歩く力を持っている。それが呪術じゃないのだとしたら、俺はよく似た存在を知っている」
「何だ?」
「ベテンブルグ。異世界を渡り歩く、この世界の敵だ」
その言葉を口にすると、魔核は少し笑ったような気がした。
だが、いつもの口調のまま、話し続ける。
「さて、私から与えられる知識はこれで終わりだ。これからはお前の力になって戦うよ、ラザレス」
「……ダリアは、どうなるんだ?」
「実は、私の魔力の中に、勇者にかかわった者の記憶が残っている。力の譲渡が行われたとき、番人だったものの意識は消滅する、だそうだ」
「じゃあ、俺がダリアを……」
「そうだ。……いや、私から頼もう」
「私の友を、開放してやってくれないか」
目が覚める。
黒に染まった灰色の地面に、それを見つめる俺の顔をのぞき込む少女の顔が視界に入った。
「……せんせー」
「ああ、ごめん」
「せんせー、急に眠るからびっくりしちゃった」
「……ああ。夢を見ていたよ。とても寂しい、少女の夢を」
「少女?」
少女が、首を傾げる。
彼女から見たら、俺が吐く言葉の意味は分からないだろう。
「じゃあ、行こうか。もう誰かが泣くのはたくさんだ」